1-1. 万華鏡の花火

 パン!
 軽くはじける音がして、ペットボトルの水は純金に変わり、その煌びやかな黄金の輝きを部屋中に放った。

「や、やったぞ! お、大金持ちだ!」

 その四十キログラムに達する二億円相当の純金の出現に、達也(たつや)はガッツポーズをして叫んだ。
 人類史上数多(あまた)の錬金術師がありとあらゆる方法で挑戦し、なしえなかった金の錬成を、達也はついにやり遂げたのだ。もちろん、金は原子番号七十九の元素であり、化学合成では作り出せないことは中学生でも知っている。しかし、達也はこの世の(ことわり)を知り、スマホをいじるだけでそれを実現したのだ。
 知ることは力、達也はもう一生お金には困らなくなったことに満面の笑みを浮かべ、何度もガッツポーズを繰り返す。

        ◇

 話は半年ほど前にさかのぼる。
 達也は大学での就活のガイダンスを受け、浮かない顔で家路についていた。サークルもバイトもやらず、部屋でパソコン叩いてばかりだった達也にはエントリーシートに書く事が無かったのだ。
「あぁぁぁ、どうしよう……」
 髪の毛をくしゃくしゃとかきあげながら自宅前まで戻ってくると、ガチャリと隣の家のドアが開く。
「いってきまーす!」
 と言いながら、幼馴染の女子高生、陽菜(ひな)が真っ白なワンピースにつややかな黒髪をゆらしながら出てきた。
 久しぶりに見た陽菜はすっかりと大人びて、まつげのすらりと伸びた切れ長の目には色香すら漂っている。
 昔は一緒によく遊んだ幼なじみだったが、最近はお互い忙しく、疎遠になっていた。
「こ、こんにちは」
 よそよそしく少し上ずった声で挨拶をすると、
「あっ、達()ぃ……」
 陽菜はほっそりとした長い指で黒髪を軽く押さえながら、はにかんだ様子で達也を見る。その女性らしいしぐさに達也は戸惑った。ついこないだまでただの元気な子供だったのに、魔法のように女の魅力をまとい始めている。
「お、おでかけ?」
 ドギマギしながら聞いてみる。
「散歩がてら花火を見に行こうかと……」
「あ、今日、花火大会なんだっけ?」
「そう……。い、一緒に……どう……かな?」
 陽菜は上目づかいに達也を見て言う。
「いやでも、もういい場所は取られちゃってるんじゃない?」
「ううん、大丈夫! いい場所知ってるの。そこから見ると花火が万華鏡みたいになるのよ」
 陽菜はそう言ってニコッと花のような笑顔を見せる。
「万華鏡?」
「そう、花火が目の奥でキラキラってはじけるの」
 何を言ってるのか分からず達也は悩む。目の奥ではじける花火など聞いたことが無い。
「ね、行こ?」
 小首をかしげる陽菜。
「うーん、じゃ、ちょっと待ってて。準備してくるから」
「わーい! 急いでね。万華鏡に見える場所は一か所しかないんだから」
 そう言って陽菜はうれしそうに笑った。

        ◇

「ここよ、ここ!」
 多摩川にかかる大きな青い橋、丸子橋にやってくると、陽菜が何の変哲もない欄干の一点を指さした。
「え? ここに何があるって?」
「去年、この場所から花火見たらすごかったの!」
 達也は陽菜の指さす位置から多摩川を眺めたが、特別な事は何もなかった。川は静かに流れ、向こうを東横線が鉄橋を響かせながら通過して行く。
「花火上がったらのお楽しみよ!」
 陽菜はニコニコする。
 達也はそんな陽菜のまぶしい笑顔に、少しドキッとしながらうなずいた。

「達兄ぃは……、彼女……できた?」
 陽菜は伏し目がちに聞く。
「残念ながら、うちの学科男しかいないんだよね」
「ふふっ、良かった」
「よ、良くないよ! 何がいいんだよ!」
 達也はそう喚きながら、昔のノリを思い出し、思わずニヤけた。
「だって、彼女いたらこうして一緒に花火も見られないわよ?」
「いや、まぁ、そうかな? そういう陽菜はどうなんだよ」
「うーん、いろいろ言ってくる人は居るけど、でも、私年上の方が……いいみたい」
 そう言ってちらっと達也を見る。
「と、年上……ね。まぁ、陽菜くらい可愛いと、よりどりみどりなんじゃないかな?」
「か、可愛い?」
 ポッと頬を赤くする陽菜。
「そ、そう思うよ」
「ふふっ、うれしい」
 そう言って陽菜は達也の腕にもたれかかった。達也はふんわりと漂ってくる甘酸っぱい香りに思わず息を飲む。

 それからしばらく、二人は夕暮れの多摩川を眺めつつ、他愛のない事を話しながら打ち上げ時間を待った。
「あと一分よ!」
 陽菜はそう言いながらうれしそうに達也を見つめる。
 達也はニコッとしてうなずくと、群青色に染まる空を見上げた。一番星がかすかに輝きだしている。

 ボン! ボン!
 遠くの方で大輪の花火が美しく夕空を飾る。それはキラキラと光跡を描きながら青へ赤へと鮮やかに色を変えて行った。

「わぁ!」
 陽菜が歓声を上げる。
 達也はそんな陽菜に目をやった。
 陽菜の瞳には、花火の赤や青の鮮烈な光跡が煌めき、まるで宝石のような輝きを放っている。達也は思いがけず素敵な時間になった幸せをかみしめた。
 すると陽菜は達也にニコッと笑い、
「ちょっとここに立って!」
 そう言って、達也を自分の立っていた位置に引っ張る。
 達也は何のことか分からず、言われるままに立って、花火を見上げた。
 直後、大きな花火がズン! ズン! と連続して上がり、その瞬間、達也の目の奥で花火の輝きが万華鏡のように美しい幾何学模様をともなってスパークした。
「はぁ!?」
 達也は何が起こったのか分からずに陽菜をみる。
「ね? すごいでしょ? そこに立つとなぜかそうなるのよ」
 自慢気な陽菜。
 達也は少し顔をずらして花火を見る。すると、万華鏡は消えてしまう。
 そして、元の位置に戻ると、右目と左目で違う映像が展開されるような奇妙なサイケデリックな映像に変化して脳の奥がしびれる。
 達也は混乱した。理系の大学生として物理は得意だったが、こんな現象全く科学では説明できない。見る場所をちょっと変えるだけで見える映像が変わる。そんな事あってはならないのだ。
 達也は自分の目の前に手を伸ばし、何かプリズムでも浮かんでるのではないかとブンブンと手を振ってみるが、そこには何もない。だが、その位置で花火を見ると相変わらず火薬の描く光跡が幾何学模様に複雑な輝きを持って脳髄(のうずい)をゆらした。

「達兄ぃなら理系なんだからこうなる理由わかるでしょ?」
 陽菜はニコッと笑って言う。
「うーん、今すぐには分からないけどちょっと調べてみるよ」
「ふふっ、分かったら教えてね。じゃあ交代!」
 達也は陽菜と場所を交代する。
 そして、うれしそうに万華鏡の花火を楽しむ陽菜を眺めながら悩んでしまった。これは現代物理学を揺るがすとんでもない発見に違いない。しかし、それをどう検証したらいいか……。達也は腕を組み、花火なんてそっちのけで必死にこの現象をどう理解したらいいか考え込んだ。










1-2. 想像もしたくない結論

 翌日、達也はレーザーポインターと鏡で簡単な検証装置を作り、丸子橋にやってきた。その装置は光の進行方向の変化をチェックするもので、二枚の向かい合わせにした鏡の間にレーザーを放ち、レーザー光線は鏡の間を無数に行き来しながら規則的にずれて行くようになっている。もし、光の進み方に変化があるようならレーザー光線の描く模様は変わって見えるだろう。
 達也はレーザーポインターのスイッチを入れ、例の場所にかざした。
 すると、レーザー光線は急に乱れ、規則的だった模様はぐちゃぐちゃになってしまった。しかし数センチメートルずらすとまた規則的に戻ったのだ。
 達也は戦慄を覚えた。何の変哲もないただの橋の上の一箇所ではレーザー光線は微妙に向きを乱される。それは空間的にそこに断裂があるという事。しかし、見た目には変わったところは何もない。幾ら見回しても普通の場所である。一体ここに何があるのだろうか?
 乱れる場所を探っていくと、どうも異常が出る位置は面状に広がっていて、橋の上流側だけでなく、下流側でも同じ現象がみられた。どうも多摩川に合わせてこの異常面が広がっているらしい。隣の橋へ行っても同じだった。さらにスマホの地図を見ながら延長線をたどっていくと、その異常面はなんと国道246号線で曲がっていた。
 達也はあっけにとられた。今までこれは自然な物理現象だと思っていたが、多摩川と国道の上に設定されている。そんな自然現象などない。これは社会的な何かだったのだ。
 街のブロックを覆うように展開された境界面。一体誰が何のために? そもそも、物理的になぜそんなことができるのか?

 実に難問だった。それからしばらく達也は寝る間も惜しんでネットを検索し、うなってはベッドに寝転がり、必死に考え続ける。これは人類史上最大級の発見であると同時に、それは極めて重大な意味を持つ現象だったのだ。

 そして一週間後、ついに一つの結論にたどり着く。それは想像もしたくない結論だった。
 達也はベランダに出て白々と明けてきた東の空を眺め、冷たい朝の風をほおに受けながらつぶやく。
「これが仮想現実空間だって? めちゃくちゃ出来過ぎじゃねーか……」
 そう、達也の出した結論、それはこの世界はMMORPGのようなコンピューター上で作られた世界、仮想現実空間だというものだった。街のブロックを覆う境界面、それはコンピューターの処理単位の境界、つまり、別のコンピューター群との担当区域の境なのだ。そこには若干の誤差とタイムラグが発生するため、川の上や国道に設定されたのだろう。
 今のVRゲームだって見た目は現実世界と見まごうばかりなレベルに達している。桁違いの科学技術を持つ存在なら、この世界をまるっとコンピューター上に構成する事も出来てしまうだろう。もちろん、原子一つ一つを厳密にシミュレートしてたら到底不可能ではあるが、人間の知覚なんて秒間六十回絵を書き換えるTVレベルでもう十分に騙せてしまうのだ。人間の知覚の範囲でうまく無駄な処理を端折(はしょ)れば十分に現実解だろう。
 高速度撮影機器や電子顕微鏡など高度な観測機器に対しては特別処理をすれば十分にごまかせる。
 達也は試算をした。その結果、十五ヨタ・フロップス、今のスパコンの一兆倍の性能があればこの世界をコンピューター上で動かせるらしい。
 しかし、一体、誰が何の目的で?
 達也は腕を組んで考える。まさに神と言っていい存在が、莫大なコンピューターパワーでこの世界を作ったのだ。それには何か目的があるはずだが、それが何なのか達也には全く想像がつかない。まあ、神の考える事などただの人間に分かるわけがないのだが。

「さて……、どうしようかな?」
 達也は朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、大きく深呼吸をするとこの結論をどうしようかと悩む。多摩川での計測結果を丁寧にまとめて発表してもいいが、そんなことしたらこの世界の創造者に見つかってしまう。彼らにとってこの世界が仮想現実空間だとバレるのは避けたいだろう。となると、そんなことしたら自分は消されてしまう。
 達也はブルっと体を震わせると部屋に戻り、ベッドに転がった。

 ふぅ……。
 ため息をつき、スマホを拾ってつらつらと眺めていると陽菜のアイコンが目に入る。
「そ、そうだ、陽菜には言っておかないと……」
 一人で抱えるには重すぎるこの事実。達也は秘密を共有できる相手がいてくれたことに少しホッとして陽菜のLINEトークを開く。
 また会う口実ができたのだ。自然とほほを緩ませながら、ポチポチとメッセージを打っていった。




1-3. 小麦色のJKデータ

「なんかいい事あった?」
 近所のファストフードにやってきた陽菜は、黒髪をかきあげながら開口一番まぶしい笑顔で言った。
「いい事……なのか良く分からないけど、すごい事見つけちゃった」
 達也は苦笑いしながらコーラをストローで吸った。
「ふぅん……、何なの?」
「まぁ長くなるんで……。なんか買ってこよう。ジュースとかでいい?」
「ここではいつもチョコサンデーよ!」
 陽菜はジト目で見る。
「そ、そうだったな。ちょっと待ってて」

       ◇

 達也は発見した内容とその結論を陽菜に丁寧に伝えた。
 陽菜はつまらなそうな顔をして、
「じゃあこれもデータだっていうの?」
 そう言いながらチョコクリームをすくってじっと眺める。
「そうなるね。全部データだよ」
「達兄ぃもデータ?」
 陽菜はいたずらっ子の顔をして達也の顔をのぞき込む。
「……。そう……なんじゃないかな?」
 達也は少しムッとしてコーラを吸った。
「ふふっ、データ、データ」
 そう言いながら陽菜は達也の頬をつついた。
「おい、ちょっとやめろって」
 陽菜の手を払いのける達也。
「ふふふっ、じゃぁJKのデータも見せちゃおうかな~?」
 そう言って陽菜はワンピースの肩の所をはだけさせる。健康的な小麦色に焼けた肩には白い水着の跡がくっきりと残っていた。
「わわわ、そういうのは見せなくていいから」
 真っ赤になる達也。優美な曲線を描く白い肌はしっとりとして張りがあり、女性経験の乏しい達也にはまぶしすぎた。
「あら、小さい頃は一緒にお風呂にも入ったじゃない」
 ニヤニヤしながら陽菜は言う。
「分かったからしまって」
 達也はコーラを飲みながらキョロキョロと周りを見回す。
 水着跡の下の方の優美に盛り上がった膨らみには、ツルペタの幼児体形の面影など微塵(みじん)も残っていなかった。
「友達の紫杏(しあん)ちゃんとこないだプールに行ってきたのよ。いい色に焼けたでしょ?」
 うれしそうにチョコクリームをパクッと食べる陽菜。
「楽しそうで何より」
「紫杏ちゃんすごいのよ、水の上をタッタッタと走るのよ」
「ふーん、それはすごい」
 達也はコーラのフタを取って、小さな氷を口に含むとシャリシャリと噛んだ。
「あ、信じてないわね? 彼女、なんかスペシャルなのよ。テストの点数も全部八十八点とかだし」
「全部?」
「そう、数学も物理も現国も日本史も全部八十八点。期末も中間もずっと。八十八は縁起がいいんだって」
 達也はその変なお友達の話をどうとらえたらいいか困惑した。全部八十八点を取るなんて全部満点を取るよりはるかに難しい。多分盛ってるだけだとは思うが、不思議な話である。
「ホントよ? 私、全部答案見せてもらったんだから!」
「し、信じるよ。凄い娘だね」
 陽菜の鋭い視線に気圧される達也。
「そうなのよ。今度紹介するわ。でも……」
 そう言って陽菜はうつむいて口ごもった。
「どうしたの?」
「彼女、急に留学に行っちゃって……」
 暗い顔でうつむく陽菜。
「それは寂しい……ね。もしかして何かあった?」
「うーん……。クラスの不良グループがちょっかい出してくるようになって、ちょっとブルーなの」
「ちょっかい?」
「昨日も上履き無くなっちゃって……」
「それはイジメだよ! 先生に言った?」
 達也は気色ばんで言った。友達がいなくなって隙ができた陽菜を標的にし始めたという事だろう。
「もちろん……、言ったけど……。証拠ないしね。先生もどうしようもないみたい」
「そんな! 僕が学校に掛け合ってあげるよ」
「ありがとう。いいの、もうすぐ試験で、その後休みだし……」
 そう言って陽菜はうつむく。
 達也は胸騒ぎを感じつつも、これ以上は踏み込めない歯がゆさを感じていた。




1-4. 金を生むコマンド

「何かうまく使えねーかなー?」
 達也は自宅のベッドに横たわり、天井の模様を眺めながら、折角の発見を生かす方法を探していた。
 この世界が仮想現実空間ならハックしたらいろいろなことができるに違いない。水を金に変えたり、空を飛んだり、物理法則無視したことが自由にできるはずだ。しかし、どうやって?
 それはゲームキャラクターがゲームシステムをいじるような事であって、そう簡単にはできないだろう。しかし、バグのないシステムはない。神が作ったシステムだってバグくらいは必ずあるのだ。それをどう見つけるか? その一点が勝負だった。

 達也はスマホを取り出すとハッキングの調査を進める。もしかしたら現実世界のハッキング手法で使えるものがあるかも知れない。

 つらつらとハッキングテクニックを眺めていると、Rowhammer(ロウハンマー)攻撃というのを見つけた。これはメモリに高速に同じデータを書き込み続ける事で隣のメモリ領域のデータを書き換えるという攻撃手法だった。
 神のシステムにもそういうメモリ領域があるに違いない。そして、メモリのうち一部を超高速で書き換え続けたら管理領域の書き換えができるかも?
「これだ!」
 達也はバッと起き上がるとパソコンに向かった。パソコンで一番速いメモリ領域はL1キャッシュである。ここに最高速で書き込み続けるだけのプログラムを書いてみる。達也は情報系の学科に通っているのでこの辺は得意分野だった。ついでにスマホにも移植してパソコンとスマホの二台でハックを仕掛けてみる。
 しかし、何をどのくらい書き込んだらいいかさっぱり分からないので一分ごとに違う値、違う量で走らせ続けることにした。

      ◇

 それから一ヵ月、達也自身忘れた頃にそれは起こった。

 ズーン!
 達也が留守番しながら昼寝していると、いきなり机の上に置いておいたペットボトルのお茶が轟音を立てながら爆発したのだった。
「はぁっ!?」
 達也は寝ぼけ眼で机を見ると、そこにはズタズタになったペットボトルが転がり、辺り一面に飛び散ったお茶が湯気を上げている。見ると天井にはペットボトルの蓋が突き刺さっていて爆発のすさまじさを物語っていた。

「一体何が……」
 達也がスマホを見ると、黒い画面が開き、『_』がピコピコと点滅している。システムを操作するコンソール画面のようだ。しかし、そんなアプリを入れた記憶はない、一体これはなんだろうか?
 達也は怪訝そうな顔で『?』と、打ってみる。
 すると、コマンドのヘルプ一覧がずらりと現れた。見るとオブジェクトの属性を変えたり操作したりするコマンド群のようだった。さらに各コマンドのヘルプを見て行くと、原子番号の指定法などが載っている。
 達也は眠気がいっぺんに吹き飛んだ。これは神が使うこの仮想現実空間の操作コンソールだったのだ。
 達也は全コマンドのヘルプを必死に読みまくった。物の指定方法、温度、速度、組成などの属性の与え方、コピーや削除のやり方、それはシンプルで、しかし圧倒的な力を持つコマンド群だった。ペットボトルのお茶が爆発したのは、ハッキングによってお茶の温度を数百度に上げるコマンドが勝手に生成されてしまったからだろう。

 達也は二リットルの水のペットボトルを机の上に置き、震える手でコマンドを打った。
『set -obj forward 30cm -att atm 79』
 スマホ正面三十センチメートルにある物体を原子番号七十九、つまり純金に指定したのだ。大きく息をつき、そっと改行を押すと、
 パン!
 軽くはじける音がして、ペットボトルの水は黄金色に輝いた。
「キタ――――!」
 二億円相当の純金に達也は歓喜する。生涯獲得賃金をコマンド一発で生み出したのだ。もはや達也は働かなくていい。一生遊んで暮らせる。それはまさに人生の勝利者誕生の瞬間となった。

 達也はベッドに倒れ込み、何度もガッツポーズをして叫ぶ。
「お、大金持ちだぁ!」

 もちろん、このペットボトルを貴金属買い取りに持ち込んだって、どこから手に入れたのかなど面倒な話になるのは分かってる。でも、銅やアルミなど地味な物を淡々と業者に売りさばけば目立たないだろう。やり方なんていくらだってあるのだ。

 その日、達也は夜遅くまでいろんな物を生み出したり、お菓子をコピーしたり、目を血走らせながらコマンドの使い方を確かめていった。