「保育園のボランティア、ですか?」
「そう、夏休みの間だけ週2で。もちろんお盆は休みだよ。一乃屋(かずのや)さんから『月森(つきもり)さんは小学校の先生になりたいらしい』って聞いたから、ちょうどいいんじゃないかなって思うんだけど、どうかな? ちょっとだけ年齢は違っちゃうけどね」

 担任から柔らかな口調で勧められたのは、とても興味のあるボランティアだった。一乃屋──つまり先生と仲がいい一葉ちゃんが色々言ってくれたのだろう。一葉ちゃんに言ってよかったな、と心が温かくなる。

「はい、ぜひやらせてください。ちなみに1日何時間ですか?」
 親から言われるがまま入れた夏期講習は、たいてい夜の時間だ。だからそれに被ることはないけれど、問題なく課題ができるくらいの時間は確保したい。

「うちの学校に来てるのは、午前だけだから……。だいたい4時間くらいかな?」
「ありがとうございます、それなら無理なくできそうですね。一応、両親にも相談してみますので、明日決定してもいいでしょうか?」

 ボランティアなら、内申がどうこうで何とかなるはずだ。それに週2の4時間である。まだ高2だし、夏休みが受験の天王山というわけでもない。大丈夫、行けるはず。
 大丈夫。大丈夫。報告しても、否定されない。お母さんはヒステリックにならない。傷つかない。自分に言い聞かせていると、先生が心底安心した表情で「よかったぁ」とこぼす。

「保育ボランティア、うちのボランティア部だけじゃ人数が足りてなかったけど、あんまり素行がよくない生徒に任せるわけにはいかないからさ。月森さんみたいないい子が引き受けてくれたら、学校としても安心だよ」
「そう言ってくだされば嬉しいです」

 安心できる、いい生徒。安心できる、いい子供。
 その評価を獲得するために、私は思っていない言葉を言い、面白みのない授業もさぞかし面白そうに受けているのだ。当たり前でしょう。
 そんな本心は心の裏に閉じ込めて、嘘っぱちの、されど完璧な笑みを浮かべる。

 先生は満足そうにその場から去っていった。私も帰宅の支度をすべく、自分の席まで戻る。そこには私の恩人とも呼べる一葉ちゃんが、私が戻るのを今か今かと待っていた。

「ごめんね、先生と話してて。保育のボランティアをやらせてもらえることになったの」
「へー、そんなのあったんだ。よかったね!」

 まるで自分に嬉しいことがあったかのように、一葉ちゃんは顔を輝かせる。もしかしたら本当に自分の幸せだと思ってくれているのかもしれない。
 そんな彼女がどうしようもなく羨ましかった。私は、人からの評価だけを基準に生きているから。私から出る褒め言葉なんて、ほとんどが嘘だ。

「一葉ちゃん、私の夢のことを先生に言ってくれたでしょう? それで私に話が回ってきたの。一葉ちゃんのおかげだよ」
「奈々ちゃんの助けになれたってこと? 嬉しいなぁ」

 一葉ちゃんは顔を綻ばせる。その顔は嘘じゃできない。だからきっと、私にはできない。
 どうすれば一葉ちゃんみたいになれるのかな。嫉妬すら覚えながら、一葉ちゃんに話しかける。

「一葉ちゃんって本当に性格いいよね。……一葉ちゃんは、将来何になりたいって思ってるの?」
 褒め言葉合戦は、たとえそれが本心だとしても続けば嫌気が差してくる。だから早々に次の話題へ移ってしまうのが最適解だ。

「わたしは、まだ決まってないかな。なりたいものというか、できることもよくわからないし。……だから、何でもできる奈々ちゃんが羨ましいな」

 思ってもみなかった言葉が聞こえる。
 たしかに私は何かの分野でトップになることこそないが、逆に苦手とする分野もない。幼少期からの英才教育で、たいていのことはやらされたからだと思う。
 それはそれで辛いけれど、一葉ちゃんも気になるところはあるのだろう。

 一葉ちゃんは底なしの明るさと優しさを持っているが、運動はからっきしできない。手先が不器用だから、中学時代には文化祭の飾り付けを手伝わせてもらえなかったこともあるそうだ。
 勉強はこの学校に入れたというだけあってまったくできないわけではないけれど、順位はいつも下位25パーセントほどだ。それで私と一緒にいるため、余計バカ扱いされていると耳に挟んだこともある。

「できることなら、いっぱいあるじゃん。私のこと、勇気づけてくれたでしょ? 人の心を明るくするのは誰にでもできることじゃないよ」
 きっとこの子なら、私の本当の姿を知っても仲良くしてくれる。そう思ったから私は一葉ちゃんと仲良くしているのだ。
 そんなに性格のいい人は、きっとこの学校に一葉ちゃんしかいないことだろう。

「えへへ、それは嬉しいけど……どうすればいいんだろう」
 一旦は笑ってくれたものの、すぐにしゅん、と顔を俯かせる。きっとこの問題は私が想像できないくらい根深いのだろう。

「それはこれから見つけていけばいいんじゃないかな。相談ならいつでも乗るよ。……支度もできたし、帰ろっか」
「うんっ、ありがと!」
 一葉ちゃんがいつものような明るい表情に戻ってくれたことに安堵するが、次の瞬間にはひっくり返された。ある重大なことに気づいてしまったからである。

「一葉ちゃん、私の前で取り繕わないでよ」
 一葉ちゃんの表情は私がよく浮かべる表情──無理矢理、計算で作ったものとそっくりだった。ちょっとだけ不自然な口角を見て、確信する。
「……え?」
「私の前で、嘘の明るさを振りまかなくていいんだよ。……気のせいだったら、申し訳ないけど」

 動揺する一葉ちゃんの姿は、先ほどの指摘が真実であると物語っていたけれど、自白を強要するような形にはなりたくない。だから予防線を張ったけれど、一葉ちゃんは正直に微笑んだ。彼女のものとは思えないほど、哀しげなものだった。

「わたし、明るさしか取り柄がないから」

 ひゅぅっ、と風が私たちの隙間を通り抜ける。一葉ちゃんは一体、どんな気持ちで学校生活を送っているのだろう。辛いときにも明るく振る舞わなければならない、がんじがらめの空間で。
 まるで、私みたいだ。人の評価に怯え続けて『優等生』を演じることしかできない、愚かな私。

「それに、奈々ちゃんもそうでしょ?」
 一葉ちゃんはきっと、私が彼女の綻びに気づく前からわかっていたのだろう。私が嘘を重ね続けていることを。
 だからか、と納得した。いろんな人が私に優しく接してくれて、友達になろうとしてくれているのに、どうしてここまで一葉ちゃんに惹かれるのか。一葉ちゃんも私と同じように、嘘を重ねているからだ。

「うん。たぶん私たち、すごく似てるんだと思う」
 私が答えると、一葉ちゃんは「あはっ」と弾けるように笑ってから続ける。
「バレちゃったし、ふたりだけのときは素で話そうよ。だけど、私はもともとある程度性格が明るくてさ。それをちょっとオーバーにした感じなんだよね。……奈々ちゃんも同じでしょ?」

 素でいられる場所ができた。そのことを嬉しく思いながらも、一葉ちゃんに返す言葉を模索する。
 私の性格が出来上がったのは、いつからだろう。小学校1年生の、将来の夢を発表したときだっただろうか。それとも、嫌だった英会話教室を続けさせられた、5歳のときだっただろうか。

 あるいは、もっと前だっただろうか。

「わからないけど、年々強くなっていった感じかな。『誰の期待も裏切らないようにしなきゃ』って思いが強くなっていくの」
「あー、それは辛いね。わたしの前では吐き出してよ? 抱え込みすぎたらとんでもないことになるやつだから……って、わたしは同じ悩みを抱えたことはないんだけど」

 一葉ちゃんに軽く励まされて、泣きそうになる。生まれて初めて『これを言ったら嫌われてしまうかも』という不安を抱かずに言えた言葉を、受け止めてくれたから。

「ありがとう。……私も、一葉ちゃんの力になりたいから。愚痴でも何でも聞くよ」
「嬉しいなぁ」
 私も一葉ちゃんに同じようなことを返すと、彼女はふわりと表情を和らげてくれた。こんな時間がいつまでも続けばいいのに、と願う。

「それじゃあね。また明日」
「また明日ー!」

 それでも別れるときはやってきて、お互いがそれぞれの家へ向かう。家へ着いたら、お母さんにボランティアのことを切り出すのだ。
 がんばるぞっ。
 人知れず自分を励まして、たしかな足取りで家へ歩を進めた。