彩~清か色の日常、言葉のリボン

(シュンside)

スタートラインに自分は立った。
目指すはゴールただひとつ、それを睨んでいた。

誰よりも速くたどり着くんだ……。

 ・・・

陸上部。

己との勝負の世界だなって思う。
1分1秒を如何なる時でも狙わないといけないんだ。

昔から体力と運動神経には自信があった、親にもスポーツを勧められた。
ただそれだけだった、だけど自分自身に挑戦してみるものがあっても良いのかもしれない。

軽い気持ちなのかもしれないが入部してみた。


今日は100M走のテストをやっている。
スタートダッシュは完璧だった。
でも、初速はあってもそのままリードするのは難しかった。

あっという間に追い抜かれてしまう。

「そんな……」

なにか高い壁があるのだろうか、一向にあるタイムは上がらなかった。

 ・・・

色んなところに、障害物というのものはあるものだと思う。

今遊んでいる携帯ゲームだってそんな気にさせてしまうものだ。

最近流行りの、巨大モンスターを狩るアクションゲームだ。
モンスターを倒すことができたら、新しい武器を作るための素材が手に入る。
そして新しい狩りに旅立つ。

永遠と遊べるゲームだなって思う。

ゲームといえば、<おやつタイム>の皆が共通して会話できる趣味のひとつだ。

みんなは少なからずゲーム機は持っていた気がする。
小さいモンスターを育成してバトルするゲームは共通項みたいなものだ。

そういえば、ゆうがナギサにゲームを貸してもらっていた

ふと考える、春の女の子はゲームをするのかな。
昼休みのトランプすら初めてだって言ってた、随分楽しそうに遊んでいたっけ。

もし何か遊びたいとか言ったら、自分の古い携帯ゲームでも貸してあげようか。


その時だった、ゲームの音が緊急事態を知らせてくれた。
急いで意識をゲームの世界に戻す。

モンスターが炎のブレスを放っていた。
方向キーを思いっきり入れて、寸前のところでかわすことができた。

でも、こちらに飛んできて爪を立ててきた。
それは回避することができず、ダメージを受けてしまう。

ゲームオーバー……。

「飛んでくるのかっ」

思わず舌を巻いた。
仕方なくコンティニュー。

その後は何度やっても同じだった。
炎のブレスは回避しても、爪はかわすことができない。

装備を変えても攻撃のやり方を変えてみても同じだった。

ゲーム機の充電が切れそうなのに気づいたときには、いつの間にか0時を回っていた。
データをセーブしてベッドの中に入る。

陸上もゲームも同じなのかもしれないな……。
やるからには勝ち上がりたい、でも上手くいかないことだってあるんだ。

「プロになりたいなあ」

俺は地団駄を踏みたい気持ちを抑えて眠りについた。

 ・・・

それから数日経った。

100Mのタイムは相変わらず伸びなかった。
サボっている訳ではないが、もう飽きてきたのを自覚してしまった。

今日は部活が休みの日だから、ゲームセンターにでも行こうか。

そう考えながら歩いていると、<フレンドリィ マート>のフードスペースにて一人の学生の姿を見た。

明るい茶髪だからすぐに誰か分かった。
春の女の子だった。

思わずその場に立ちつくして見てしまった。
彼女の姿はうつむいたままで飲食をしている雰囲気じゃなかった。

……何をしているんだろう。


どういうわけか興味をそそられた。

店内に入り、グレープ味の炭酸飲料を買った。
静かに近づいて、さりげなく彼女の隣に座る。

すると、彼女は小さい目を思いっきり見開いて驚いていた。
ひゃ! と小さな声を上げて、両手を小さな口のところに当てて押さえている。

ドッキリに引っ掛かったような表情というのはこういうものだろうか。

「え?
君、どうして……。
もしかしてわたしは寝てたのかな、見られちゃったの」

恥ずかしいです……、と呟きながら、顔をうつむいてしまう。
なんと、彼女はここで勉強していて気づいてない間に眠ってしまったようだ。

「ほら、飲み物やるわ」

テーブルの上に広がっているノートや教科書の隣に飲み物を置くと、
彼女はうつむいたまま横目で缶を見てきた。

……そのまましばしの時間が過ぎた。

「ありがとう、丁度喉が渇いてたんだ」

彼女が言うには、気になることがあるとこうやって勉強するとのことだ。
帰る途中でも、喫茶店に行ったりするらしい。

「コツコツと進めるのが自分に合うのです」

そういうものだろうか。
自分とはだいぶ勉強法が違うみたいだ。

「なんだろう、勉強のモードに切り替えるみたいなものか?」

「うーん、そうでもないなあ。
あの公式ってなんだっけと思ったら数学の教科書を開くんだよ。
分かったらすぐ閉じるんだ」

大したことじゃないよ、と彼女は簡単に言ってのけた。

 ・・・

<フレンドリィ マート>を出て再び歩いていた。

「少しずつ、か……」

春の女の子は自分にできないことをしていた。
コツコツとこなす姿になんだか好意を覚えたのは気のせいだろうか。

その日の晩、炎のブレスを放つモンスターを倒すことができた。
もしかしたら、陸上のタイムも少しずつ更新できるかもしれない。
(ナギサside)

冷たいプールに身体が浮かび上がる。

私はこの瞬間がたまらなく好きなんだ。
瞑想に近いような、何も考えない時間が過ごせるから。

 ・・・

水泳部。

早く泳ぐことが何よりも大切だ。
それはきれいなフォームや日頃の入念なトレーニングの結果なんだとも思う。

だけど、水と無心に戯れる時間だとも思う。
暑い日差しに対する清涼感みたいなものを感じるんだ。


そのとき、プールサイドに上がってくる足音に気づいた。
顧問だと思っていたら、なんと春ちゃんだった。

プールに浮かび上がったままで首を彼女の方に向ける。

「おや、どったの?」

彼女は半袖のブラウスにスカート、素足だった。
その姿のまま頭を下げてくる。

「さっき、先生に呼び出されて……。
このままじゃ授業のポイントがもらえないって」

……うん。

「水泳部に手伝ってあげるよう話しておくからって」

私は思わず右手を目の上に当て、大きな口を開けて叫んだ。

「忘れてた、顧問がそんなこと言ってたっけー!」

そうだ、春ちゃんは水泳の授業をほとんど見学してたなあ。

 ・・・

水着に着替えた彼女が恐る恐るプールに入る。
私は手を差し伸べて招き入れてあげた。

「……冷たい」

「ふふ、これが良いんじゃないか」

私はそう言うと、彼女の手を離して少し距離を取った。

「少し水に慣れるまで縁に摑まってな~」

プールの端から端まで泳いで見せる、一番得意なバタフライだ。

春ちゃんは縁に手をついたまま、こちらを見つめてくる。
気を良くした私は勢いよくターンして戻ってきた。

上手く決まったハズだ、ひゅーひゅーカッコいいなんて言われてみたい。

「泳げるようになると面白いよ」

さあ、やってみよう!

 ・・・

私は腕を伸ばしながら呼び掛けた。

「もうちょっとこっちおいでよ」

「え、でも……。
待って……」

春ちゃんは小さく呟いた。
しっかりと梯子を掴んでしまい、そのまま動こうとしない。

そっか、この辺深いもんね。

ならば仕方ない。
不敵な笑みを浮かべた私は、彼女の手を無理やり梯子から離して連れて行った。

「ちょっと、深いよう……」

近くで見る春ちゃんの不安そうな表情。
それはなんだかいじらしくて、それだけに特訓のし甲斐があるなって感じさせるんだ。


この辺でいいだろうか。
私の両手を掴ませたまま、浮かんでもらうことにした。

「ほら、水に水平になるように、身体を浮かべるんだよ」

春ちゃんは必死に身体を伸ばそうとしている。
だけど少し浮いたと思ったらすぐに沈んでしまった。

私の手首を必死に掴んでいて、全身に力を入れて強張っているのが伝わってきた。

仕方ないか……。
私は彼女のお腹に手を入れて、下から支えてあげることにした。
春ちゃんはひゃっ、という小さな悲鳴を上げていた。

私は彼女を支えた姿勢のまま床を蹴って浮かびあがった。
春ちゃんの顔がすぐ近くにある、その耳元に静かに語りかけた。

「そのままでいいよ、少しずつ力を抜いて……。
今、私も立ってないよ」

ホントに?
彼女は目線だけで驚いていた。

「……そう、そのまま足を泳がせてごらん」

彼女が静かにバタ足を始めると、私たちは少しずつ進みだした。
まるで、イルカがふたり揃って寄り添うように。

春ちゃんは少しずつ顔を綻ばせてきた……。

 ・・・

あと少しで端にたどり着くタイミングで、彼女が水を飲んでしまった。
急に慌ててしまう。

私は咄嗟の判断で、彼女の身体を引き寄せた。
彼女は必死に私に身を寄せてくる。

「……お母さん」

母親に助けを求める声、慌てた彼女は確かにそう呟いた。
それは私の空耳じゃないと思うんだ。

「よしよし、ここは立てるから落ち着いて」

深呼吸しようか、そう告げると彼女は呼吸を整えはじめる。

抱きしめ合っているのは何だか気にならなかった。
私が彼女の背中をさする度に、彼女の鼓動が伝わってきた。

 ・・・

今日は疲れたけど楽しい一日だった。

スタバの丸いテーブルでお互いの飲み物を掲げて乾杯し合う。
私は最近ハマっているコーヒーフラペチーノを、彼女は店舗限定のいちごみるくフロートを頼んだ。

おごると言ったのが失敗して、財布の中身は空になった。

「そのぅ、ありがとう……」

春ちゃんはほとんど消え入りそうな声で言った。

彼女はとても優しい。
だけども、たまに硬い表情を見せるときがある。

自分では気づいてないと思うけど、放っておけないと思わせる<何か>がある。

今日見せてくれたのは自然体の表情だった。
プールに入った時の不安な顔も、浮かび上がった時の微笑みも、ちょっとドキドキしたのは秘密にしておこう。

それは、写真が好きな<彼>と一緒の空気がするんだ。
(ゆうside)

真っ赤な太陽と暑い日差し、空は雲ひとつない晴天だった。

日本晴れの空の下、高校のグラウンドの中心に立ったナギサが両手を空に向けて声を上げた。

「太陽が味方しているよ、さあやろう!」

<おやつタイム>のみんなもやる気をみなぎらせている。
僕はみんなの表情をカメラに収めてみた。

そう、今日は学校で華のあるイベントのひとつ、体育祭の日だ。
体操着に着替えハチマキをすると否応なしにもやる気が出てくるものだ。
皆で同じ優勝というゴールを目指すから、不思議なイベントだなって思う。

 ・・・

「わー、くるしい!」

ナギサが握りこぶしを作りながら苦い表情をしている。
隣に座るアヤカが彼女の肩に手を置いて落ち着かせている。

「まあまあ、落ち着きなさいよ」

「体育祭をやるからには、ちゃんと勝たないとだよね。
春ちゃんもそう思うでしょ?」

ナギサは一人焦っている。
近くでハチマキの形を整えていた春の女の子が答えた。

「え?
うん、そうだね……」

彼女の気持ちを考えたら無理はない気がした。
午前中の競技がすべて終わっている状況で接戦なのだ。
みんなに諭すように僕は声をかけた。

「まあまあ、みんな落ち着こう。
いいかい? 君一人だけ頑張るわけにはいかないのが体育祭だよ」

ナギサは仕方なく口を閉じた。

「このあと全員参加のリレーがあるじゃない。
ここで勝たないと優勝できない、だからここだけに集中するんだ」

そこにいる全員が静かに頷いた。

 ・・・

全員リレーの号砲がグラウンドに響いた。

第一走者はシュンだ。
全員で推薦しただけのことがある、完璧なスタートダッシュだった。
自信たっぷりの表情はまさしく彼らしいな、って思う。

しばらくしてアヤカの番になった。
足が遅いけれど追いつかれないでバトンを渡していていて、なんとか安心だ。
今まで一位をキープしている。

ナギサの番になった。
彼女も走るのがそこそこ早いから、さらにリードを広げられるだろう。
ナギサから春ちゃん、僕の順番にバトンが渡ってくる。

彼女たちは息の合ったようなバントパスを見せていた。
バトンが、彼女が僕の方に向かってくる……。

……あ。
なんと、僕の目の前で春ちゃんが転んでしまった。

「……早く」

早く起き上がって欲しい。
他のクラスの走者が迫っている。

春の女の子はゆっくりと膝を立てた。

なるほど、彼女の膝は大きく擦りむいている。
足を動かすのも痛そうにしている。

だから、早くバトンを繋げたいという意識なのか、自分の優しさなのか……。

僕は思わず、立ち上がろうとする彼女の手を掴んだ。
バトンではなくて、手が繋がってしまった。

彼女の小さな手を握り締める。
そこから温かい意思を感じることができた。

「バトンは落としてしまったけれど、僕たちはまだ繋がっている」

お互いに頷き合うと、彼女は足元のバトンを拾って改めて渡してくれた。

 ・・・

全員リレーが終わると、案の定ナギサのお叱りを受けた。

「なんで握手してるのよー!?
アイドルの握手会じゃあるまいし」

例えが良く分からないけれど、僕が悪いのは確かだろう。

彼女は腰に手を当ててまだ怒っている。
というか、拗ねている感情を僕に押し付けているようにも感じられた。

全員リレーで負けてしまったわけだ、とりあえず彼女に頭を下げておくことにした。

そこに春の女の子が戻ってきた。
手当てを受けていたようで、膝には大きめの絆創膏が貼られている。

「あ、あの……。
ゆう君を叱らないでください。
後は任せたって言ってくれたのに、わたしが悪いんだから」

ナギサの感情も少しは冷めたようで明るい声で返していた。

「良いの、良いの。
君は気にしちゃだめだよ、悪いのはコイツだから」

なんだか僕が一方的に悪者になっている。
というか、たぶん僕はからかわれているのだろう。

 ・・・

学校の帰り道に、みんなで打ち上げに行った。

<おやつタイム>の皆で行くのは中学生の頃からファミレスのドリンクバーが基本になっていた。
体育祭の日だけにある、特別な時間という訳だ。

「かんぱーい!」

お互いのグラスをコツンとぶつけても、春ちゃんの気分は晴れない感じだった。
よしよし、ナギサが彼女の肩をポンポンと叩く。

「優勝はできなかったんだけど、ちょっとした怪我で済んだからさ」

しかし、春ちゃんは首をゆっくり横に振った。

「わたし、みんなに何もできていなかったから。
それに……優勝は特にいらなかったんだよ」

どういうことだろう。
それは何を落ち込んでいるのだろうか。
春ちゃんが話を続けるのをみんなで待っていた。

「わたしは、この皆で体育祭をやり遂げたかった。
それを自分で無駄にしちゃったんだ、と思うと情けなくて」

……ほんと、自分ってだめだな。
なんと、一人で反省会をはじめてしまった。

やがて、彼女は顔を上げてここに居るみんなの顔を見た。

「みんなの想いが、全員リレーに表れた気がする。
わたし、このクラスでもやっていけそうだなってはじめて思えたんだ」

その満面の笑みは、クラスに馴染めていけそうなことを存分に示していた。
彼女の自信の表れだろう。

きっと、春の女の子はこれからも大丈夫だ。
(春音side)

牛乳が入ったマグカップを片手に、テレビの画面に釘付けになっている。

「240余年の歴史と伝統を誇る、世界3大バレエ団のひとつ……。
<ボリショイ・バレエ>。
いつの時代も世代を超えて、私たちに感動を届けています!」

朝のニュースではバレエ留学に挑む少女のインタビューを放送していた。
わたしと同い年の15歳。
そんな子が、世界に羽ばたこうとしている。

驚くと同時に、夢を追うなんて素敵だと感心してしまった。

わたしは小さい頃にも春ちゃんと呼ばれていた。
バレリーナになるんだ! って言いながら、お母さんのお洒落な化粧台の前でターンをする。

とびきりな笑顔の練習もしてたっけ。

幼稚園のみんなも先生もとても応援してくれていた。
ただ、資金がなくてお母さんが頭を悩ませていたのに薄々感づいていたけれど。

……そして、一瞬の出来事がすべてを奪っていく。

年端もいかないわたしには、悲しい現実が大きくのしかかる。
壊れて消えた夢。
まるで、追い立てられるように生きていくしかなかった。

そんな5歳の頃だった……。

 ・・・

買い物袋を抱えて歩く、暑い午後。

手のひらを軽く開いて握り返してみる。
白い肌にうっすらと浮かぶ血管に、今こうして生きているって思わせるんだ。
春は今、生きているんだ。

この世に生まれたからというのは当たり前だけど。
赤い血液が、温かい<何か>に生かされていると思う。

その時、路地裏を走る車が暑苦しい空気と焦げたカレーの匂いを運んできた。
一気に悪い気分がこみ上げる。
わたしは思わずそこにしゃがみ込み、眩暈を我慢した。

熱中症だろうか。
失敗した、今日は牛乳を飲んだだけだったからなあ。
自販機で水を買って木陰で休む。

ふと、<おやつタイム>の皆が目に浮かんだ。
彼らと仲良くさせてもらって、とても嬉しく思う。

もしもわたしが居なくなったら……、彼らに何を残せるだろうか。

たまに生命 –いのち- について考えたくなる時がある。
だから、わたしの秘密を明かしてしまおうか。

 ・・・

それから数日経った日、わたしは学校のお昼休みに机を並べていた。

水泳部の彼女と美術部の彼女、このふたりとよく一緒にランチを食べている。
ナギサさんがこちらを見ながら話題を切り出した。

「そういえば、春ちゃんって誰か居ないの」

屈託ない笑顔をこちらに見せてくる。
その上がっている口角にはわくわくが込められていた。

誰かってどういうことだろうか。
まさか、彼氏について訊きたいのかなあ。

慌てるわたしはつい両手を顔の前で振った。

すると、ふたりはくすくす笑ってしまう。
ナギサさんがちゃんとした質問をしてくれた。

「彼氏じゃないよ、一緒に高校に来たクラスメイトとか」

わたしはまるで人形劇の糸が解けたようにその場に倒れそうになる。
顔が熱くなったので手で仰ぎながらパックの飲むヨーグルトを一口すすった。

「そんなに顔が赤くならなくたって大丈夫だよー。
聞くのも申し訳ないかなって思ってたけど、少しは春ちゃんのことを知りたいかなって」

「昨日、ふたりでそんな話になったんです」

ナギサさんとアヤカさんは代わる代わる説明してくれる。

わたしは首を横に振って返答に変えた。
確か、だれもいなかった気がする。

「みんなはいつも一緒に居るんだよね」

わたしは彼女らに尋ねてみた。
仲良くて素敵、<おやつタイム>のみんなにはこういう風に感じているんだ。

「私たちは色んな高校を見たけどね、全員揃ってここに進みたいって言ったんだ。
そしたら、みんな合格しちゃって」

そうなんだね、仲良し同士引き合っているのかもしれない。

「わたし、ちょっと事情があって……」

わたしはそう言いかけたけど、午後の授業が迫っていた。
その場はすぐお開きになってしまった。

 ・・・
(ゆうside)

いつの間にか天気が急変していた。

晴れていた空は雲隠れしてしまい、ひんやりした強い風が吹いている。
自転車を走らせるのは危なそうだ。
歩道に自転車を押し入れると、少し先の方に春の女の子がいることに気づいた。

彼女は必死にキャスケットを押さえながら歩いている。
そういえば、外で見る彼女はいつもあの帽子を被っているな。
はじめて出会ったときもそうだった。

風が彼女のスカートを揺らして。
彼女がそちらに気を取られて。

慌てて押さえた瞬間、帽子が飛ばされてしまう。
それは僕の足元に着地した。

「ほら、帽子が落ちたよ」

「ありがとう。
わたし、これを被ってないといけなくて……」

春の女の子はこちらに小走りで走ってくると、僕から受け取った。
そのまま被るのかと思ったら、帽子を持ったままこちらを見つめてくる。

風が彼女の髪だけでなく、瞳を揺らしているような感じがして。
僕は吸い込まれるようにその場から動けなかった。

「あの、わたしって変かなあ?
こんなに明るい茶色の髪だから、外が不安なんだ……」

そうかな。
容姿についてコメントできる自信はないけれど、おかしいところはないと思う。
僕は正直な感想を口にした。

だけども、彼女は苦笑しながら首を横に振った。

「もしかしたら、染めてるんじゃないかって思うでしょ。
でも違うんだ。
もともとこんな色なんだ」

……わたしはみんなと違うんだよ。
そう語る彼女に、つい引き寄せられていた。

「もし、わたしが秘密を持っていたとしたら、知りたいですか」

彼女の瞳はしっかりとこちらの方を見ている。
まるで、君を頼りたい。
そんな意思を感じたから僕は首を縦に振って答えた。

「……君が話したいなら、聞くよ」

彼女は遠い目をして語りだした。

「わたしはね、みんなとは全く違うんだ。
髪の色も、小さい頃の思い出も……」

その言葉は、ただ友人が居ないのかなって思った。
でも、紡がれる言葉は高校生には重いものだった。

「この春から一人暮らししてるんだよ。
訳があって、親戚にお世話になって。
最後にたどり着いた親戚に一番近い高校だから」

僕はしばし言葉が出なかった。
切なくはにかむ彼女の表情をまじまじと見つめてしまった。

「その髪色、素敵でかわいいと思う」

つい口走ってしまったのはこんな言葉だった。
彼女は頬を赤らめて、ありがとうと小声で告げた。

 ・・・
(春音side)

わたしが囲むのはひとりだけの食卓だ。

なんでだろう。
つい自分の秘密を言ってしまった。
落ち着いて考えればさ、秘密の言葉は関係を断ち切ることにつながりかねないのに。

レトルトのカレーはあまり美味しくなかった。

でも、嬉しいこともあった。
髪色が素敵だって、そんなこと言われたことがなかったから。
この髪でも良いんだって思わせてくれた。

<おやつタイム>のみんなと出会って、今後も色んな人と出会うだろう。
そして、わたしの秘密を受け入れてくれる愛しい人と巡り合う。

手をつないで、笑いながら目を閉じれば良いな。
そんな最後を夢にみてみたい。
(ゆうside)

紫陽花はきれいな花だなって思う。

白、青、ピンク……様々な色はどれも表情が違っていて。
可愛らしさもあれば、清楚な感じも見せる。
たしか土壌の違いだったと思うけど、色んな彩りを探すのは楽しい。

多くのイメージは雨の中咲いている場面だろう。
雨が似合う花。
こんなことを考えながら、僕はアパートの軒先で雨宿りをしている。
文字通り、紫陽花を撮影していたら夕立に遭ったわけだ。

カメラは無事だったけど、頭はぐっしょりと濡れている。
それにしても、いつまで降るのだろうか。

どこかに雷が落ちた音がした。

僕は雨が降った日の出来事を思い出していた。

 ・・・

あの日、春の女の子の秘密を知ってしまった。

一人暮らししていると聞いたとき、僕は言葉が出なかった。
大変なんだね、それくらいのことしか言えなかった気がする。

「そうだね……。
案外、自炊生活が楽しいから大したことないよ」

彼女は案外そう言ったけれど。
実際の生活ぶりは想像できるものじゃない。
社会人にもなっていない僕の頭には、簡単じゃないとイメージするしかなかった。

それを軽々とこなす春の女の子はどんな生活をしているのだろうか。
もし、彼女が弱音を吐いたりしたら、僕にできることはあるだろうか。

雨が降ってきたので、それきり別れてしまった。

 ・・・

雨脚は少し強くなった。

まるで銀色の矢みたいな雨は僕に向けて跳ね返り、足元を容赦なく濡らす。
いつまで降るのだろうかという思いが降り積もっていく。
あまり遅くならないうちに帰りたいところだ。

休日の住宅街では人通りは少なく、辺りには雨音しか聞こえていない。
すると、そのリズムを引き裂くような音が響いてきた。
自転車を走らせている音だ。

大変だなあと他人事ではあるが、その姿を目で追ってみる。
それは僕の視界の目の前で止められた。

急いで人が降りてくるも、慌ててしまい自転車を蹴って倒してしまった。

「あっ」

その人物はよいしょ、と急いで自転車を立ち上げている。

振り返ったところで僕と目が合った。
水も滴る茶色のショートヘアーは金髪に輝いているように見えた。
僕は彼女の姿に目を見張る。

「春、ちゃん……」

「ゆう君……」

偶然の出会いは小さな挨拶を生んで。
スーパーの袋が散らばったまま、しばしの間お互いの瞳が合ってしまう。

「おうちに入って」

彼女は静かにつぶやくと家の鍵を開け、僕の手を取って中に引き入れた。

 ・・・

「だいじょうぶ、風邪、ひかない?」

春の女の子は玄関にてバスタオルを渡しながら尋ねてくる。
そして外に行ってスーパーの袋を拾ってきた。

雨にだいぶ濡れてしまったけれど、風邪をひくかは今判断つかないだろう。
それでも、彼女が心配してくれたのはよく分かる。
本当に優しい性格なんだなと実感した。

彼女は薄い水色のモノトーンでまとめたカットソーとフレア調のスカートを着ていた。
それははじめて見る私服で、可愛い姿だった。

でも、全身に雨がかかっていて、僕は凝視できなかった。

彼女はなにかよく分からない表情でこちらを見ている。
そして、上がっていいよと招き入れてくれた。

部屋の中は六畳分くらいの広さなのだろうか。
折り畳みができるテーブルがひとつと、少しの本棚とタンスがあるだけだった。
テーブルの上にはスーパーのチラシと英語の教科書が無造作に置かれている。
そして、部屋の隅にしまい込まれたミシンが気になった。

口には出さずにいたけど、あまり生活感を感じさせない。

春ちゃんはタンスの中をあさりだした。
何をするんだろうと思ったら、手頃なTシャツを出して渡そうとしていた。

「濡れたままだよ。
風邪をひいちゃうから、これ着ててよ」

いやいや、さすがにこちらも恥ずかしくなってくる。
すぐ帰るからと丁重に断った。

「あ、そう」

彼女は首をかしげながらキッチンに向かって行った。
すると、アイスティーを持ってきてくれて、僕の斜め向かいに座った。

「急に雨が降ってきて大変だったよねー。
わたし、近くで買い物してたら降られちゃったの」

君は?
と聞かれた僕は、デジカメのディスプレイを見せながら答えた。

「撮影だよ」

彼女は僕の方に身を寄せて画面を覗き込んできた。
肌が触れそうな距離に、うっすら洗い髪の匂いがしたような気がした。

春の女の子はきれいだなあ、と感嘆していた。

「紫陽花だよね。カラフルな洋服みたい」

……こんな日だと、雨のドレスを着てるのかなあ。

彼女はメルヘンチックな一言を言った。
なかなか文学的な印象のような気がして、僕もほほ笑んでしまう。

そういえば、このクラスになってはじめて写真の話題を出した気がする。
<おやつタイム>の皆は常に知っているから、なんだか新鮮だった。
まるで、ふたりで時間を共有している気になった。

アイスティーが部屋の灯りによって輝いている。
それは嬉しいという気持ちが照らされるような錯覚だった。

「わたし、おかわり入れてくるね」

だから、僕はつい立ち上がった彼女の背中に声をかけていた。
デートのつもりではないけれど、ふたりで出掛けてみたくなったのだ。

彼女の耳に届いたかどうか、それは雷鳴によってうやむやになってしまった……。

 ・・・

一瞬で家中の明かりが消えた。

ブレーカーが落ちたのだろうか。
とにかく玄関に行こう……。

僕は携帯電話の画面を付けて立ち上がった、ライトがあるから少しは見えるだろう。

でも、僕は驚くしかなかった。
それは雷鳴でも暗闇の中でもなかった。

春ちゃんがその場にうずくまってしまったからだ……。

「いやあ、やめて!!」

彼女の肩にそっと手を置くが、春ちゃんはそのまま動けなかった。

ただの雷だけで?

まるで小学生が雷を怖がるような、退行したような印象だった。
僕は彼女の泣きじゃくるような一言が耳元から離れなかった……。

「独りに、しないでよう」

玄関のブレーカーはすぐに上げることができた。

ふたりして居間に戻ってきたけれど、話を続ける空気ではなかった。

彼女は気分が落ち着かないからと横になってしまったからだ。
僕はしばらく待つしかできなかった。

彼女の秘密の奥底までキリトリしてしまった気がした。

この数か月あまり、彼女の姿を見ていた気がする。
好きになるには色んなところを知らないといけないのだろうか。

彼女の髪に、秘密に触れるのは勇気がなかった……。
(春音side)

わたしは学校の帰りに駅前の本屋に行った。

文房具も一通り揃えられていてボールペンひとつとってもたくさんの種類があった。
カラフルなペンが並んでいる彩りは、行くたびに楽しませてくれる。

レポート用紙と緑色のペンを持ってレジに向かっていると、アヤカさんを見つけた。
声を掛けようと思ったけど、出しかけた声をすぼめてしまった。
彼女は美術系の参考書を何冊も眺めていたのだから。

「すごいなあ」

彼女は美術部に入っている。
それは、やりたいことを見つけているといっても良いと思う。
とても羨ましいことだった。

わたしは、何を夢見ていたんだっけ……。

 ・・・

次の日、帰るタイミングがナギサさんと一緒になった。
<フレンドリィ マート>に行く彼女に付き合って歩いている。

「ナギサさんって、やりたいことってないんですか」

彼女は前を向きながら答えてくれた。

「やりたいことかあ。
新作のお菓子とアニメをチェックすることかな」

うーん、予想と違った答えが返ってきた。
コンビニのドアをくぐりながら、昨日の出来事を話してみせた。
エアコンの空気が焼き立てのパンの匂いを運んでくる。
そちらに気を取られたわたしに対して、ナギサさんは先を進んでしまう。

「アヤカはできるやつだからなあ。
勉強はできるし、中学生の頃からやりたい道に進んでいるんだ。
ちょっと羨ましく思うんだ」

本人には秘密だよ、と言いかけた彼女は思わぬ相手に驚いていた。

ん? 何があったんだろう。

ナギサさんの方に進んでいると、なんとアヤカさんが居たのでした。
彼女は腰に両手を置いて見下ろしている。
ナギサさんは土下座しそうなくらいに腰をかがめていたのでした。

「どうも、とてもできる人です」

 ・・・

みんなしてフードスペースに座った。
だけども、気まずくて会話をする気になれない。

「なんであんたがココにいるのよ……?
先に帰ったじゃない」

ナギサさんが唇を尖らせながら聞くと、アヤカさんがお茶を飲みながら事情を明かしてくれた。
わたしも紅茶を一口飲んだ。

「喉が渇いただけよ、暑いからね。
春ちゃん、昨日の私のことでしょ? 部活の調べものをしてただけだよ」

参考に色々調べていたそうだ。

「私は美術部だから、そりゃ美術の世界に居るようなもの。
今やりたいから、やってみる、それだけだよ。
筆を折りたくなったら折るし、また手にするかもしれないわね」

今後どうするかは決めてないよ、とアヤカさんは言ってくれた。
ナギサもね、と彼女は目配せをする。

「私は身体を動かすのが好きなだけ、なんだよ」

そんなものかなあ。
わたしはナギサさんがオリンピックで活躍するところを想像していたんだ。
君がくれたドラマにテレビの前で乾杯したかったな。

「そっか、春ちゃんは部活に入らなかったね。
そういえば、ゆうって写真好きなのに、なんで写真部に入らないのかしら」

「ホントだよね、笑っちゃうわ」

なんだか、女子ふたりで盛り上がっている
ナギサさんがこちらを見て語りかけてくれた。

「春ちゃん、まだ気にしなくていいんだよ。
だって、私たち、まだ高校一年生じゃない」

……はじまったばかりなんだよ。
そっか、その言葉に納得したような気がする。

家に帰ったわたしは鍋の中で踊るお湯をぼんやり見つめていた。
今日の晩ごはんはスパゲッティにしようと思っている。

「やりたいことかあ」

考えてこんでいるうちに、お湯はいつの間にか沸騰していた。
お湯はわたしの頬にパチンと跳ねる。
慌てて塩と麺を鍋に入れる。

ぼんやりするところも、慌てるところも、自分の欠点のように思えてしまう。
いつか、見つけられるだろうか。

 ・・・

ある休みの日、わたしは本棚からミシンを引っ張り出してきた。
少し被っている埃を払い落しながらも、まだまだ使えそうで安心した。

これからワンピースを作ろうと思っているんだ。

布地は商店街にあるお店で買ったもの。
とっても肌触りが良くて軽い。
純白という表現がぴったりくるような、白い麻の素材。

「なんて美しいんだろう……」


型紙に合わせて裁ちばさみで切っていく。
……本当にできるのだろうか、不安だけどもう後戻りはできないなあ。

分かれたパーツを待ち針とミシンで縫い合わせていく。
……少しずつ形になっていくんだ、なんだか楽しくなってきた。

さっそく着込んでみた。
……でも、なんだか太く見えるような気がする。


ふと、足元に散らばっている切れ端が目についた。
どれも細長くてベルトのように見える。

……まさか、君たちも使って欲しいの?

ようし、じゃあ腰に付けてみよう。
その切れ端の形を整えて腰に巻きつけてみた。
後ろ側でリボンを作って、ベルトのように調節できるようにしてみよう。
その残りを垂らしてみることにした。

「なんだかしっぽみたいだね」


改めて着てみると、可愛く仕上がっている。

姿見の前に立ってみた。
ワンピースと一緒に自分のこの上ない微笑みが映っている。

そうか、その時わたしは気づいたんだ。
自分のやりたいことって、みんなで日々を過ごすことなんだって。
みんなでお話して、みんなでおやつを食べて。
それだけで楽しいだと思うんだ。

つい気分が良くなって、バレリーナの様にターンをしてみせた。

ワンピースの裾がふわりと舞い上がった。
でも、ある一点に目が止まり動きを止めてしまう。
ここまで肩を出した服は着ないから、気に留めなかったんだ。

左腕の、昔の傷痕。

……この痕は消えないのかなあ。
━✿━━━━━ 夏の話