パレスサイド・パークビルは戦後間もなく建てられた。水回りと外壁の老朽化が激しく、建て直しの計画がすでに立てられていた。エレベーターホールは天井は低いが、新しく竣工した他のビルと比べると異様に広い。入り口の両側に丸い円柱の胡麻斑混じりの大理石が黒光りしていた。エレベーターの動きはアナログの真鍮針で扇型に表示される。ひどく緩慢だった。一緒に待っている若いサラリーマンが呼び出しの赤いプラスティック・ボタンを幾度もせわしなく押しなおす。ボタンの奥の豆電球が点灯しているが、良く見ないと分からない。二、三分でエレベーターが到着した。蛇腹の扉の開閉も緩慢だった。おまけに狭い。若いサラリーマンが降りる人が出て行くのももどかしそうに先に乗り込み、最上階の8階のボタンを押した。土岐は扉が閉まってから、ゆっくりと5階のボタンを押した。それと同時に若いサラリーマンが閉のボタンを押していた。5階に着くとチンと音がする。蛇腹の間から5階の廊下が垣間見える。エレベーターを出ると、正面が扶桑総合研究所の受付になっていた。ブルーの下地にクリーム色の社名の文字とロゴが浮き出ている。
 ここでの最後のアルバイトは、博士課程後期課程を終え、奨学金が打ち切られた研究生のときだったから、訪れるのは二年半ぶりだった。原稿締め切り前の根を詰めて作業をしていたときの追い詰められたような重苦しい気分が思い出された。全面強化ガラス張りの自動ドアを踏み入ると、見慣れた受付の弧形のカウンターがあり、その奥で女子社員が電卓を叩いていた。新入社員のようで、見たことのない女性だった。そこに立つと、なつかしい部屋全体の低い天井が見渡せた。目線の高さの視界は、配置換えされた書架や書類棚で遮蔽されている。古い写真のセピア色のフィルター越しに見ているような気分だった。耳を澄ますと間歇的に激しくキーボードを叩く音が、あちらこちらから澎湃として聞こえてくる。土岐の気配に気付いても、女子事務員が作業を中断しそうになかったので、受付のカウンターから声を掛けた。
「すいません」
と言って、こちらを振り向いたのを確認して、
「産業経済部長の鈴村さんにお会いしたいんですが・・・」
と言いながら咳ばらいをした。喉がカラカラに渇いていたせいか、かすれた声が出た。
「どちらさまですか?」