2200年の現代、「本」といえば200年ほど前に誕生した「電子書籍」が一般的で、天乃川出版社が出している「紙の本」は一部のマニアしか手にしたことはない。「図書館」というところも、今では昔の資料を保存するに徹し、一般人が行くことはほぼない。
そんな現代に開催されている「カミホン大賞」は「紙本」と「神本」をかけた、紙の本の最高峰である。例年、作家人生の長い、経験豊富な作家が集大成として受賞するのだが、今年は様子が違うようだ。
「ちょっと! 貴光さんも早く支度して! 音声電話が鳴り止まないのよ。」
後継問題が勃発して、少し気まずくなっていた佐藤さんに、1週間ぶりに話しかけられた。コートを着たまま、とりあえず鳴っている音声電話に出た。
「詩麻福朗さんに取材させていただきたいのですが…。」
「取材は全部、後ほど会見するって言って!」
電話の途中で、佐藤さんが指示を叫ぶ。編集員、校正員、営業、全て合わせて10人ほどの社員が全員電話を受けている。こんな状況は勤めて3年で初めてだ。
「取材につきましては後ほど会見を開かせていただきますので、よろしくお願いします。」
言われた通りの返事をして電話を切る。途端にまた電話が鳴る。内容はまったく同じだった。詩麻福朗への取材依頼。私としては喜んでいいのか、嘆くべきなのか、よくわかっていなかった。
詩麻福朗は私が初めて担当した作家だ。私が入社した3年前に原稿を持ち込んだ大学生がいて、当時空いている編集員がおらず、お鉢が回ってきたのが私だった。
詩麻福朗の文章は非常にリズミカルで、読む者の心に響く。その良さを最大限に引き出すため、校正に2年もかけてしまった。
その詩麻福朗への取材依頼。何かスキャンダルを起こしたか、それとも…。
1時間ほどたって、会見準備のための会議を持つことになった。未だ鳴り止まぬ電話は他の社員に任せ、編集長の佐藤さんと担当編集員の私、営業担当の全員とが社長室に呼ばれた。
「何も知らせず、電話対応をさせて、すまない。実は内々に、詩麻福朗がカミホン大賞を受賞すると連絡が来ている。」
カミホン大賞の発表は、たしかに今日の10時を予定している。まさか、私が担当する詩麻福朗が、まだ1冊しか出していない詩麻福朗が受賞するとは。社長、つまり父によると、なにかのミスで、詩麻福朗が受賞することが漏れてしまったらしい。
紙の本を出版する会社にとって、カミホン大賞はまたとない栄誉である。父の病に会社全体が暗くなっていたゆえ、これは久々の明るい話題となったはずだ。普通の作家ならば。
問題は受賞するのが「詩麻福朗だ」という点だ。詩麻福朗は個人情報の一切を非公表として活動している。原稿を持ち込んだ際は大学生だったが、その事実を知っているのは社長の父、編集長の佐藤さん、担当の私の3人だけである。「持ち込んだ」といっても、実際は画面上の電子データのやり取りのみなので、担当の私ですら本人と会うことはもちろん、肉声を聞くことすらしたことがない。
「会見となると、本人が出てこない訳には行きませんからね。どうしたものでしょう?」
やはり、この場を仕切るのは佐藤さんとなりそうだ。リーダーシップという点では、佐藤さんの方がうんと社長に向いている。
「影で登場、とかどうですか? アバターもいいですね。大昔にも顔出しなしの歌手が居たでしょう。彼らの事例を参考にしてみてはどうかと思いますよ。」
営業担当の江田の提案だ。たしかに、大昔の顔出しなしの歌手は白いシーツ越しに影で登場する、ということがままあった。
しかし、作家、小説家とは本来、その生み出す文章で勝負する。肉声で勝負している歌手とはやや事情が異なる。詩麻福朗は文章で認められるために個人情報の一切は非公表としたいと望んでいる。
「私は、影でも本人を会見場に連れ出すのは反対です。」
私は担当編集員として、詩麻福朗の思いを代弁した。アバターも影も、彼の個性が感じられてしまう。彼の文章に別なイメージがつくことを嫌うのではないか、と。
「でも、会見中止はできません。これだけ多くの取材に個別対応はできかねますし、第一、カミホン大賞なんて、もう二度ととれないかも知れないですよ。こんな小さな出版社の、絶好のアピール機会を逃す訳にはいきません。」
江田の主張はもっともだった。「カミホン大賞受賞記念会見」は受賞者だけのものではない。我が社の一世一代の会見なのだ。あと半年で引退の父の大舞台でもある。
「あなた! アバター電話がつながりましたよ! 詩麻福朗さんです!」
ノックも無しに母が社長室に飛び込んできた。社長秘書という役割の母は、電話対応に追われる我々社員に代わり、詩麻福朗に連絡をとろうとしてくれていた。アバター電話とは200年ほど前に一般的となったテレビ電話が3次元化したもので、自分に見立てたアバターすなわち人形が居るかのように相手に映る電話だ。
詩麻福朗のアバターは、ねずみだった。
「貴光さん、みなさん、はじめまして。詩麻福朗です。アバターは初めてでしたよね? 私ねずみ年なので、ねずみです。」
ねずみのアバターはフィギュアスケートのジャンプのように、くるっとジャンプした。見た目はもちろん、そのしぐさからも、いままで思い描いていた「詩麻福朗像」が崩れ落ちた。緻密に計算されつくした文章を書く人であるゆえ、もっと真面目そうな、失礼ながら大人びた雰囲気のアバターを想像していた。
「詩麻福朗さん。私、編集長の佐藤と申します。早速ですがカミホン大賞受賞の内定が来ていますので、記念会見について打ち合わせたいと思います。」
佐藤さんが手短に今の方針を伝えた。
会見は公式発表の後、本日午後に実施する。
本人をカメラの前に出すことはない。
担当の天乃川貴光は本人の影・アバターの出演も控えたいと言っている。
おおかたこんな感じだ。私の意見もきちんと伝えられている。詩麻福朗のねずみのアバターは頬に手を当て、やはりぴょんぴょんと跳ねながら、どうしたものかを考えている。詩麻福朗の知的で大人びたイメージを崩さぬためにも、アバターおよび本人の出演は控えるべきだと、社長室の意見が一致している。
「じゃあ、影の出演で。影代役に貴光さんお願いできますか? 話すことはすべて貴光さんにご連絡しますので。よろしくお願いしま…。」
私の回答も待たず、話の途中でねずみのアバターは消えてしまった。
「え、私が、詩麻福朗の代役?」
「時間もない。では、貴光が代役をつとめるよう手配してくれ。」
父の鶴の一声で、会議は解散となった。
午後2時。佐藤さんの強靭なリーダーシップのもと用意された近所のホテルの一室で、「詩麻福朗カミホン大賞受賞記念会見」が開かれた。
出演者は天乃川出版社社長天乃川貴志、そして影の出演「詩麻福朗」の代役天乃川貴光の2名。図らずも6代目と7代目候補の親子共演となった。詩麻福朗はねずみアバターが貴光の足元に控えており、話すことを逐一、貴光に指図していた。
それにしても、「詩麻福朗カミホン大賞受賞」は出版業界にとって衝撃だった。会場には日本のテレビや出版業界関係者はもちろん、海外の取材陣も数十社構えていた。作家人生の集大成として受賞することが多い賞を新人で謎多き作家が受賞するのは世界の出版界に衝撃を与えた。
予定の内容をすべてこなし、最後の質疑応答となった。実はここが一番の難所だ。詩麻福朗が質問を聞き、その場で考えた回答を私が時差なく話さなければならない。そんな難所も最後の一つというところで、芸能ゴシップの質問が飛んできた。
「詩麻福朗さん、『いいお方』はいらっしゃいますか? 結婚のご予定は?」
足元のねずみアバターは両手で「バツ」を作り、カンペにも「予定なし」と書いてある。そんなことにも気づかず、私は天乃川貴光として質問に答えてしまった。
「け、結婚します! 半年以内にします! 奥さん募集中です!!」
ねずみアバターは会見終了を待たずに消えてしまった。
会見の後、父をはじめ、会社のお偉方から説教の嵐がふってきたことは言うまでもない。私が探すべきは「私の結婚相手」であり、あの場で結婚宣言をすることは「詩麻福朗の結婚相手を募集すること」になる。詩麻福朗には社長である父から直々に謝罪をいれ、私が結婚を急いでいることも裏事情として伝えられた。
「いいんですよ。あの場にいたのは貴光さんですし。こういう、ギャップのある詩麻福朗も面白いですよね。もし、私と結婚したい人が来て、貴光さんのお気に召しましたら、貴光さんにお譲りしますよ。ははは。」
父からの謝罪を受けた詩麻福朗のねずみアバターは軽い調子で許してくれていた。
一方で、母は私の行動を大喜びしていた。
「みっちゃん、よく言ったわね! 詩麻福朗も『自分に来た縁談はすべてあげる』って言っているんでしょ。最高じゃない。絶対7月までに結婚するのよ!」
母は私が「結婚する」ということを忘れていなかったのが喜ばしかったらしい。また、詩麻福朗が縁談を横流ししてくれることも、喜ばしかったようだ。
「みっちゃんも、ちゃんとお嫁さん探すのよ。詩麻福朗の縁談は私が見ておくから。私も探すからね!」
そんな現代に開催されている「カミホン大賞」は「紙本」と「神本」をかけた、紙の本の最高峰である。例年、作家人生の長い、経験豊富な作家が集大成として受賞するのだが、今年は様子が違うようだ。
「ちょっと! 貴光さんも早く支度して! 音声電話が鳴り止まないのよ。」
後継問題が勃発して、少し気まずくなっていた佐藤さんに、1週間ぶりに話しかけられた。コートを着たまま、とりあえず鳴っている音声電話に出た。
「詩麻福朗さんに取材させていただきたいのですが…。」
「取材は全部、後ほど会見するって言って!」
電話の途中で、佐藤さんが指示を叫ぶ。編集員、校正員、営業、全て合わせて10人ほどの社員が全員電話を受けている。こんな状況は勤めて3年で初めてだ。
「取材につきましては後ほど会見を開かせていただきますので、よろしくお願いします。」
言われた通りの返事をして電話を切る。途端にまた電話が鳴る。内容はまったく同じだった。詩麻福朗への取材依頼。私としては喜んでいいのか、嘆くべきなのか、よくわかっていなかった。
詩麻福朗は私が初めて担当した作家だ。私が入社した3年前に原稿を持ち込んだ大学生がいて、当時空いている編集員がおらず、お鉢が回ってきたのが私だった。
詩麻福朗の文章は非常にリズミカルで、読む者の心に響く。その良さを最大限に引き出すため、校正に2年もかけてしまった。
その詩麻福朗への取材依頼。何かスキャンダルを起こしたか、それとも…。
1時間ほどたって、会見準備のための会議を持つことになった。未だ鳴り止まぬ電話は他の社員に任せ、編集長の佐藤さんと担当編集員の私、営業担当の全員とが社長室に呼ばれた。
「何も知らせず、電話対応をさせて、すまない。実は内々に、詩麻福朗がカミホン大賞を受賞すると連絡が来ている。」
カミホン大賞の発表は、たしかに今日の10時を予定している。まさか、私が担当する詩麻福朗が、まだ1冊しか出していない詩麻福朗が受賞するとは。社長、つまり父によると、なにかのミスで、詩麻福朗が受賞することが漏れてしまったらしい。
紙の本を出版する会社にとって、カミホン大賞はまたとない栄誉である。父の病に会社全体が暗くなっていたゆえ、これは久々の明るい話題となったはずだ。普通の作家ならば。
問題は受賞するのが「詩麻福朗だ」という点だ。詩麻福朗は個人情報の一切を非公表として活動している。原稿を持ち込んだ際は大学生だったが、その事実を知っているのは社長の父、編集長の佐藤さん、担当の私の3人だけである。「持ち込んだ」といっても、実際は画面上の電子データのやり取りのみなので、担当の私ですら本人と会うことはもちろん、肉声を聞くことすらしたことがない。
「会見となると、本人が出てこない訳には行きませんからね。どうしたものでしょう?」
やはり、この場を仕切るのは佐藤さんとなりそうだ。リーダーシップという点では、佐藤さんの方がうんと社長に向いている。
「影で登場、とかどうですか? アバターもいいですね。大昔にも顔出しなしの歌手が居たでしょう。彼らの事例を参考にしてみてはどうかと思いますよ。」
営業担当の江田の提案だ。たしかに、大昔の顔出しなしの歌手は白いシーツ越しに影で登場する、ということがままあった。
しかし、作家、小説家とは本来、その生み出す文章で勝負する。肉声で勝負している歌手とはやや事情が異なる。詩麻福朗は文章で認められるために個人情報の一切は非公表としたいと望んでいる。
「私は、影でも本人を会見場に連れ出すのは反対です。」
私は担当編集員として、詩麻福朗の思いを代弁した。アバターも影も、彼の個性が感じられてしまう。彼の文章に別なイメージがつくことを嫌うのではないか、と。
「でも、会見中止はできません。これだけ多くの取材に個別対応はできかねますし、第一、カミホン大賞なんて、もう二度ととれないかも知れないですよ。こんな小さな出版社の、絶好のアピール機会を逃す訳にはいきません。」
江田の主張はもっともだった。「カミホン大賞受賞記念会見」は受賞者だけのものではない。我が社の一世一代の会見なのだ。あと半年で引退の父の大舞台でもある。
「あなた! アバター電話がつながりましたよ! 詩麻福朗さんです!」
ノックも無しに母が社長室に飛び込んできた。社長秘書という役割の母は、電話対応に追われる我々社員に代わり、詩麻福朗に連絡をとろうとしてくれていた。アバター電話とは200年ほど前に一般的となったテレビ電話が3次元化したもので、自分に見立てたアバターすなわち人形が居るかのように相手に映る電話だ。
詩麻福朗のアバターは、ねずみだった。
「貴光さん、みなさん、はじめまして。詩麻福朗です。アバターは初めてでしたよね? 私ねずみ年なので、ねずみです。」
ねずみのアバターはフィギュアスケートのジャンプのように、くるっとジャンプした。見た目はもちろん、そのしぐさからも、いままで思い描いていた「詩麻福朗像」が崩れ落ちた。緻密に計算されつくした文章を書く人であるゆえ、もっと真面目そうな、失礼ながら大人びた雰囲気のアバターを想像していた。
「詩麻福朗さん。私、編集長の佐藤と申します。早速ですがカミホン大賞受賞の内定が来ていますので、記念会見について打ち合わせたいと思います。」
佐藤さんが手短に今の方針を伝えた。
会見は公式発表の後、本日午後に実施する。
本人をカメラの前に出すことはない。
担当の天乃川貴光は本人の影・アバターの出演も控えたいと言っている。
おおかたこんな感じだ。私の意見もきちんと伝えられている。詩麻福朗のねずみのアバターは頬に手を当て、やはりぴょんぴょんと跳ねながら、どうしたものかを考えている。詩麻福朗の知的で大人びたイメージを崩さぬためにも、アバターおよび本人の出演は控えるべきだと、社長室の意見が一致している。
「じゃあ、影の出演で。影代役に貴光さんお願いできますか? 話すことはすべて貴光さんにご連絡しますので。よろしくお願いしま…。」
私の回答も待たず、話の途中でねずみのアバターは消えてしまった。
「え、私が、詩麻福朗の代役?」
「時間もない。では、貴光が代役をつとめるよう手配してくれ。」
父の鶴の一声で、会議は解散となった。
午後2時。佐藤さんの強靭なリーダーシップのもと用意された近所のホテルの一室で、「詩麻福朗カミホン大賞受賞記念会見」が開かれた。
出演者は天乃川出版社社長天乃川貴志、そして影の出演「詩麻福朗」の代役天乃川貴光の2名。図らずも6代目と7代目候補の親子共演となった。詩麻福朗はねずみアバターが貴光の足元に控えており、話すことを逐一、貴光に指図していた。
それにしても、「詩麻福朗カミホン大賞受賞」は出版業界にとって衝撃だった。会場には日本のテレビや出版業界関係者はもちろん、海外の取材陣も数十社構えていた。作家人生の集大成として受賞することが多い賞を新人で謎多き作家が受賞するのは世界の出版界に衝撃を与えた。
予定の内容をすべてこなし、最後の質疑応答となった。実はここが一番の難所だ。詩麻福朗が質問を聞き、その場で考えた回答を私が時差なく話さなければならない。そんな難所も最後の一つというところで、芸能ゴシップの質問が飛んできた。
「詩麻福朗さん、『いいお方』はいらっしゃいますか? 結婚のご予定は?」
足元のねずみアバターは両手で「バツ」を作り、カンペにも「予定なし」と書いてある。そんなことにも気づかず、私は天乃川貴光として質問に答えてしまった。
「け、結婚します! 半年以内にします! 奥さん募集中です!!」
ねずみアバターは会見終了を待たずに消えてしまった。
会見の後、父をはじめ、会社のお偉方から説教の嵐がふってきたことは言うまでもない。私が探すべきは「私の結婚相手」であり、あの場で結婚宣言をすることは「詩麻福朗の結婚相手を募集すること」になる。詩麻福朗には社長である父から直々に謝罪をいれ、私が結婚を急いでいることも裏事情として伝えられた。
「いいんですよ。あの場にいたのは貴光さんですし。こういう、ギャップのある詩麻福朗も面白いですよね。もし、私と結婚したい人が来て、貴光さんのお気に召しましたら、貴光さんにお譲りしますよ。ははは。」
父からの謝罪を受けた詩麻福朗のねずみアバターは軽い調子で許してくれていた。
一方で、母は私の行動を大喜びしていた。
「みっちゃん、よく言ったわね! 詩麻福朗も『自分に来た縁談はすべてあげる』って言っているんでしょ。最高じゃない。絶対7月までに結婚するのよ!」
母は私が「結婚する」ということを忘れていなかったのが喜ばしかったらしい。また、詩麻福朗が縁談を横流ししてくれることも、喜ばしかったようだ。
「みっちゃんも、ちゃんとお嫁さん探すのよ。詩麻福朗の縁談は私が見ておくから。私も探すからね!」