円さまが説明をつづける。
「……しかし龍神の側から契約を破棄することもできぬでな。契約というのは強いものよ――村人たちが巫女を選出し龍神に奉仕させている以上、契約の条件は満たされてしまっている。たとえ形だけのものであってもな――」
「神様と人間の約束は……簡単には、破れない」
私は、思わずそうつぶやいた。
そう。……神様と人間の約束は、簡単には破れない。
たとえ、どちらから言い出す場合でも。
契約、というのは強い力を持つ――双方が条件を出して、自身の意志で合意しあって、護っていこうと決めるものだ。……都合が悪くなったから一方的に破棄できる、というものでもない。
「村人たちが、どこまで契約について正しく知っているかはわからないけどね……」
すずさんの言葉に、私はうなずく。
契約についてなんて……村人たちはもう、興味も抱いていないように思う。
「村人たちの信仰が薄ければ、儂らは村に顕現できない。村は幽世、龍神の郷は現世。隔たりは、それはそれは大きくてな――とくに現世の側から幽世に属する我らを見ようとすれば、村人たち自身の信仰が必要になるのだ」
話が進むにつれて。
陽さまの横顔が、険しくなっていく。……まるでなにかを悔やんでいるかのように。
「……事情は、お父様のおっしゃる通りなんだ。村人たちの信仰がそのまま、俺たち龍神の力の源となる。お祖父様の代はまだ、姿を見せることはできずとも村に自由に行くくらいの力は残されていたらしい。でも俺の代になるともう……村に行くことすら、力を溜めねばできない有り様で……」
悔しそうに、絞り出すように、陽さまは言う。
「ひなに手出しをすることは、ずっと、できなかったんだ。ひなが俺たちを心から信じてくれているのはよくわかっていたよ――でも周りの人間たちの不信心に邪魔をされて、顕現できなかったんだ……」
陽さまはそれはそれは苦しそうに声を絞り出して――私を抱き締める力を、ぎゅっと強める。
「だからいまでは、儂らは当代の巫女が命を終えるのを待つしかなくなってしまったのだ――すずの祖父母世代、つまりひなの曾祖母世代から、かの村で巫女が被虐などというとんでもない役割を負わされた挙げ句、三十になれば用済みなどと言い殺されるなどという、酷い一生を送っているとわかってはいても……世代がくだればくだるほど信仰は薄まり、ますます儂らは手出しができなくなった。……現世の人間としての生命を終える瞬間に迎えに行き、娶り、龍神の郷で大事に大事にして幸福にするほかは――どうしようもなくなった。だから巫女を巫女姫として大事に大事に幸福にするのは、儂ら龍神にとっての願いでもあり……幸福でも、あるのだよ」
「……そういうことなんだ。ごめん、ひな、謝っても足りないだろうけど、龍神のせいで生涯つらい思いをさせてしまって、本当にごめん。……小さいころから、ひながまともに扱われていないのを隣でずっと見ていたのに、俺は……俺は、いままで、なんにもできなくて」
「そんな……私は……」
私は陽さまのあたたかい腕のなかで、胸がいっぱいになりながら、本音を、本音だけを絞り出す。……どうか伝わりますように、と願いを込めて。
「龍神様……陽さまが、おそばにいてくださったのだと……知れただけで、充分です」
ほんとうに。
それはほんとうにほんとうに、心の底から思うことだった。
暴力を受けて目覚める朝、飢えて痛くて朦朧とする昼、独り冷たく眠る夜。
おそばにだれかいてくださればと――心のなかですがっていたのは、間違いなく、龍神様だったのだから。
まさか。
ほんとうに、いてくださるなんて――。
「これから俺のすべてをかけて幸せにするからね。ひな。愛しているよ。ずっと、そばで見てきた俺の、俺だけの花嫁……やっと出会えた。もう絶対に離さない。俺が……幸せにする」
陽さまは切実な声で、私の全身を抱きしめる。
「ひなは、ひとりの人間として、龍神の郷で再出発するんだ。……誓ってもいい。俺の心からの愛しさとともに」
自分の生涯を語っていたときとは違う涙が、あふれてきた。
「私なんかが、だめです、そこまで甘えてしまっては……」
陽さまは、私を抱きしめる腕にふいに力を込めて。
でもすぐに力を抜いて……そんなことないよ、と優しい声で言ってくれた。
「甘えればいい。ひなは、俺の可愛い可愛い、小さなお嫁さまだから」
よしよしと、陽さまは私の頭を撫でてくれた。……それはそれは、愛おしそうに。
「……しかし龍神の側から契約を破棄することもできぬでな。契約というのは強いものよ――村人たちが巫女を選出し龍神に奉仕させている以上、契約の条件は満たされてしまっている。たとえ形だけのものであってもな――」
「神様と人間の約束は……簡単には、破れない」
私は、思わずそうつぶやいた。
そう。……神様と人間の約束は、簡単には破れない。
たとえ、どちらから言い出す場合でも。
契約、というのは強い力を持つ――双方が条件を出して、自身の意志で合意しあって、護っていこうと決めるものだ。……都合が悪くなったから一方的に破棄できる、というものでもない。
「村人たちが、どこまで契約について正しく知っているかはわからないけどね……」
すずさんの言葉に、私はうなずく。
契約についてなんて……村人たちはもう、興味も抱いていないように思う。
「村人たちの信仰が薄ければ、儂らは村に顕現できない。村は幽世、龍神の郷は現世。隔たりは、それはそれは大きくてな――とくに現世の側から幽世に属する我らを見ようとすれば、村人たち自身の信仰が必要になるのだ」
話が進むにつれて。
陽さまの横顔が、険しくなっていく。……まるでなにかを悔やんでいるかのように。
「……事情は、お父様のおっしゃる通りなんだ。村人たちの信仰がそのまま、俺たち龍神の力の源となる。お祖父様の代はまだ、姿を見せることはできずとも村に自由に行くくらいの力は残されていたらしい。でも俺の代になるともう……村に行くことすら、力を溜めねばできない有り様で……」
悔しそうに、絞り出すように、陽さまは言う。
「ひなに手出しをすることは、ずっと、できなかったんだ。ひなが俺たちを心から信じてくれているのはよくわかっていたよ――でも周りの人間たちの不信心に邪魔をされて、顕現できなかったんだ……」
陽さまはそれはそれは苦しそうに声を絞り出して――私を抱き締める力を、ぎゅっと強める。
「だからいまでは、儂らは当代の巫女が命を終えるのを待つしかなくなってしまったのだ――すずの祖父母世代、つまりひなの曾祖母世代から、かの村で巫女が被虐などというとんでもない役割を負わされた挙げ句、三十になれば用済みなどと言い殺されるなどという、酷い一生を送っているとわかってはいても……世代がくだればくだるほど信仰は薄まり、ますます儂らは手出しができなくなった。……現世の人間としての生命を終える瞬間に迎えに行き、娶り、龍神の郷で大事に大事にして幸福にするほかは――どうしようもなくなった。だから巫女を巫女姫として大事に大事に幸福にするのは、儂ら龍神にとっての願いでもあり……幸福でも、あるのだよ」
「……そういうことなんだ。ごめん、ひな、謝っても足りないだろうけど、龍神のせいで生涯つらい思いをさせてしまって、本当にごめん。……小さいころから、ひながまともに扱われていないのを隣でずっと見ていたのに、俺は……俺は、いままで、なんにもできなくて」
「そんな……私は……」
私は陽さまのあたたかい腕のなかで、胸がいっぱいになりながら、本音を、本音だけを絞り出す。……どうか伝わりますように、と願いを込めて。
「龍神様……陽さまが、おそばにいてくださったのだと……知れただけで、充分です」
ほんとうに。
それはほんとうにほんとうに、心の底から思うことだった。
暴力を受けて目覚める朝、飢えて痛くて朦朧とする昼、独り冷たく眠る夜。
おそばにだれかいてくださればと――心のなかですがっていたのは、間違いなく、龍神様だったのだから。
まさか。
ほんとうに、いてくださるなんて――。
「これから俺のすべてをかけて幸せにするからね。ひな。愛しているよ。ずっと、そばで見てきた俺の、俺だけの花嫁……やっと出会えた。もう絶対に離さない。俺が……幸せにする」
陽さまは切実な声で、私の全身を抱きしめる。
「ひなは、ひとりの人間として、龍神の郷で再出発するんだ。……誓ってもいい。俺の心からの愛しさとともに」
自分の生涯を語っていたときとは違う涙が、あふれてきた。
「私なんかが、だめです、そこまで甘えてしまっては……」
陽さまは、私を抱きしめる腕にふいに力を込めて。
でもすぐに力を抜いて……そんなことないよ、と優しい声で言ってくれた。
「甘えればいい。ひなは、俺の可愛い可愛い、小さなお嫁さまだから」
よしよしと、陽さまは私の頭を撫でてくれた。……それはそれは、愛おしそうに。