思いがけないくデートが決まった日、私は母に「ちょっと」と耳打ちされ、夕食後にダイニングに残された。

 「みっちゃん、あなた、わかっているわよね?」
母は最初からエンジン全開の、低い声で切り出した。

 「もう来週には4月になるのよ。わかってる? 7月までに結婚しないと!」

 母の用件は、要はそれ、だった。ペンフレンドのイシューさんと、デビュー前のあきらけいこさんと、2人も同時に気になる人ができたなど、言えない。

 「あなたの結婚に『天乃川の運命』がかかっているのよ!」

 母のひと言が、今は、どこか解せなかった。
 母が言っていること、つまり、我が社が大切にしてきたことというのは、古来日本では「ふつう」のことだった。子が親の仕事を継ぐ。家を継ぐには嫁もしくは婿が必要で、後継の子を産むことが求められる。私が解せないのは「それってどうなんだろう」と思ってしまうからだ。

 「もう『運命のお姫様』なんて無理でしょ! だから母さん、いいお話つけたから、選んでちょうだい。」
しびれを切らした母が差し出したのは、3人のお見合い写真だった。

 1人目は岡本印刷の娘。岡本印刷は我が社のほとんどの本を印刷してもらっている会社だ。社長は母の親戚だか親友だかで、つまりは母と「つながっている」人だ。
 2人目はミス文芸大学。文芸大学は紙の本業界ではハバを効かせている大学だ。「ミス文芸大学」ともなれば、出版業界では引く手数多(あまた)の人材だろう。
 3人目は茘枝(らいち)出版社の娘。実は福井さんの今の職場だ。同業の家ならば、仕事にも理解あるだろうという算段だ。

 定めて、3人とも「天乃川出版社の嫁」にはふさわしからん。しかし、やはり私の胸の「それってどうなんだろう」が、首を縦に振らせない。

 「突然で選ぶのも難しいわよね。4月にはお返事するから、よく考えておいてちょうだい。」

 今日のところは、これで話が終わった。

 「という訳なんですよ。どうしましょう?」
居ても立っても居られなくなった私は、夜分の失礼を承知で詩麻福朗に相談することにした。
「後とり息子って大変なんですね〜」
深刻に悩む私には、詩麻福朗アバターの、軽々しい感じが、うまく中和剤として働いていた。
 「いままで、結婚は『しないといけない』と思ってたんですが、家を会社を守るために結婚って、なんだかなぁと思ってしまって。」
「結婚するなら『貴光の幸せ、天乃川出版社の命運に殉職す』、しないなら『今世紀最大の駆け落ち』って感じですね!」
詩麻福朗はカミホン大賞作家とは思えない、恋バナ好きな女子高生という感じで、食いついてきた。

 「貴光さん! いいですか!」
時刻は午前0時を回ろうとしていたところ、詩麻福朗が威勢良く忠告した。

 「『天乃川出版社の命運に殉職』でもいいです。でも、今の気持ちにケリをつけてからにしてください! 他に好きな人がいる男と結婚するほど、女性に悲しい事件はありません! 玉砕してきてくだ…!」
 詩麻福朗のねずみアバターは、例のごとく途中で消えてしまった。

 部屋を暗くしても眠れず、意を決しイシューさんへの恋文をしたためることにした。好きだ、と伝え、お気持ちには添えません。それが思い描く「玉砕」のカタチだった。

 「では、明日、もう今日ですね。ディナーに連れて行ってくださいね。」

 イシューさんから思いがけず、振られなかった。

 寝不足感を否めないまま、あきらけいこさんとのデートが始まった。
「オ、オハヨう、ございます。今日はおひとりですね。」
「貴光さんおはようございます。父が今日は諸用があるとのことで。」
 ミーティングルームで、あきらけいこさんは紅茶にたっぷりとミルクを入れる。どの所作もゆとりがあり、流れがあり、とにかく美しかった。
 「今日は大事な打ち合わせと、父から聞いているのですが…。」
なんとか、声の震えを抑え、編集員としての本題に入る。

 「ハイ、実はタイトルについてなのですが、あきらけいこさんはどのような思いを込めていらっしゃるのですか?」
そうですねー、と、あきらけいこさんは頬に手を当て、ミルクティーを飲みながら、考えていた。
「ぶっちゃけ、思いつきです。」
あきらけいこさんはティーカップをゆっくりと置き、もとからいい姿勢を正して話してくれた。

 「カミホン大賞をとった詩麻福朗さんの会見を見て、大人の絵本を出してみたいなぁって思ったんです。カミホンの会見で花嫁募集していたじゃないですか。本当は結婚なんかに固執しなくていいのに、しないといけないみたいな世の中が『なんだかなー』と思ってしまって。子どもも大人もみんな光を持っている大事な子なんだよって本を作りたいなぁと。詩麻福朗さんの出版社だから、天乃川さんにしました。」

 「あきらけいこさん…」
ぽーっと、思い人の顔を眺めてしまった。
 実はあの会見に出ていたのは私だった。「結婚しないといけない」のは詩麻福朗ではなく、私だ。でも、結婚しないといけないという境遇に違和感を覚えている。だって、こんなに素敵なあなたに出会えたのだから。

 私は当事者、あきらけいこさんは傍観者という立場の違いこそあれど、同じ思いを抱いて、すべてを告白してしまった。
 「ちょっと、お仕事中に、なにのろけてるんですか! 本気ならディナーでも誘ってくださいよ! 今日はどうですか?」
「キ、今日は、ちょっと…」
「ディナーがダメなら、晩酌は?」

 あきらけいこさんの強情ぶりにおされ、22時からデートの約束を入れてしまった。

 結局私は何がしたい人間なのだろう。
 家のために強制される結婚は嫌だ。でも、結婚したくない訳ではない。「まだいいかな」という感じなのであった。
 ただ、家のために強制されたからこそ想い人が見つかったのも事実、しかも2人。
 冷静に考えると、私は今、ただ二股をかけているサイテーな男である。仕事もできない、サイテーな男に社長など務まるのだろうか。
 イシューさんとの約束より20分も早くついた私は、そんなロクでもないことばかり考え、水で喉を潤していた。

 「おまたせ。」
聞こえたのは、無色透明、ピンクのかすみ草が透けて見えるような、透明感、華やかさ、可愛らしさでいっぱいの声だった。
 「え?」
 そこに立っていたのは、昼間に打ち合わせをしていた「あきらけいこさん」だった。
 「本当に別人だと思ってたんですね。二股をかける男はキライだぞー!」
やっと会えたと思った想い人は、いつも会っていた2人目の想い人と同一人物だった。

 「ツ、つまり、イシューさん=(イコール)あきらけいこさん、っていうこと? ですよね?」
「そうです。優紀くんの大学の友達で、福井の娘です。」
 少々頭が混乱しているが、今の時代、ない話ではない。アバター、仕事、副業、プライベート。昔の人がSNSの裏アカなるものを持っていたように、場面ごとに違う自分を見せ、名前も変える。プライベートで出会った「イシューさん」と、副業で出会った「あきらけいこさん」が同一人物ということも、ない話ではないのだ。
 私はこの奇跡を伝えなくてはと思い、詩麻福朗にアバター電話をかけた。

 ルルル、ルルル、ルルル。

 私は目の前に2つめの奇跡を確認した。

 「はいはーい!」
 イシュー=あきらけいこさんは、詩麻福朗のねずみアバターと同じく、目一杯腕を前に伸ばして手を振った。

 2軒目に入ったのは、いつぞやイシューさんの名刺を眺めて飲み明かしたバーだった。
 「改めまして、『イシュー』こと『あきらけいこ』こと、『詩麻福朗』、改めまして、『福井詩結(ふくいしゆ)』と申します。」
私は初めて想い人の本名を知った。
 「ツ、つまり、私は、本人に恋愛相談をしていた、という訳でありますか?」
 「そのトーリにござりまする。」
詩結さんは深々と頭を下げ、黙っていてすまなかったと付け足した。
 「福朗」という名前を見て、何も疑わず男だと思っていた。
「だって、名前から『女だ』って思われたら、なめられるかも知れないし。」
詩結さんは「福朗」の由来をそう語る。
 最初から私を「男」として意識していた訳ではなく、カミホン大賞を取ってから、意識し始めたらしい。
 「カミホン大賞を取ったとき『本人は出さない』って言ってくれて、惚れちゃいました。」
詩結さんの仕草は詩麻福朗のねずみアバターそのもので、頬に手をあて、ニコッと笑ってみせた。またイチコロだ。

 「私、貴光さんにご提案がござりまする!」
私の抱く「なんだかなー」をほどき、自分の生きる道が見つけてくれたのはフィアンセ詩結だった。