これは、私がまだ幸せになる前、村で巫女として生きた最後の日の話。
今日は、私の誕生日。
そして私の命日だ。
だれが悼んでくれるわけでもない、惜しんでくれるわけでもない。
ただ、三十歳になったから巫女として用済みだと――それだけの理由で、私はこれまで仕えてきた龍神様の守護するという村のひとびとに、殺される。
村からその役割を強いられた巫女として、一生を終える。
人間らしいことは――生涯、ついになにもできなかった。
食器で食事をすることも。あたたかい布団で眠ることも。愛し、愛されることも。
朝早く。
結重神社の奥にある、龍神様がいらっしゃると伝えられる湖のほとりで。
私は村人たちを前に、正座させられていた。
いつぶりかわからないほど久しぶりに着せられた、まともな服。巫女服の正装で――どうせこんなの汚れてしまうから、無意味なのに。
村人たちは、今日の私のためにわざわざ、各々の家から道具を持ってきてくれている。……要らないのに、そんなの。
いますぐに、持って帰ってくれたらいいのに……。
……命など、惜しくはないと思っていたけれど。
やっぱりいざ命日となると――怖いものだな、となんだか他人ごとのように、思った。
木々の狭間から見える、空を見上げる。
……命日は、せめて晴れればいいなと思っていたのに。
あいにくの、曇りだった――しかも、いまにも雨が降り出しそうな、灰色の。
……天気までも、私に味方はしてくれない。
ずっと、願うことが、うまくいったことなどない。
「本日、当代の巫女が役目を終える」
湖を後ろにして、村長が仰々しく、村人たちに宣言する。
村長も村人も立っているから、正座させられている私からすればずいぶん視点が上だ。
村人たちは、静かに頭を垂れているけれど――形式上のものだ。彼らが頭を下げているのは、龍神様やその巫女を生涯務めた私に対してではなく、村でいちばんの権力を持つ村長に対して。あるいは、緊張感ある空気に従っているだけだろう。
「巫女の命を、最後の欠片に至るまで龍神様にお捧げする。みな、龍神様に祈ろう」
村長。……龍神様を、本気で信じてなんかいないくせに。
村人たちだって。龍神様を敬ってなんかいない。
……みな、おざなりに格好だけの祈りを見せる。
龍神様を、もうみんな本気では信じなくなってしまった。
その証拠に、結重神社はいまにも朽ちてしまいそうなほど、古ぼけてしまっている。
神社の最も奥――つまり最も神聖であるはずの龍神様の湖も、水が濁っている。
……神社をいつも綺麗に保つのは、龍神様とのお約束だったはずなのに。
この村は、かつて龍神様の怒りを買って、近くにある川が氾濫して滅ぼされかけたのだという。
当時の村人たちは改心して龍神様に謝罪し、龍神様に心より奉仕することでこの村を護っていただけると、龍神様とお約束したはずなのに――。
私などが、僭越かもしれないけれど。
神社を綺麗にして差し上げたい、と。
もはや廃墟と見まがうほどの結重神社が朽ちていくのを三十年ぶん見ていた私は、いつも思っていた。
たまに村人たちの気まぐれで外に連れ出されるときにも、いつも思っていた。
廃墟同然の結重神社の、社務所とは名ばかりの牢屋に獣同然に閉じ込められてきた私には、神社のお手入れをしたくともできなかった。そもそも、……掃除って、どうやっていいのかわからない。だれも教えてくれなかったし、自分でしてみたこともない。
敵意を剥き出しに、そうでなければただ退屈そうな顔をした村人たちのなかで、小さな子どもたちだけは、不安そうにしていた。
年端もいかない女の子が、不安そうに、母親と母親の抱くおくるみに包まれた小さな赤ちゃんを見る――。
私が巫女に命じられたのは、あの女の子よりも幼いころだった。
次の巫女、……村の犠牲者は、だれになるだろう。
前の巫女もやはり、三十になる誕生日の日が命日になったという。前の巫女が命を終えた年に、孤児だったらしい私が、新しい巫女――いわば犠牲者として、選ばれた。
神社の社務所で食事もろくに与えられないで、でも死ぬことは許されず、村のためにずっとずっと、生かされることになった。
前の巫女も――孤独で、地獄の世界に生きていたのだろうと、……私は勝手に親近感を抱いている。
これから――死後の世界で、会えるのかな。
前の巫女には、家族がいたのだろうか。
私は、孤児だったけれど。
それはそれで、よかったのかもしれない。
自分が、毎日、つらい思いをしているのに、おなじ村に住んでいてなぜ助けに来てくれないのと嘆かなくてもよかったから。
それに。
自分が、殺されるってときに。
村人のなかに、産みの親や血のつながった家族がいて――それなのに助けてもらえずに、ただ殺されていくだけというのは、……悲しかっただろうから。
いや、むしろ――そんな悲しみさえ得られない私は、ほんとうのほんとうに、……不幸だったのかも、しれないけれど。
もうそんなこと考えてもしょうがない。
私の三十年の儚い人生には――龍神様の巫女として結重神社に閉じ込められて孤独に生きる以外、なんにも、なかったのだから。
今日は、私の誕生日。
そして私の命日だ。
だれが悼んでくれるわけでもない、惜しんでくれるわけでもない。
ただ、三十歳になったから巫女として用済みだと――それだけの理由で、私はこれまで仕えてきた龍神様の守護するという村のひとびとに、殺される。
村からその役割を強いられた巫女として、一生を終える。
人間らしいことは――生涯、ついになにもできなかった。
食器で食事をすることも。あたたかい布団で眠ることも。愛し、愛されることも。
朝早く。
結重神社の奥にある、龍神様がいらっしゃると伝えられる湖のほとりで。
私は村人たちを前に、正座させられていた。
いつぶりかわからないほど久しぶりに着せられた、まともな服。巫女服の正装で――どうせこんなの汚れてしまうから、無意味なのに。
村人たちは、今日の私のためにわざわざ、各々の家から道具を持ってきてくれている。……要らないのに、そんなの。
いますぐに、持って帰ってくれたらいいのに……。
……命など、惜しくはないと思っていたけれど。
やっぱりいざ命日となると――怖いものだな、となんだか他人ごとのように、思った。
木々の狭間から見える、空を見上げる。
……命日は、せめて晴れればいいなと思っていたのに。
あいにくの、曇りだった――しかも、いまにも雨が降り出しそうな、灰色の。
……天気までも、私に味方はしてくれない。
ずっと、願うことが、うまくいったことなどない。
「本日、当代の巫女が役目を終える」
湖を後ろにして、村長が仰々しく、村人たちに宣言する。
村長も村人も立っているから、正座させられている私からすればずいぶん視点が上だ。
村人たちは、静かに頭を垂れているけれど――形式上のものだ。彼らが頭を下げているのは、龍神様やその巫女を生涯務めた私に対してではなく、村でいちばんの権力を持つ村長に対して。あるいは、緊張感ある空気に従っているだけだろう。
「巫女の命を、最後の欠片に至るまで龍神様にお捧げする。みな、龍神様に祈ろう」
村長。……龍神様を、本気で信じてなんかいないくせに。
村人たちだって。龍神様を敬ってなんかいない。
……みな、おざなりに格好だけの祈りを見せる。
龍神様を、もうみんな本気では信じなくなってしまった。
その証拠に、結重神社はいまにも朽ちてしまいそうなほど、古ぼけてしまっている。
神社の最も奥――つまり最も神聖であるはずの龍神様の湖も、水が濁っている。
……神社をいつも綺麗に保つのは、龍神様とのお約束だったはずなのに。
この村は、かつて龍神様の怒りを買って、近くにある川が氾濫して滅ぼされかけたのだという。
当時の村人たちは改心して龍神様に謝罪し、龍神様に心より奉仕することでこの村を護っていただけると、龍神様とお約束したはずなのに――。
私などが、僭越かもしれないけれど。
神社を綺麗にして差し上げたい、と。
もはや廃墟と見まがうほどの結重神社が朽ちていくのを三十年ぶん見ていた私は、いつも思っていた。
たまに村人たちの気まぐれで外に連れ出されるときにも、いつも思っていた。
廃墟同然の結重神社の、社務所とは名ばかりの牢屋に獣同然に閉じ込められてきた私には、神社のお手入れをしたくともできなかった。そもそも、……掃除って、どうやっていいのかわからない。だれも教えてくれなかったし、自分でしてみたこともない。
敵意を剥き出しに、そうでなければただ退屈そうな顔をした村人たちのなかで、小さな子どもたちだけは、不安そうにしていた。
年端もいかない女の子が、不安そうに、母親と母親の抱くおくるみに包まれた小さな赤ちゃんを見る――。
私が巫女に命じられたのは、あの女の子よりも幼いころだった。
次の巫女、……村の犠牲者は、だれになるだろう。
前の巫女もやはり、三十になる誕生日の日が命日になったという。前の巫女が命を終えた年に、孤児だったらしい私が、新しい巫女――いわば犠牲者として、選ばれた。
神社の社務所で食事もろくに与えられないで、でも死ぬことは許されず、村のためにずっとずっと、生かされることになった。
前の巫女も――孤独で、地獄の世界に生きていたのだろうと、……私は勝手に親近感を抱いている。
これから――死後の世界で、会えるのかな。
前の巫女には、家族がいたのだろうか。
私は、孤児だったけれど。
それはそれで、よかったのかもしれない。
自分が、毎日、つらい思いをしているのに、おなじ村に住んでいてなぜ助けに来てくれないのと嘆かなくてもよかったから。
それに。
自分が、殺されるってときに。
村人のなかに、産みの親や血のつながった家族がいて――それなのに助けてもらえずに、ただ殺されていくだけというのは、……悲しかっただろうから。
いや、むしろ――そんな悲しみさえ得られない私は、ほんとうのほんとうに、……不幸だったのかも、しれないけれど。
もうそんなこと考えてもしょうがない。
私の三十年の儚い人生には――龍神様の巫女として結重神社に閉じ込められて孤独に生きる以外、なんにも、なかったのだから。