突然の休校から数週間後、私の採用先が南風館高校に決まった。
休校になったとき、私の代わりに来る育休代替の先生は決まっていなかったけど、ようやく見つかったようだという話も聞こえてきた。もう、いよいよ、私は青空高校からいなくなるんだ。
私が教えることのできない新1年生の入試監督をして、私が確認することのない課題を出して、いつもは生徒がやるらしい教室移動に汗を流した。3月の仕事はすべて、私がいなくなったあとの準備だった。
4月からここにいないことを認めたくなかった。認めたらまた、涙があふれてしまう。それは大人として許されない。最初は「当分の間」とされていた休校期間はやはり年度末までとなった。
次に生徒が登校するのは、4月8日。
私は青空高校にいない。
それが私に突きつけられた現実だった。言い残したこと、やり残したこと、たくさんある。すべてできないで私はいなくなるんだ。
そう思い込むことに決めた。会えると、言えると思って、運命に裏切られて、また悲しみたくないから。
休校期間や世の情勢が見えてくる中で、一筋の光がさした。
「離任式、やらない?」
休校によって乱れた生徒の生活リズムを整える、そして膨大な課題をちゃんとやっているかを確認するという名目で「分散登校」というのが認められようとしていた。
「私に離任式は、ない。」
そう思い込んでいた。「ある」から「ない」に変わるのが怖いから。そのくらい、私は落ち込んでいた。なぜ生徒も来ない学校に毎日行っていたのだろう? 無心で仕事をするロボットのようだった。
何度もあった職員会議の中で、やはり離任式の話になった。教頭が離任者以外の先生全員に意見を言わせて、満場一致で「分散登校」という名の「離任者紹介」が行われることに決まった。
「私に離任式は、ない」
前日まで、そうだと自分に思い込ませていた。私の思い込みは、現実にはならなかった。私に離任者紹介がやってきたのだ。
休校になった日から毎日泣いていた。
さよならを言えないって、こんなに辛いんだって。
私の離任者紹介は「ない」から「ある」に変わった。
離任者のあいさつで、何を話すかはステージに上がるまで何も決めていなかった。だってなくなったら悲しいもの。マイクの前で、出てきた言葉はいままでの感謝とこの1か月の悲しさ空しさ、そしてこれからの決意だった。
「私は青空高校で過ごした1年を忘れません。いつ再会しても恥じない先生になります。『さよなら』と言わせてくれてありがとうございました。」
そんな感じで、初めての離任式が終わった。
2020年4月1日。
南風館高校。
私の初任校。
身が引き締まる。
いまだコロナウイルスの影響が職員室を、いや日本中を震わせて、学校生活にも影を落としていた。着任式の前に離任者の紹介があった。
どうやら南風館高校では卒業式も修了式も離任式もすべて中止だったらしい。紹介と言っても、もちろん離任者は、ここに居ない。名前と赴任先が知らされるだけ。それでも、すすり泣く声が聞こえたような気がする。
初めての授業は、3年B組コミュニケーション英語。
どんな授業を受けてみたいかアンケートを取った。楽しい授業、分かりやすい授業、グループワークの授業、そんなことが多かった。ただ一つ、気になる回答があった。
「河野先生の授業」
女子の文字だった。小さく細い字で書かれている。自信がなさそうに見えて、意志が込められているような文字だった。河野先生は私の前任者。もう居ない先生の授業を受けたいなんて、正直腹が立つ。頭にきて当然だ。でも、青空高校の生徒のことを思って、この考えはひっこめた。
たぶん、この生徒のように考えるのは人間として普通だ。当然だ。今までの授業を受けたい。私だって今までの授業がしたい。もう二度と叶わないのはわかっている。それでも、突然日常が断たれたことに不満を持つのは人間として当然のことなのだろう。
学校が1か月も休みになったのに、ちゃんと終われなかったのに、何もなかったかのように異動があり、新学期が始まる。進級にドギマギすることも、転出する先生との別れを惜しむことも、お世話した卒業生を目に焼き付けることも。
今までの当たり前がすべてなくなって「新しい当たり前」がやってこようとしている。
そんなのおかしい。職員室でアンケートを見ながら、思わず、涙があふれてしまった。青空町で散々泣いてきたのに、この生徒に大事なことに気づかせてもらった。
私は今に満足していない。
今を一生懸命生きようと。
もう後悔は、したくない。
やっと授業らしい授業ができたのは3回目の授業だった。私はアンケートの結果を素直に紹介することにした。
「先日のアンケートで『河野先生の授業を受けたい』と書いた人がいました。」
目が凍った生徒が数人いた。書いてきたのは1人だが、思っているのはもっと多いということか。
「正直、腹が立ちました。でも、そう思うのもわかります。人間、『さよなら』を言えないのって、すごく辛いんです。」
数人の目が潤むのがわかる。自分も話していて涙が出てきそうだ。
「だから、河野先生にお手紙を書きましょう。それが最初の課題です。」
休校になったとき、私の代わりに来る育休代替の先生は決まっていなかったけど、ようやく見つかったようだという話も聞こえてきた。もう、いよいよ、私は青空高校からいなくなるんだ。
私が教えることのできない新1年生の入試監督をして、私が確認することのない課題を出して、いつもは生徒がやるらしい教室移動に汗を流した。3月の仕事はすべて、私がいなくなったあとの準備だった。
4月からここにいないことを認めたくなかった。認めたらまた、涙があふれてしまう。それは大人として許されない。最初は「当分の間」とされていた休校期間はやはり年度末までとなった。
次に生徒が登校するのは、4月8日。
私は青空高校にいない。
それが私に突きつけられた現実だった。言い残したこと、やり残したこと、たくさんある。すべてできないで私はいなくなるんだ。
そう思い込むことに決めた。会えると、言えると思って、運命に裏切られて、また悲しみたくないから。
休校期間や世の情勢が見えてくる中で、一筋の光がさした。
「離任式、やらない?」
休校によって乱れた生徒の生活リズムを整える、そして膨大な課題をちゃんとやっているかを確認するという名目で「分散登校」というのが認められようとしていた。
「私に離任式は、ない。」
そう思い込んでいた。「ある」から「ない」に変わるのが怖いから。そのくらい、私は落ち込んでいた。なぜ生徒も来ない学校に毎日行っていたのだろう? 無心で仕事をするロボットのようだった。
何度もあった職員会議の中で、やはり離任式の話になった。教頭が離任者以外の先生全員に意見を言わせて、満場一致で「分散登校」という名の「離任者紹介」が行われることに決まった。
「私に離任式は、ない」
前日まで、そうだと自分に思い込ませていた。私の思い込みは、現実にはならなかった。私に離任者紹介がやってきたのだ。
休校になった日から毎日泣いていた。
さよならを言えないって、こんなに辛いんだって。
私の離任者紹介は「ない」から「ある」に変わった。
離任者のあいさつで、何を話すかはステージに上がるまで何も決めていなかった。だってなくなったら悲しいもの。マイクの前で、出てきた言葉はいままでの感謝とこの1か月の悲しさ空しさ、そしてこれからの決意だった。
「私は青空高校で過ごした1年を忘れません。いつ再会しても恥じない先生になります。『さよなら』と言わせてくれてありがとうございました。」
そんな感じで、初めての離任式が終わった。
2020年4月1日。
南風館高校。
私の初任校。
身が引き締まる。
いまだコロナウイルスの影響が職員室を、いや日本中を震わせて、学校生活にも影を落としていた。着任式の前に離任者の紹介があった。
どうやら南風館高校では卒業式も修了式も離任式もすべて中止だったらしい。紹介と言っても、もちろん離任者は、ここに居ない。名前と赴任先が知らされるだけ。それでも、すすり泣く声が聞こえたような気がする。
初めての授業は、3年B組コミュニケーション英語。
どんな授業を受けてみたいかアンケートを取った。楽しい授業、分かりやすい授業、グループワークの授業、そんなことが多かった。ただ一つ、気になる回答があった。
「河野先生の授業」
女子の文字だった。小さく細い字で書かれている。自信がなさそうに見えて、意志が込められているような文字だった。河野先生は私の前任者。もう居ない先生の授業を受けたいなんて、正直腹が立つ。頭にきて当然だ。でも、青空高校の生徒のことを思って、この考えはひっこめた。
たぶん、この生徒のように考えるのは人間として普通だ。当然だ。今までの授業を受けたい。私だって今までの授業がしたい。もう二度と叶わないのはわかっている。それでも、突然日常が断たれたことに不満を持つのは人間として当然のことなのだろう。
学校が1か月も休みになったのに、ちゃんと終われなかったのに、何もなかったかのように異動があり、新学期が始まる。進級にドギマギすることも、転出する先生との別れを惜しむことも、お世話した卒業生を目に焼き付けることも。
今までの当たり前がすべてなくなって「新しい当たり前」がやってこようとしている。
そんなのおかしい。職員室でアンケートを見ながら、思わず、涙があふれてしまった。青空町で散々泣いてきたのに、この生徒に大事なことに気づかせてもらった。
私は今に満足していない。
今を一生懸命生きようと。
もう後悔は、したくない。
やっと授業らしい授業ができたのは3回目の授業だった。私はアンケートの結果を素直に紹介することにした。
「先日のアンケートで『河野先生の授業を受けたい』と書いた人がいました。」
目が凍った生徒が数人いた。書いてきたのは1人だが、思っているのはもっと多いということか。
「正直、腹が立ちました。でも、そう思うのもわかります。人間、『さよなら』を言えないのって、すごく辛いんです。」
数人の目が潤むのがわかる。自分も話していて涙が出てきそうだ。
「だから、河野先生にお手紙を書きましょう。それが最初の課題です。」