「奈々ちゃん、休み時間も勉強してるの? すごいね」
「そんなことないよ。他にすることがないからしてるだけ」
昨日出たテストの成績は、学年4位。1位になったらお母さんやお父さんも私を認めてくれるかもしれないから、その希望に賭けて勉強を続ける。休み時間を使ってまで勉強しなければそこに辿り着けない自分の頭が、少し情けなくもあるけれど。
「え、そうなの? じゃあわたしに勉強教えてよー。最近数学が意味わかんなくてさぁ」
「数学ね、わかった。今は10分休みでキリが悪いから、昼休みか放課後かな?」
「昼休みにお願い!」
一葉ちゃんの頼みを承諾して、さっきの授業の復習を再開する。にへらと軽く笑う彼女の顔が頭から離れない。私はきっと、あんなふうに笑えていないだろうから。
要点や自分なりのコツをまとめ終えると、次の授業が始まりを告げる。次の授業が終われば私はきっとまたこうして、役に立つかわからないまとめをするのだろう。帰るまでは私に休み時間なんてない。
義務的に手をあげて、義務的に答える。義務的にノートをとり、授業が終了する。ずっと、その繰り返しだった。
「お昼、一緒に食べようよー」
「うん。……わぁ、一葉ちゃんの弁当、今日もおしゃれだね!」
「でしょ? 朝早起きして、頑張って作ったんだよねぇ」
一葉ちゃんと私の机をシェアして、弁当を広げる。私の弁当はおにぎりと昨日のおかずの余り──お母さんに負担をかけたくないので自分で作っている──だったが、一葉ちゃんはいろんな具のサンドイッチ弁当だった。
早起きして弁当を作る、か。
こんな手間がかかるものを作っていたら、その分の睡眠時間、もしくは勉強時間を削らなければならないだろう。そうなれば学年1位が余計遠のく。私の存在価値がまた少し、霞んでしまう。
私には無理だな。そんな『私には無理なこと』ばかり持っている一葉ちゃんが、本当に羨ましい。
「本当に一葉ちゃんはすごいよ」
「えへへ、もっと言ってー」
屈託なく笑う一葉ちゃんに褒め言葉を紡ぎつつ、冷めたご飯を頬張る。味はするけれど、美味しいとは到底思えなかった。
早くご飯の時間が終わればいいのに。そればかりを考えて、ご飯を口に運んだ。
虚無の食事が終わると、一葉ちゃんが課題を広げて、私に数学の解説を頼む。一葉ちゃんには私に失望してほしくないから、なるべくわかりやすい言葉、わかりやすい公式を使って説明する。
「なるほどー! すごい、意味わかんなかったのに今はわかる!」
わかってくれたかな、と不安になっていたときに発せられた明るい声。ほっと胸を撫で下ろす。
「奈々ちゃん、教師向いてると思うよ!」
次いで紡ぎ出される、希望に満ちた言葉。一葉ちゃんは私がその選択を選べないことを知らないから、もちろんその顔に嫌な色はなかった。
私の父親は裁判官で、私にもその道を歩もうとさせてくる。もっとも裁判官は司法試験に受かってもほぼなれない、難易度の高い職業なので弁護士でも構わないとは言っているのだが。
私が本当になりたいのは教師だ。それも、小学校教諭。法の道以外を許さない両親に言えば、すぐに罵倒とともに否定される夢。
「ありがとう。実は教師になりたいって考えてるんだよね」
哀しさを覚えるけれど、一葉ちゃんが私をそう評価してくれたことは嬉しい。
素直に伝えると、一葉ちゃんは身を乗り出して「え、そうなの! どの教科!?」と興味津々に聞いてくる。
「小学校の先生だよ。だから教科はないかな。子どもたちに、いろんなことを教えたいって思ってるの」
「えー、何それ、すっごくいい夢だと思う! ……あ、でも奈々ちゃんの成績なら教育大とか、どこの教育学部にも受かると思うし、夢ってほどでもないかな。目標っていうくらい近いよ!」
一葉ちゃんは想像よりもはるかにいい反応をしてくれて、私を励ますように笑った。きっと一葉ちゃんの脳内には、私が小学校教諭になった姿があるのだろう。
喜ぶところだけれど、今になって絶望が勝った。友人に適性があると言われているのに、それを目指せない自分に嫌気が差す。
「でも、親には裁判官とか弁護士とかになれって言われてるんだよね」
「えー? 奈々ちゃんならなれると思うけど、せっかくならやりたい職業のほうがいいよね。今から一緒に説得方法考えようよ!」
愚痴をこぼすと、一葉ちゃんはお人好しにも色々案を出してくれる。けれどそのどれも、役立ちそうなものではなかった。
「家事を手伝ったらいいかも?」
「奈々ちゃん、すでに成績がいいから効果ないかもしれないけど……成績を上げるとか?」
「交換条件とかなしに、ひたすら小学校教諭のよさを力説するとか!」
たしかに、他の家庭──もっと言えば、一葉ちゃんの家ではそれでいいのかもしれない。もっともそのような家庭は「小学校教諭? いいね!」となるだろうが。
私の家は残酷なほど違った。過去と一緒に、黒く澱んだ感情が溢れ出す。
私が小学校1年生のとき、担任の先生に憧れて「将来は小学校の先生になりたい!」と言ったことがある。先生は大層嬉しそうに「なれるよ!」と言ってくれたものだが、私の親は違った。
「奈々は裁判官になるの。人を正しい方向へ導く、とても素晴らしい職業よ」
と言い、その日から塾を増やした。
『人を正しい方向へ導く』という部分は小学校教諭にも通づるものがあると思うけれど、そのときの私にはそれを指摘するような度胸はなかった。……今はどうだろう?
「色々案出してくれてありがとうね、頑張ってみる」
暗くなった心に無理矢理光をねじ込んで、にこりと笑ってみせる。一葉ちゃんは喜色満面な表情を返してくれた。
親にまた否定されるのが怖い。それでも踏み出さなきゃ、現実は変わってくれないのだ。
どう伝えるか考えながら、始まった5限目の授業を受ける。義務的に動かす手や先生の問いかけに答える声は、何ひとつ変わっていなかった。
「そんなことないよ。他にすることがないからしてるだけ」
昨日出たテストの成績は、学年4位。1位になったらお母さんやお父さんも私を認めてくれるかもしれないから、その希望に賭けて勉強を続ける。休み時間を使ってまで勉強しなければそこに辿り着けない自分の頭が、少し情けなくもあるけれど。
「え、そうなの? じゃあわたしに勉強教えてよー。最近数学が意味わかんなくてさぁ」
「数学ね、わかった。今は10分休みでキリが悪いから、昼休みか放課後かな?」
「昼休みにお願い!」
一葉ちゃんの頼みを承諾して、さっきの授業の復習を再開する。にへらと軽く笑う彼女の顔が頭から離れない。私はきっと、あんなふうに笑えていないだろうから。
要点や自分なりのコツをまとめ終えると、次の授業が始まりを告げる。次の授業が終われば私はきっとまたこうして、役に立つかわからないまとめをするのだろう。帰るまでは私に休み時間なんてない。
義務的に手をあげて、義務的に答える。義務的にノートをとり、授業が終了する。ずっと、その繰り返しだった。
「お昼、一緒に食べようよー」
「うん。……わぁ、一葉ちゃんの弁当、今日もおしゃれだね!」
「でしょ? 朝早起きして、頑張って作ったんだよねぇ」
一葉ちゃんと私の机をシェアして、弁当を広げる。私の弁当はおにぎりと昨日のおかずの余り──お母さんに負担をかけたくないので自分で作っている──だったが、一葉ちゃんはいろんな具のサンドイッチ弁当だった。
早起きして弁当を作る、か。
こんな手間がかかるものを作っていたら、その分の睡眠時間、もしくは勉強時間を削らなければならないだろう。そうなれば学年1位が余計遠のく。私の存在価値がまた少し、霞んでしまう。
私には無理だな。そんな『私には無理なこと』ばかり持っている一葉ちゃんが、本当に羨ましい。
「本当に一葉ちゃんはすごいよ」
「えへへ、もっと言ってー」
屈託なく笑う一葉ちゃんに褒め言葉を紡ぎつつ、冷めたご飯を頬張る。味はするけれど、美味しいとは到底思えなかった。
早くご飯の時間が終わればいいのに。そればかりを考えて、ご飯を口に運んだ。
虚無の食事が終わると、一葉ちゃんが課題を広げて、私に数学の解説を頼む。一葉ちゃんには私に失望してほしくないから、なるべくわかりやすい言葉、わかりやすい公式を使って説明する。
「なるほどー! すごい、意味わかんなかったのに今はわかる!」
わかってくれたかな、と不安になっていたときに発せられた明るい声。ほっと胸を撫で下ろす。
「奈々ちゃん、教師向いてると思うよ!」
次いで紡ぎ出される、希望に満ちた言葉。一葉ちゃんは私がその選択を選べないことを知らないから、もちろんその顔に嫌な色はなかった。
私の父親は裁判官で、私にもその道を歩もうとさせてくる。もっとも裁判官は司法試験に受かってもほぼなれない、難易度の高い職業なので弁護士でも構わないとは言っているのだが。
私が本当になりたいのは教師だ。それも、小学校教諭。法の道以外を許さない両親に言えば、すぐに罵倒とともに否定される夢。
「ありがとう。実は教師になりたいって考えてるんだよね」
哀しさを覚えるけれど、一葉ちゃんが私をそう評価してくれたことは嬉しい。
素直に伝えると、一葉ちゃんは身を乗り出して「え、そうなの! どの教科!?」と興味津々に聞いてくる。
「小学校の先生だよ。だから教科はないかな。子どもたちに、いろんなことを教えたいって思ってるの」
「えー、何それ、すっごくいい夢だと思う! ……あ、でも奈々ちゃんの成績なら教育大とか、どこの教育学部にも受かると思うし、夢ってほどでもないかな。目標っていうくらい近いよ!」
一葉ちゃんは想像よりもはるかにいい反応をしてくれて、私を励ますように笑った。きっと一葉ちゃんの脳内には、私が小学校教諭になった姿があるのだろう。
喜ぶところだけれど、今になって絶望が勝った。友人に適性があると言われているのに、それを目指せない自分に嫌気が差す。
「でも、親には裁判官とか弁護士とかになれって言われてるんだよね」
「えー? 奈々ちゃんならなれると思うけど、せっかくならやりたい職業のほうがいいよね。今から一緒に説得方法考えようよ!」
愚痴をこぼすと、一葉ちゃんはお人好しにも色々案を出してくれる。けれどそのどれも、役立ちそうなものではなかった。
「家事を手伝ったらいいかも?」
「奈々ちゃん、すでに成績がいいから効果ないかもしれないけど……成績を上げるとか?」
「交換条件とかなしに、ひたすら小学校教諭のよさを力説するとか!」
たしかに、他の家庭──もっと言えば、一葉ちゃんの家ではそれでいいのかもしれない。もっともそのような家庭は「小学校教諭? いいね!」となるだろうが。
私の家は残酷なほど違った。過去と一緒に、黒く澱んだ感情が溢れ出す。
私が小学校1年生のとき、担任の先生に憧れて「将来は小学校の先生になりたい!」と言ったことがある。先生は大層嬉しそうに「なれるよ!」と言ってくれたものだが、私の親は違った。
「奈々は裁判官になるの。人を正しい方向へ導く、とても素晴らしい職業よ」
と言い、その日から塾を増やした。
『人を正しい方向へ導く』という部分は小学校教諭にも通づるものがあると思うけれど、そのときの私にはそれを指摘するような度胸はなかった。……今はどうだろう?
「色々案出してくれてありがとうね、頑張ってみる」
暗くなった心に無理矢理光をねじ込んで、にこりと笑ってみせる。一葉ちゃんは喜色満面な表情を返してくれた。
親にまた否定されるのが怖い。それでも踏み出さなきゃ、現実は変わってくれないのだ。
どう伝えるか考えながら、始まった5限目の授業を受ける。義務的に動かす手や先生の問いかけに答える声は、何ひとつ変わっていなかった。