款冬姫恋草子 ~鬼神が愛す、唯一の白き花~

「……款冬姫さま。情報がほんとうかどうかはまだ確認できていません」
「だけど法皇は源義経によって救出され、義仲軍は敗走、主従は散り散りとなり義仲は討たれたって……明日には京に義仲の首が晒されるのでしょう?」
 わたしは義仲の首など見たくない。あの方が悪人として無残に晒される悪趣味極まりない姿を見せるなんて耐えられない。そう訴えたが、逆に親忠は死ぬなら首を見てから死ねと言ってきた。
「義仲さまは、款冬姫さまに最期の姿を見てもらいたいのです。命を絶たれるのなら、義仲さまの首を見てからにしてください」
「……義仲がそう願ったのなら」
 どこか強引な親忠の言い方を不審に思ったが、それで後を追えるのならと、小子は渋々頷いた。
 誰もいないはずの神社の境内から清い鈴の音色が響く。
 ――誰? 残党狩りではなさそうだけど。
 いまは無人となっている諏訪神社で、巴は夜を過ごしていた。明朝には首実検が行われる。できればその前に、義仲の首を手に入れたいと計画を練っていたところで、この鈴の音が耳に入ってきたのだ。
 収斂する鈴の音はまだつづいている。夜闇にぼんやり浮かぶ月のひかりを頼りに、巴は境内へ視線を向ける。
「葵?」
 巫女装束の女性が、無表情で巴の前に立っていた。白粉を塗っているからか、顔の部分だけがぼんやり浮かびあがっている感じがする。
 いつもの長い髪が、ばっさり断たれている。切ったのだろうか。それよりも。
「身体は大丈夫なの?」
「それどころじゃない」
 ふだん聞く葵の声よりすこし低い巫女の険しい声に、巴は違和感を抱く。けれど、義仲の死を知って彼女もきっと狼狽しているのだと思い、指摘はしなかった。
 巫女は鈴を鳴らしながら声を震わせる。
「義仲の首を盗みに行く。そのまま、彼の隠れ家へ急がなくては……」
 間に合わない。
 巫女は苛々しながら巴に告げる。まるで、彼女自身が首を盗んで隠れ家に行きたくてたまらないとでも言いたそうに。
 何が間に合わないのか。それを巴が口にする時間は与えられなかった。
「ついてきて」
 巫女が走り出す。そしてあろうことか神社を飛び出しどこぞの貴族の邸から白い馬をすばやく盗み出す。目をまるくしている巴に「拝借するだけさ」と悪びれることなく巫女はいい、巴を自分のうしろに乗せ、全速力で疾走させる。
 風を切って走っていく馬に合わせて巫女も軽やかに手綱を操っていく。
 おかしい。葵は馬に乗れないはずだ。それに巫女からは濃い血の匂いがする。女戦士としての勘が、巫女の異質さを訴える。
 巴はいまになって馬上の巫女が自分の知る人物ではない可能性に気づく。「あなた誰」と言おうとするがあまりの速さに舌を切りそうで、結局何も言えないまま。
 首が保管されている場所まで来ていた。暗闇で見えないが、血の匂いが漂っている。馬を降りた巴の足元には見張りの人間らしき遺体が転がっていた。松明をたく。淡い光が照らすその先にも何体もの遺体と、同志の奪われた首が列をなしている。ここにいた人間はすべて死んでいる。その光景に巴が顔をしかめても巫女は素知らぬ顔をしている。
 こんな風に、皆殺しを厭わない人間を、巴は知っている。譲れない目的のためなら、自らを鬼にする人間を。
「……あなたは」
 義仲、と名を呼ぼうとする巴に、巫女は嗤う。
「彼は、死んだんだよ」
 そして、無造作に拾い上げた義仲の首を巴に押し付け、松明を持ってひとり白馬に乗って去っていく。
 正月二十四日深夜。隠れ家へ巴が戻ってきた。義仲の首を持って。
「葵に言われたの。義仲の首を姫様と一緒に燃やせって。そうすれば款冬姫さまの呪いは解けるって」
 親忠は小子が泣き疲れて眠ってしまったことを巴に伝え、首だけになった主人と対面し、一筋の涙をこぼす。
「……なんてお姿に」
 そしてそのまま堪えていた涙が次々に流れていく。獣の遠吠えのような鳴き声が、室に響く。これでは姫様も起きてしまうのではないかと巴が怪訝に思うと、案の定。
「どうしか、したの?」
 妻戸から目覚めたばかりの小子が姿を現し、巴と視線を合わせ、すこしだけ顔を綻ばせた。
 たくさん泣いたのだろう、目はまだ赤く、くまも残っている。義仲の首を見たら、また泣いてしまうに違いない。
「款冬姫さま」
「あ、それ……」
 巴が小子に声をかけるより早く、小子は義仲の首に気がついたらしい。泣きわめく親忠を遠ざけ、ひょい、と首を抱きあげる。
 そして。
「……これ、義仲じゃない」
 と、困惑した顔で、親忠と巴に向けて声をあげる。
 東の空へのぼった太陽に照らされた雪の積もった庭先から、紫がかった煙が立ち上る。小子は泣きそうな顔で義仲の代わりに死んだ葵の首を供養する。
「親忠は、知っていたのね」
「ぜんぶ吐かせたわよ。葵が何を企んでいたか。変装の達人だからって、義仲に代わって首をとられなくてもよかったのに……」
 巴は呆れたようにたなびく煙を見上げる。いまごろ敵将の源義経は顔を真っ青にしていることだろう。何者かに義仲の首を奪われ、見張りの武将たちを皆殺しにされたと知って。残党狩りにも一層ちからを入れるに違いない。
 それでも、巴はいいと思った。もはや、義仲軍に忠臣はいない。義仲は死んだと、本人が口にしたのだから。
 あのとき義仲になりきって「小子が心配なんだよ!」と叫んだ葵。自分の寿命が残り少ないことを知っていたから、彼女は義仲と立場を逆転させ、戦場に散ったのだ。滅ぶつもりでいた彼が、巫女になって京で生き延びているのは……たぶん、葵の言うとおり。
「……義仲は生きてる」
 だってほら。死のう死のうと思っていた小子が、生きる力を取り戻している。生きていれば再び逢えるのだから。しかも、小子を呪った匂い袋を作った葵が死んだことで呪縛は解け、未来が開けたのだ。楽観できる未来ではないけれど、愛するひとが生きているという事実だけで、小子は瞳を輝かせている。
「わたし、探しに行く!」
 小子が逢いに行く。けれど、その必要はないだろう。
「あのひとのことだから、いますぐにでも逢いに来るわ」
 山吹城の巫女姫が持つ鈴の音を伴って。鬼神だったときの名残である血の香りを漂わせて。
 義仲の名を捨て、今度こそ小子とともに生を全うするために。
 秋の終わりに義仲と出逢い、攫われる形で彼の正室になり、款冬姫と呼ばれるようになった小子。
 彼は鬼神と呼ばれるおそろしい男だと噂されていたけれど、実際はとても純情で、誰よりも小子のことを必要とする一途な男だった。
 そしてそんな彼を影で支えていたのが葵だったのだろう。表面上は仲睦まじいところなど一度も小子には見せなかったけれど。
 ふたりが信頼し合っていたから、いま、小子は自由を手に入れられたのだ。
 鬼に憑かれた姫君。その真意は、鬼となった義仲に愛された姫君。そしてまた、鬼に守られた姫君。
『あの匂い袋がなければ、款冬姫は傍にいた人間に殺される運命だったのよ』
 だから逆に呪ってあげただけ。葵はそう言って、義仲を鬼に仕立てたのだ……