詩麻福朗カミホン大賞受賞以来、天乃川出版社には無数の結婚志願者情報が寄せられた。奇妙なことに、我々社員の負担となる電話は皆無で、社長秘書の母がまとめる郵送物とホームページへの投稿に限られていた。
 母によると、いいかな、と思った縁談について詳細を聞こうとすると、途中でつながらなくなり、どうも私に回せる縁談がないのだという。

 かくいう私は、詩麻福朗対応に追われ、時に代役もつとめ、とても自分の結婚相手探しなどしている余裕はなかった。それに今日は、休みをいただいて他人の結婚式に参列している。

 現代では結婚式の在り方も多様化している。まず、やらないという選択をする夫婦が半数を占めるのが特徴だ。これは180年前に起きた疫病がきっかけらしく、結婚式が「できない」という状況に直面した夫婦が多数生まれたため「やらない」という選択も尊重されるようになってきたらしい。
 そして、アバター開催というのもある。国際結婚が3分の1を占める今、親戚友人のすべてが集まれないという事態も大いにあり得る。アバターの方が衣装代や交通費を節約できるため、参列者にもメリットが多いのがアバター開催の魅力だ。
 しかし、時代は変わってもやはり「対面開催」を希望する夫婦は一定数いるらしい。値は張るが、対面でうまれる人と人と通じ合いが、夫婦にも参列者にも喜ばれる。私の友人も、対面開催を希望し、地元のホテルで近所の友人親戚を招いて、開催の運びとなった。

 「優紀(ゆうき)、このたびは誠におめでとうございます。」
「堅苦しい挨拶はいいよ。ありがとうな、貴光も忙しいだろうに。詩麻福朗は嬉しい悲鳴だな。」
友人優紀は文芸雑誌の記者をしていて、私が詩麻福朗の担当編集員であることも熟知している。
 「まあ、今日はゆっくりしていってくれ。」
優紀は簡単に挨拶を済ませると、別の参列者へあいさつに行ってしまった。

 私が案内された席は1テーブルに5人が座る、新郎友人席だった。新郎の友人という共通点があるだけで、それぞれに接点はない。私は小学生からの幼馴染だが、右隣の男性は高校の部活の友人らしい。その隣の男性は趣味の釣り仲間らしく、私の左隣の女性は中学校の同級生らしい。その隣は。
 「イシュー」
そう呼ばれていた。

 私の左隣の隣に座る女性に、私は一目ぼれをしたらしかった。黒く長い髪が印象的で、前髪をかき分け、肩にたらしていた。爪は短いが、ピンク色のネイルが施されており、優紀と話すたびに頬にあてたり手を振ったりするしぐさが可愛らしかった。結婚式ともなれば、友人であっても着飾り、女性は特に別人のように美しくなる。しかし、晴のおめかしを差し引いても、彼女は美人だった。
 「ちょっと、優紀!」
私は、友人席から去る優紀を小声で呼び止め、会場の隅に連れ出した。
「あの、その、『イシュー』さんって、何者なんだ?」
優紀は「やっぱりか」という感じで得意げに答えてくれた。
 「イシューは大学で同じゼミだったんだ。貴光とは違う大学だったもんな。彼女も記者だよ。専門は国際政治。」
「『イシュー』って本名?」
「いや、あだ名だったけど、通称にしたってところかな。本名は、そういえば知らないな…。」
 現代においては「通称」を使う人は珍しくない。本名を使わないことで、誹謗中傷に遭った際のダメージを減らすのが狙いだ。アバターをはじめ、実態を伴わない個人のカタチが普及し、誹謗中傷は誰でも受けうるものになるという悲しい変化をたどった。記者となれば芸名感覚で通称を設定する人は多い。優紀も通称で出版社に勤め、記事を書いている。
 「詩麻福朗の恋人候補か? たしかまだ独身のはずだよ。こんな時まで大変だな。ははは。」
「まあそんなところだ。きれいだよな…。」
優紀は忙しそうに、親戚席へ帰ってしまった。

 私はこういう場合に、どうしていいかを知らなかった。アプローチしたい女性が突然目の前に現れた。なんと声をかけていいやら、どういう視線を送ればいいやら。席に戻った私はなんとなくイシューさんを見つめてしまい、気づかれそうになったら目をそらすことを二、三繰り返した。しまいに、食事も飲み物も手につかなくなり、手洗いに立つことにした。
 冷たい水でひたすら手を洗い、平生(へいぜい)をとり戻そうとする。今、私がアプローチすれば他の人はたいてい「詩麻福朗の恋人候補?」と思うはずだ。そこを最大限生かし、まずは、話してみよう。
 そこまでの決意を固め席に戻ると、イシューさんは既に帰ってしまっていた。こんなむなしさを覚えたのは、人生で初めてだ。落ち込んでいると、自席に一枚の名刺が置いてあるのに気づいた。
 「ワールド・ジャーナル・ジャパン 国際政治 イシュー」
 イシューさんの名刺だ。社名と専門、名前だけが書かれた、非常にスマートな名刺だった。彼女の名刺を大事に抱えると、裏に整った文字が書かれていることに気づいた。
「記者をしています。イシューと申します。本日は諸用のためお先に失礼します。優紀くんから編集員をしていると聞きました。今度お話しお聞かせ願えませんか?」

 添えられていたメールアドレスは、会社のものではなさそうだった。

 帰宅は深夜になった。式の二次会は夜8時には終わったが、母が起きている時間に帰りたくなかったのだ。
 独りバーに入ってはイシューさんの名刺を(さかな)にどれだけ飲んでも酔わない酒を飲んだ。名刺を見ているだけで胸が高鳴る。酔うのに酒は不要だった。

 母はなんでもお見通しであるゆえ、今の私に会えば、恋人候補を見つけたことくらい、すぐにわかってしまう。母を避けて帰宅した私は、深夜にもかかわらず、空中画面のパソコンを起動し、プライベート用のメールを開いた。新着メールは1つもない。
 とびきりの恋文を書いては消し、書いては消しを繰り返し、やっと送信ボタンを押した頃には夜が明けていた。

 「イシュー 様
天乃川出版社で詩麻福朗を担当しています、編集員の天乃川貴光と申します。今後ともよろしくお願いいたします。」

 久々に母に起こされたのは、10時すぎだった。あくびの止まらぬ身体を起こし、なんとかリビングへ向かう、つもりだった。
 布団から出てすぐ、空中画面が青く細い光を放っていた。メール通知だ。

 「貴光 様
ご連絡ありがとうございます。私、仕事は記者なのですが、普段は天乃川の本を読むことが多いんですよ。お気に入りは詩麻福朗さんです。」

 「イシューさん
詩麻福朗を読んでいただき、ありがとうございます。自分の担当を差し引いても、詩麻福朗は本当に引き込まれますよね。」

 「貴光さん
詩麻福朗さんも素敵ですが、詩麻福朗の良さを引き出す貴光こそさすがです。どんな本をお読みになるんですか?」

 イシューさんとのメールは断続的に、持続可能なカタチで続いた。やろうと思えばアバター電話も2次元電話、つまりテレビ電話も可能な世の中である。しかし、電子とはいえ手紙の、文通を選ぶ古風なイシューさんに、どんどん心を奪われていった。
 そして、よりリアルな形で、近くでイシューさんを感じたいと、言語化するのが恥ずかしい思いが募っていった。

 「ちょっと、た・か・み・つ、さん! 上の空ですか?」
アバター電話で雑誌取材の打ち合わせをしていた詩麻福朗に、心のうわつきを指摘された。
 「実は…。」
私は詩麻福朗にいわゆる恋愛相談をしていた。

 「それはもう、おデートするしかないじゃないですか。」
「え、それは…。まだ仲がよいわけでもありませんし。」
「アバターの私が言っても説得力に欠けますが、人間、やっぱりリアルが関係づくりの基本ですよ!」

 詩麻福朗は一貫して「会うこと」をすすめた。ただ、私にはまだ進む強さがなかった。
 「会うこと」を目標に、まずは関係を切らさないよう、メールを続けることにした。