何度思い出しても、やっぱり奇跡なんじゃないか、夢なんじゃないかと思えてならない。
1か月ほど前の吹奏楽コンクール地区大会。私が所属する南風館高校は万年地区大会落ち、だったのだが…。
「2番、南風館高校、ゴールド金賞。」
「地区代表は、2番、南風館高校!」
まさか、まさかの地区代表だった。創部以来初で、多くの部員にとって初めての支部大会である。正直、想定外、だ。
「ち、地区代表?」
「やった! 明希たちのおかげだよ! ありがとう!」
あまりに大きな結果に、私は状況が飲み込めなかったが、祐美さんは素直に喜んで、私たち後輩に「ありがとう」と言ってくれた。
思えば、祐美さんはじめ、3年生には迷惑ばかりかけていた。1年生でダメ彼につかまってから、部活は休みがちになった。全休した春休みに起こしたのが「染髪停学事件」。その後も、私が停学にならなければ起きなかったトラブルが多々あった。
いつも解決してくれたのは、祐美さんだ。
これは神様からの贈り物だ。ここで恩返ししなくて、いつチャンスが来るのだろう? もう、すべてを部活にささげて、全力を出し切るしかない! いままで遅刻欠席の常連だったのがウソのように、毎日部活に出て、自主練習まで始めてしまった。
「明希、おつかれ! 今日も頑張るの?」
「はい。ちょっとココが、気に入らなくて。」
夏休みに入ると、3年生は進路活動が本格化するらしく、なかなか祐美さんと合奏ができなくなっていた。でも、進路のなにかが終わると、毎日必ず部活に顔を出して、私たちを元気づけてくれていた。
「祐美さんも、進路がんばってくださいね! 応援してますよ!」
いま思えば、私は勇気づけているつもりでも、祐美さんの心をズタズタに切り裂いていたのかもしれない。
吹奏楽をはじめ、文化系部活動の多くは総じて引退が遅くなる。吹奏楽の場合は夏休みにコンクールの地区大会、2学期初めに支部大会。全国にいたっては10月開催だ。
一方で、3年生の進路活動、原田が関係する就職活動は夏休みから始動する。9月に応募開始で、10月には大方決まり始めるのが常だ。つまり、原田は自分の進路活動と部活動の大一番がモロ被りとなってしまったのである。
そして今日。吹奏楽部は北海道支部大会に出陣した。
本番前日に、近くの体育館を借りて、地区大会以来初、約1か月ぶりの合奏をした。3年生が進路活動に専念できるように、と、しばらく3年生は自由参加となっていた。
(え。)
3年生が入った合奏は、ガタガタの一言だった。音が出る出ないの問題もある。音量の違いや、表現のズレは、もはやズレているというより、別々に演奏しているかのようだった。
顧問で指揮者の小寺先生は、激怒するのかと思いきや、何も言わずに3回、曲を通した。すると、だんだん地区大会の演奏に戻ってきた。南風館の音が復活してきたのだった。
「じゃあ、こんな感じで行きましょう。」
合奏はあっさり終わり、残りは自主練習となった。
「5番、南風館高校、銀賞。」
南風館の初支部大会は、あっけなく終わった。全部の団体が金銀銅に振り分けられる吹奏楽の世界では、「銀賞」というのは、つまりすごく良い訳じゃないけど、悪くはないという賞だった。
私は悔しかった。涙も出ないくらい。なんで、とか、どうして、というのはよくわからないけど、たぶんこういう気持ちのことを「悔しい」というのだろう。もっと練習できたんじゃないか。私が停学にならなければ、ゴールデンウィーク合宿も予定通りできたはず。祐美さんたちも、もっと音楽に向き合えたんじゃないか…。たぶんこういうのを「後悔」というのだろう。
表彰式で登壇した祐美さんは、泣いても笑ってもいなかった。寂しそうな表情に見えた。隣の部長は泣いている。もう1人の副部長は笑っている。初出場で「銀賞」は快挙だから、嬉しい部分もある。でも、昨日の合奏から銀賞がとれたなら、金賞がとれたかもしれないと、悔やんでも悔やみきれない。
「明希たちのおかげで、銀賞とれたよ! 来年は、金賞、とってね! 待ってるからね!」
盾を抱えて帰ってきた祐美さんに夢を託された。
支部大会から帰ってきて、私は祐美さんと一緒に小寺先生に呼ばれた。
「じゃあ、祐美。話して。」
私は、なぜだかよくわからないけど、とてもイヤな予感がした。
1か月ほど前の吹奏楽コンクール地区大会。私が所属する南風館高校は万年地区大会落ち、だったのだが…。
「2番、南風館高校、ゴールド金賞。」
「地区代表は、2番、南風館高校!」
まさか、まさかの地区代表だった。創部以来初で、多くの部員にとって初めての支部大会である。正直、想定外、だ。
「ち、地区代表?」
「やった! 明希たちのおかげだよ! ありがとう!」
あまりに大きな結果に、私は状況が飲み込めなかったが、祐美さんは素直に喜んで、私たち後輩に「ありがとう」と言ってくれた。
思えば、祐美さんはじめ、3年生には迷惑ばかりかけていた。1年生でダメ彼につかまってから、部活は休みがちになった。全休した春休みに起こしたのが「染髪停学事件」。その後も、私が停学にならなければ起きなかったトラブルが多々あった。
いつも解決してくれたのは、祐美さんだ。
これは神様からの贈り物だ。ここで恩返ししなくて、いつチャンスが来るのだろう? もう、すべてを部活にささげて、全力を出し切るしかない! いままで遅刻欠席の常連だったのがウソのように、毎日部活に出て、自主練習まで始めてしまった。
「明希、おつかれ! 今日も頑張るの?」
「はい。ちょっとココが、気に入らなくて。」
夏休みに入ると、3年生は進路活動が本格化するらしく、なかなか祐美さんと合奏ができなくなっていた。でも、進路のなにかが終わると、毎日必ず部活に顔を出して、私たちを元気づけてくれていた。
「祐美さんも、進路がんばってくださいね! 応援してますよ!」
いま思えば、私は勇気づけているつもりでも、祐美さんの心をズタズタに切り裂いていたのかもしれない。
吹奏楽をはじめ、文化系部活動の多くは総じて引退が遅くなる。吹奏楽の場合は夏休みにコンクールの地区大会、2学期初めに支部大会。全国にいたっては10月開催だ。
一方で、3年生の進路活動、原田が関係する就職活動は夏休みから始動する。9月に応募開始で、10月には大方決まり始めるのが常だ。つまり、原田は自分の進路活動と部活動の大一番がモロ被りとなってしまったのである。
そして今日。吹奏楽部は北海道支部大会に出陣した。
本番前日に、近くの体育館を借りて、地区大会以来初、約1か月ぶりの合奏をした。3年生が進路活動に専念できるように、と、しばらく3年生は自由参加となっていた。
(え。)
3年生が入った合奏は、ガタガタの一言だった。音が出る出ないの問題もある。音量の違いや、表現のズレは、もはやズレているというより、別々に演奏しているかのようだった。
顧問で指揮者の小寺先生は、激怒するのかと思いきや、何も言わずに3回、曲を通した。すると、だんだん地区大会の演奏に戻ってきた。南風館の音が復活してきたのだった。
「じゃあ、こんな感じで行きましょう。」
合奏はあっさり終わり、残りは自主練習となった。
「5番、南風館高校、銀賞。」
南風館の初支部大会は、あっけなく終わった。全部の団体が金銀銅に振り分けられる吹奏楽の世界では、「銀賞」というのは、つまりすごく良い訳じゃないけど、悪くはないという賞だった。
私は悔しかった。涙も出ないくらい。なんで、とか、どうして、というのはよくわからないけど、たぶんこういう気持ちのことを「悔しい」というのだろう。もっと練習できたんじゃないか。私が停学にならなければ、ゴールデンウィーク合宿も予定通りできたはず。祐美さんたちも、もっと音楽に向き合えたんじゃないか…。たぶんこういうのを「後悔」というのだろう。
表彰式で登壇した祐美さんは、泣いても笑ってもいなかった。寂しそうな表情に見えた。隣の部長は泣いている。もう1人の副部長は笑っている。初出場で「銀賞」は快挙だから、嬉しい部分もある。でも、昨日の合奏から銀賞がとれたなら、金賞がとれたかもしれないと、悔やんでも悔やみきれない。
「明希たちのおかげで、銀賞とれたよ! 来年は、金賞、とってね! 待ってるからね!」
盾を抱えて帰ってきた祐美さんに夢を託された。
支部大会から帰ってきて、私は祐美さんと一緒に小寺先生に呼ばれた。
「じゃあ、祐美。話して。」
私は、なぜだかよくわからないけど、とてもイヤな予感がした。