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「あんた、どういうつもり?」



17時。家に帰ると、おかえりよりも先に母にそう言われた。鋭い視線を向けられ、ギュッと手を握る。手汗がしめっていて、やけに温かかった。



「バイトばっかりして、就活はちゃんとしているの?どうしていつもそうなの。どうしてちゃんとできないの。周りの友達はもうみんな就活頑張って居るんでしょう、あんただけよ、こんな時期にまだバイトばっかりしてるのは」

「……、」

「聞いてるならうんとかすんとか言いなさいよ。あんた口無いの?普通に頑張ることがどうして出来ないの。今頑張らないでいつ頑張るの?常識的に分からない?あんた本当、これからどうするの。娘が就職浪人とかフリーターとか、恥ずかしくておばあちゃん達に顔向けできないでしょう」


今日もよく動く口だ。フツウもジョウシキも聞き飽きた。そんなことよりも、私は まず最初におかえりって言われたかった。そう言ったって、どうせ母は聞いてくれない。くだらないと吐き出すように言われるだけ。母に対して自分の感情を殺すのは、もう慣れっこ。


「これ以上、お母さんのストレスにならないで」
「……それ、そっくりそのままお母さんに返すよ」
「はあ?」



「これ以上、私のストレスにならないでよ、お母さん」



──そう、いつも通りの私だったら。





「普通も常識も義務じゃないよ。みんなと同じことしてるのが普通?就活するのは常識?大学4年になる春休みにバイトしてるのはそんなにダメなことなの?違うのは体裁だけでしょ。社会に出てるのは変わらないのに、そうやってお母さんみたいに言う人がいるから、常識と普通が当たり前になっちゃうんじゃん……っ」



言い返してきた私に、母は驚いたように目を見開いている。口答えしてくるとは思わなかったのだろう。当たり前に私が母の言葉に頷くと思っていたから。だから、そんな顔するんでしょう。


「バカじゃないの、働くことは人間の常識でしょう!?何も大手に入れなんて言ってないじゃない!普通にどこかに正社員で受かってくれたらお母さんはそれで……っ」

「そんな常識押し付けてくんなって言ってんじゃんっ!」



就活生がたった3社しか応募しないのは異常なの。書類選考で落ちて病むのはいけないこと?就活が落ちて当たり前、内定貰えたらラッキーって、誰が最初に言ったの。

必死になって書き出した自分の長所もスラスラと出てきてしまう短所も、お祈りメールが届いた途端、突然無価値なものに見えてくる。それを当たり前って、超えなきゃ行けない壁だって、誰かが決めた当たり前に苦しみたくないよ。



『トモちゃんは感情を隠すのが上手いよね。隠すっつうか、あれか。普段から感情を一定に保ってるのか』
『俺はどんなトモちゃんも好きよ』
『若いんだから、もっと正直に生きな』

『おれ本当なんで生きてんのか分かんないよ、なんの価値もない。おれ、毎日命の無駄使いしてるんだ』



もう疲れたんだ。頑張れない人間なりにここまで頑張ってきたんだ。人をランク付けする常識なんか、人を簡単に傷つける普通なんか、粉々に砕けて全部無くなっちゃえ。


「……ほんと、しょうもない」






───昨夜、……いや、今朝の話。

バーの2階にある西野さんの家にお邪魔した私は、灰崎くんと色んな話をした。眠っていた彼は、西野さんに半ば強制的に飲まされた水で段々と頭が冴えてきたのか、虚ろな瞳に私を映すと、「……うわ、トモちゃん」と青ざめた顔で言った。



「おれ、何言った……?」
「色々、言ってたよ」
「いろいろ……」

「でも、いつもの灰崎くんより、少しだけ身近に感じた」
「……は」

「私たち、似てるのかな。西野さんが言ってた。ジンフィズのカクテル言葉、灰崎くんは知ってるんでしょう」



西野さんは気を使って自室に戻って寝ている。私と灰崎くん、二人分の呼吸がリビングに響く。朝方6時。灰崎くんが目覚めるまで、私はずっと この部屋でこれまでの人生について考えていた。


私はどうしてこんなに空っぽなのか。人に興味が無かったからだろうか。口うるさい母の元に生まれたからだろうか。大学選びを間違えたから?受験期に頑張らなかったから?


違う、そんなんじゃない。私は、ずっと私を好きになれなかったから空っぽだったんじゃないのか。



「…ジンフィズは、トモちゃんにピッタリだとおもうよ」



すっかりアルコールが抜けた灰崎くんの落ち着いた声が、リビングに落ちる。


「カクテル言葉は、『在るがままに』。おれも、西野さんと同じ気持ち。トモちゃんはトモちゃんのまま居てほしい。気使えるし、安易に心を開かない。時々暗い顔してる時もあるけど、それすらも、おれは魅力的だと思ってる」







どうして私は頑張れないんだろうとずっと思っていた。人と同じことをするのが嫌いだった。けれど 母に言うと怒られるから、仕方なくやっていた。


無駄に要領だけが良いせいで、私はやればできる人 みたいに思われているのも嫌だった。やれば出来るじゃなく、やりたくないからやらないんでしょう。勝手にやらせようとしないで、といつも頭の片隅で思っていた。


「トモちゃんはすげーよ。辛いことばっかでもちゃんと生きてる。嘘ついたとしても、ちゃんとさ、常識に馴染もうとしてるんだろ。偉いし、すごい」

「……灰崎くん、悪趣味だ」

「トモちゃんも悪趣味だろ。おれのことすごいって、最初にいったのトモちゃんだから」



灰崎くんは悪趣味だ。私なんかのことをすごいって、おかしな話。

「生きてるだけで凄いよ。だからもう、トモちゃん頑張るのやめよう。そのままでいなよ。やなこと全部無視しよ」
「じゃあ、灰崎くんも笑って誤魔化そうとするのやめよう。早川くんに言い返していいよ。てか言い返しなよ、ムカつくよ、普通に」
「ふはっ、トモちゃん性悪」
「灰崎くんも性悪」


「ハーバードクーラーのせいかなぁ。あれ飲んだから、おれ、トモちゃんとこうやって話せてるのかも」

「……嘘つきでお酒に弱い灰崎くんにピッタリだよね」

「調べた?」
「調べた。気になったから」
「じゃあ、ジンフィズのも知ってた?」
「灰崎くんが寝てる間に調べたよ」
「うわ、あんな説明しちゃってなんか恥ずいわ」



けれどでも、私たちはやっぱり、似ているのかもしれない。





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「もう、お母さんの言う通りにはならない。一回しかない人生、お母さんのものにはしたくないから」

「知《とも》…!」

「お母さんが悪いんじゃないよ。……でも、お母さんのフツウと私のフツウは違うんだ。私、フツウでいるために頑張るの、もう疲れた。私は、私のままでいたい」


お母さんが作った私も、フツウになろうとする私も、くだらないししょうもない。感情を殺して ヘラヘラ笑って みんなと同じように就活してお母さんに反抗しない、自分に嘘ばっかりつく人生。

もういいよ、もうやめよう。もう、飽きたから。


「、なんなのよあんた…っ」
「残念ながら娘だよ。バイトばっかりしててまともに就活も頑張れない、空っぽな娘」
「どこで間違えたの…!?」
「どこも間違えてない。私とお母さんが合わなかっただけ。私、フツウになりたくて生きてるんじゃないから」
「ああぁ、もう、もおぉ……っ」


「ごめんねお母さん、フツウに頑張れなくて、ごめんね」



西野さんと灰崎くんのおかげで、日野さんの来店のおかげで、私はやっとそう思えたよ。