彩~清か色の日常、言葉のリボン

(ナギサside)

<おやつタイム>のみんなは早々に帰ってしまったけど、私は教室に残っていた。
水泳部はオフシーズンだから何もすることはない。

ただ、何となくここに居るのがいいなあって思ったから。

教室の一番後ろにある私の席でポッキーを食べながら黒板を眺めている。
あそこで事件があったんだなあ。

そう思うと、やるせなくなった。


あの時、なにが起きたのかはクラスメイトづたいに聞いた。

飲み物が入った段ボールを抱えて学校に戻ってきたら、救急車が入っていた。

それを見た私はなんだか悪い予感がしたの。
女のカンは当たるじゃないけれど、良くない事態なんだなって。

様子を眺めていると、救急隊員が校舎に入っていった。

しばらくすると、運ばれてくる人物が少しだけ見えた。
その姿は春ちゃんのような気がしたんだ。

……ずっとその場に立ち尽くしていた。

 ・・・
(ゆうside)

僕たちは駅前のスタバでアイスコーヒーを飲んでいた。
シュンが珍しく心配してくれる。

「気分は大丈夫か?
お前までどうなるかと思ったんだ」

「もう大丈夫だよ」

僕は右腕をさすりながら答えた。
それから、素直にごめんなさいと頭を下げた。

みんなにも、親にも心配をかけたような気がした。


あの時、ガラス板の前で春の女の子が倒れこんだ。

僕は最初、何が起きたかわからなかった。
この時、自分の脳が状況を理解するのが拒んだのか、場を見つめることしかできなった。

アヤカが春ちゃんを抱きかかえて、何度も呼び掛けていた

「春ちゃん……、春!
しっかりして、返事してよう」

春の女の子は全身に出血しまって意識が朦朧としていた。
当然、アヤカの制服にも血が付いてしまっていた。

気が動転した彼女が僕に向かって叫んだんだ。

「どうしよう、ゆう。
このままじゃあ、春ちゃんが……」

……死んじゃうかもしれない。

僕は彼女の台詞ではじめて、恐怖を覚えた。
足がすくんだのを今でも覚えている。

情けないことに、僕は何もできなかった……。
でも、なんとか声を絞り出してアヤカに指示をだした。

「春ちゃんを離してあげて」

「どうしてよ、そんなことをしたら……」

「傷口が開くでしょう、タオルで抑えるんだよ」

アヤカはすでに涙目になっていた。

その方法が正しいのかどうか分からなかったけど。
なんとかできることをしようと思ったんだ。

どうにか、無事でいて……それしか考えられなかった

 ・・・

スタバでのんびりしていると、僕の携帯電話が鳴った。
なんとも珍しい、アヤカからの着信だった。

シュンに断って、ちょっと席を外して電話に出た。

「良かった、電話に出てくれた。
あの……、無事でいてくれてよかったよ」

「うん、もう大丈夫だよ」

「どうなるか、不安で仕方がなかった。
春ちゃんのことも、君のことも」

でも、なんだか声が震えているような感じだった。
彼女が初めて見せた弱音だった気がする。

うん、僕は大丈夫だから、と重ねて電話越しに伝える。

「君がやったこと、素晴らしいと思うんだ……。
声が聴きたかったんだ、ありがとう」

そう言って、彼女は電話を切った。


……あの時、春の女の子のために、僕にできることを思いついた。

救急隊員に必死について行って、乗せて欲しいと頼み込んだ。

特別なことは僕にはできないんだ。
でも、彼女が笑顔になってくれること。
それだけは守っていきたいよ。

僕と彼女は血液型が一緒だから、僕には助けることができるんだ……。
━✿━━━━━ 秋の話
(春音side)

眠っていた目を開けると、見知らぬ天井が映った。

それから、首だけで辺りを見回してみる。
大きな窓の風景。
固定されて動かせない右足。
壁に掛かっている、傷づいた制服。

そう、ここは病室だ。

わたしは生きていたんだ。
そして、10年ぶりにやってきた……。

 ・・・

看護師さんがやってきた。

わたしは熱を測って彼女に体温計を渡した。
すると、その人はなんだか楽しそうな表情をしている。

「すてきなお名前ですね。
春が付いた名前だから、春ちゃんと呼びましょうか」

クラスでもこの愛称で通っているから別に悪い気はしない。
とりあえず頭を下げておくことにしよう。
それから、お姉さんは秋華という名前だと教えてくれた。

「今日も熱はないようですね、さすがです!」

彼女は明るくはきはきした声でわたしに声をかけてくれた。
もう一言伝えてきた。
わたしは上の空だったからなんて返したか気にしなかった。

看護師さんが戻ってしまった。

わたしは窓の外に目を向けた、大きな窓枠に青空が写っている。
窓の外から見える景色の方がテレビより楽しいだろうなあと思ったんだ。

それから、壁に掛かっている制服に目をやった。
それを見ながら、大きなため息をついた……。

 ・・・

卓上の時計が午前10時を指していた。
わたしは何もすることが無いので、ベッドの上から外の景色を眺めてみる。

文化祭はもう終わっているな。

ぶつかったガラス板は1枚だけだから、残りでなんとか実施できたと思うんだ。
でも、みんなに迷惑をかけたのは事実だよね。

……血の海なんて、わたし自身、もう見たくなかった。

窓の外は雲が増えて、微かにくすんだような色に変わっていく。
ちょうど窓のある方角に駅ビルのデパートがあるのに気づいた。
そうすると、あっちは学校の方なんだなあ。

考えていると窓の縁にハトが止まって、すぐに飛んで行ってしまう。
合流して4羽になって飛んでいる、自由そうでいいなあ。

<おやつタイム>のみんなを想像して、思わず手を伸ばしてみた。

「いつもあそこに居るのになあ」

わたしはぽつりと呟いた。

まるで、外の景色は窓枠を額縁にしたような<展覧会の絵>みたいだった。
だからこんな言葉を思いついたんだ。

<キリトリセカイ>

この風景を絵画や写真みたいに切り取れたらなあ。
本当にそうだ。

 ・・・

卓上の時計が正午を教えてくれた。
看護師さんが再びやってきて、お昼ご飯を運んできた。

彼女はわたしの前にびしっと立って、こちらを見ながら言ったのだ。

「朝も言いましたけど、ちゃんと食べてくださいね。
あなた朝ご飯食べてないでしょう」

それでも彼女はまだ戻っていかない。
それからね、といたずらっぽい笑みを浮かべて言ったのだ。

「ふふふ。
あなた、あれだけの怪我をしたのにやっぱり可愛いですね。
一緒に救急車に乗って、輸血までした子がいるんですよ」

春ちゃん、魅力あるのね!さすがです!!と言うと、緩く縛ったウェーブの髪を揺らしてナースセンターに帰っていった。

……誰だろう。

 ・・・
(ゆうside)

それから数日経って、図書室に集まって勉強をしていた。

授業の空き時間でもこうして集まることが多い。
今日はナギサとアヤカと一緒だ。

どちらかと言えば静かにしなければいけない雰囲気だけど、雑談程度なら特に注意されることもない。
そんな中、僕の耳にある歌声が流れてきた。

「方程式がわからん」

ほらあ、美少女が~、困っているんだよ~ と一人で歌っていた。
歌声は上手でも下手でもない。
そして美少女だと思ったこともない。

「はいはい」

と、僕は自分の手を止めて彼女の教科書を借りた。
まずここを分解するのが良くて……って説明してあげる。
彼女はまだ理解できていない、というか自分の説明を聞くだけのつもりだ。

しばらくしたら、また歌声が流れてきた。
だけどもみんな無視していて、僕は自分のレポート用紙に目をやる。

すると、彼女はこちらに目線を送ってきた。
気のせいか歌声が大きくなってきた気がする。
だから、僕は明らかに顔を背けてしまった。

彼女は続きを歌いだした。

「ほらあ、美少女が困ってるんだよー 助けてよー」

シカトしないでよう~ と新しい歌詞ができていた。
僕はつい言葉が漏れてしまったんだ。

「それくらい、自分でやりなよ」

言い方も悪かったんだと思う、彼女は唇を尖らせながら答えた

「わかりましたよー、自分でやりますよ~」

彼女の追撃は厳しかった。

「ねえ、そのレポート用紙だって春ちゃんの受け売りでしょう?」

自分の方法を編み出してみなさいよ、
こんなことを言われたように感じたから、つい反論しそうになった……。

「君たち、静かにしなさい!」

ここで声を出したのは美術部の彼女だった。
彼女は机の上に手をたたき、図書室中の視線を集めるような大声で注意してきた。

僕たちは当然のことながら萎縮してしまう。

「ふたりがケンカするなんて珍しいわね」

本気で怒った彼女の目線は何よりも怖い。
鋭い眼光で、今日はお開きにしましょうと宣言されてしまった。

僕たちの言い合いも。
アヤカのお叱りも。
春の女の子がいない喪失感から生まれているのだろう。

 ・・・

仕方なく学校を後にする
あまりにも会話は少なかったから、黄色くなりかけている木々に意識を合わせてみた。

それでも西から降る日差しはかすかに夏のように鋭かった。

お日様のような微笑みを見たい、君の愛で包み込んでくれないかなあ。
まるで、彼女の微笑みのように明るかった。

……春ちゃんの笑顔を見たくなった。

そんな、帰り道だった。

 ・・・
(春音side)

17時になった。
きれいな茜色の空が素晴らしかった。

今日も一日生活することができた。

わたしは昔からの傷口がある左腕に視線を落とした。
沈む夕日に、無事に過ごせたんだと願いをこめた。
(秋華side)

私はナースセンターに戻ってきた。
席に座りながら、あの患者さんがお昼ご飯を食べないのですよ、と愚痴をこぼした。
誰に向けて言ったわけでないのだけど。

「あの高校生の子?
ダイエットかしらねえ」

先輩は書類から目を離さずに言った。
眼鏡の中で目を細めている。

「でも、線の細い子だし、さらに痩せたら危ないっていうか」

それが春ちゃんに対する私の印象だ。
身長はよくある女子の高さだけど、健康診断で"痩せすぎ"と診断されそうな感じだ。
さらに細くなったら大丈夫だろうか。

今日のナースセンターは不思議と静かで落ち着いている雰囲気だった。
私はちょっと困ってしまう。
気分をまき散らかそうとウォータサーバーのスイッチを押した。
思わず紙コップの中に水が溜まっていくのを見てしまう。

ふとテニスの素振りをしてみる。
イケてるだろうか、まだまだフォームはきれいなハズだ。

看護師には毎日こなすタスクが山のようにある。
私は動いてないと落ち着かない性格だから、ちょっとの隙間でも困ってしまう。
先輩が私の方を見て言った。

「いつも言っているでしょ、分かってる?」

「はい、”休めるときに休む”ですね」

なんだか彼女の眼鏡の奥が光ったような気がした。
それを感じると、思わず直立しながら答えてしまう。
正直な話、明日の非番だって申し訳なく感じるよ。

 ・・・

次の日、私はテニスコートの上に立っている。

ここは、家から近くにあるスポーツセンターだ。
屋外のオートテニス施設があるので、存在を知ったらすぐに会員登録をした。
でも、活用したことはあまりなく、来るのも数ヶ月ぶりだった。

濃紺のラインが入った白いTシャツとオレンジのキュロットスカートは私のお気に入りの勝負服だ。
それを少しの風が揺らしている。
そして、腕を伸ばしてラケットをテニスボールマシンの方に向けた。
まるでにらみつけるように、しっかり視線を相手に定めた。

これは私が毎回やっているルーティンだ。

マシンが稼働して、ボールを投げてきた。
私は余裕で跳ね返す。

簡単じゃないか!
私は次から次へとボールを相手コートに返していった。

さあ、どんどん来なさい!

やっぱり身体を動かすのは楽しいなって思う。
もっと、もっと動きたいな……。


……そんなことを考えていると、急に体が重くなった。
あとちょっと腕を伸ばすとボールを返せるのに、寸前のところで掠めてしまう。

そのうち、足が上手く運ばなくなった。
私は焦ってしまった、明らかにペースがおかしくなっている。

まるで、相手に成すがされるままだ。

テニスボールマシンの最後の一投が飛んできた。

それは私の頬を掠めていき、その辺に転がった。
あと数ミリずれていたら顔に直撃だっただろうな。

……私の気持ちは一瞬で冷めた。

もっと動けるはずだったのに、すべて打ち返してやるつもりだったのに。

身体が鈍ったのか、最近の疲労が溜まっていたのだろうか……。

その場に立ちつくす私を冷たい風が撫でる。
やりきれない思いがこみ上げた。

 ・・・

ベンチに座って休憩を取ることにした。
スポーツドリンクを頬に当てて冷やしている。

視線の先には高くなった空に黄色くなりかけた木々があった。
仕事ばかりだったから、季節を感じることが少なくなっているな。
ふと、秋麗なんて言葉があるのかもしれないと思った。

「そうか、もう秋のシーズンなんだな」

私の名前に<秋>が含まれているのは、当然秋に産まれたからだ。
安直な親だなって思うから好きな名前じゃない。

私は小さい頃から身体を動かすのが大好きな少女だった。
テニスとの出会いは中学生で部活に入ったからだ。

そして、良いクラスメイトと出会った。

でも、それはある出来事をきっかけにみんなとは離れてしまう。

私は看護師になる決意を固めたら親はびっくりしてたっけ。
でも、勉強に比例してテニスをやる時間は減っていったな

部活動をこなすのが精一杯だった。

社会人になってからはほとんどテニスをしなかった。
物理的な時間が少ないのはもちろんだけど、家に居る方が体力を回復する気がしたんだ。

社会の波に飲まれて、色々失う……。
どこにでもある話だなって思った。

私は空を見ながら、溜まっていたものを出すようなため息をついた。

秋は物憂げな季節だなって思う。
春や夏は華やかだけど、秋になると少しずつ寒くなっていく、
そうして孤独を感じるんだ。

まるで、テニスで遊ぶのに相手が必要なことのように……。

「仕事、止めようかなあ」

ポツリと呟いた。

 ・・・

シャワーを浴びながら、私は最近入院した女の子のことを思い返していた。
彼女はいつも物憂げに窓の外を眺めているっけ。

<春>が付いた名前なんて珍しいなあ。
まるで、みんながここにいるみたいだ。
……夏も、冬も、元気にしてますか。

秋はここにいるよ。
(春音side)

わたしは夢を見ていた。

誰かの声がする。
真っ白な夢の中……。

海沿いの道には太陽が降り注ぎ、青空はどこまでも果てしない。

左腕を押さえて泣きじゃくるのは子供の頃のわたし。
力いっぱい叫んだ気がするけど、言葉にできなかった……。

「独りにしないで」

わたしの泣き声を聞いたのか、近づいてくるひとりの姿があった。

髪の長い女性だった。
彼女はわたしの前に立ち止まる。
太陽を背にしているから、表情がよく分からない。

お姉さん、泣いているの?

一筋の光るものが、涙だとわかったから。
わたしは彼女の顔をしっかり見ようと見つめてみる。
やっとほほ笑んでいるって分かったんだ。

彼女は腕を伸ばしてわたしを抱きしめてくれた……。

あなたと出会えた奇跡を。
身体の温かさが、涙から伝わる甘い香りが、伝えてくれた。


わたしはここで目が覚めた。

どこか儚い夢だった。
抱きしめてくれた女性は、どういうわけか知っている人だと思った。
それは、夏のお姉さん。

 ・・・
(詠夏side)

今日も喫茶店の扉を開ける。

10月になって、行き合いの空はだいぶ秋めいてきた。
日差しは未だ強くても、街中に流れる風は少し冷たくなっている。
視界の先では桐の葉が一葉落ちた。
これが、残暑の終わりという空気感だろう。

ちょっと肌寒い日だけど、正面のドアを開けておこう。

今日もお客様がくる気配がない。
ドアに付けた風鈴は揺れず、代わりに引いているレースのカーテンが揺れていた。
コーヒーの日に合わせて準備した、豆の小袋は無駄になるかもしれないけれど。
まあ、道楽だから関係ないか、なんて思い直した。

自分が飲む分だから、と小袋のひとつを開けてグラインダーにセットする。
少しミルクを入れようかと冷蔵庫を開けた途端、自分のために考えた企画みたいだなと苦笑した。

そういえば、大量のミルクを入れてコーヒーを飲んでいた客がいた。
春の女の子だ。
彼女はここ数週間来ていなかった。

コーヒーカップの中をスプーンで混ぜながらふと考える。

彼女は自分のことについて語ることはあまりない。
私が言うことを聴いて楽しんでいる感じだった。
まるで、私の台詞を心地良い音楽にして聴いているみたいな。

それでいて、学校や身近であった出来事は楽しそうに話すのにな。

でも、なにか足りないような感じがする。
このお店よりも、学校よりも、もっと近い存在……。

それは、血のつながりを示す言葉。


そのとき、レジに置いてある電話が鳴った。

「はい、<セプトクルール>です。
お電話ありがとうございます」

相手はとても小さい声で電話していたから、思いっきり受話器を耳に押し当てないと相手の声が聞こえてこなかった。

「あの……聞こえますか?
お電話してしまってすみません」

電話したのは誰でもなかった。
春の女の子だったのだ。

……その時、冷たい風がドアの風鈴を鳴らした。

 ・・・