「東京湾と大阪湾」
と亜衣子は暗示するように言う。
「だけど、奈良と京都は湾岸じゃないでしょ。それに日本に限らず、どの国も、大都市は湾岸に多い」
「和歌山は大都市?違うんじゃない」
と亜衣子は媚びるように言う。
「大阪と地続きだからね。大阪経済圏の周辺に含まれるでしょ」
と土岐が少し気を直して軽く受け答えたところで暫く会話がやんだ。
 エアコンの気だるいモーター音と所員がキーボードを間歇的に叩く音が静寂を支配していた。二人ともビデオ画像を停止させたように体を硬直させて原因を考え込んでいた。
「なぜ女子の自殺率が湾岸で少し高いのか?」
と土岐は亜衣子の反応を気にしながらディスプレイに語り掛ける。土岐の鼻の頭に脂汗でうっすらとてかりがあった。土岐は棒グラフを十年間ずつ五つの期間に分けてデータを作り直した。五〇年代、六〇年代、七〇年代、八〇年代、九〇年代として二十一世紀以降は省略した。
 ついでに、国勢調査のあった五の倍数の年の人口統計をインターネットでダウンロードした。更に五つの期間の中央年の未成年人口を分母にして、自殺率を求めた。五〇年代は一九五五年の未成年人口で、六〇年代は一九六五年の未成年人口で、七〇年代は一九七五年の未成年人口で、八〇年代は一九八五年の未成年人口で、九〇年代は一九九五年の未成年人口で、それぞれ未成年者の都道府県別自殺者数を割った。土岐がグラフを作成している間、亜衣子は作業机から離れ、統計資料室を出て行った。三十分近く自席を空けた。土岐の統計作業が終わる頃勤務の終業時刻が近づいていた。土岐は五十年前から順に自殺率の男女別棒グラフを作成して行った。最初の三十年間の棒グラフを作成したところに亜衣子が戻ってきた。土岐は椅子の背にかけた上体を少し反らせて最初の三十年間の棒グラフを亜衣子に見せた。
「何かの間違いだったのかな?湾岸首都圏の未成年の自殺率は男女とも全国平均と大差ないよ。さっきのは計算間違えだったのかな?」
 亜衣子は土岐の斜め背後に浅く腕組みして立っていた。摩天楼のような棒グラフの背後に隠された秘密があるような気がしてならなかった。棒グラフの中に事故死した青少年の怨霊が宿っているような気がした。他の所員が机の上を整理し始めコピー用紙の擦れ合うざわめきに終業時刻の近づいている気配が感じられた。