「美味しかったよーありがとう」
「良かったです。またいらしてくださいね」
「もちろん。トモちゃんに会うのが楽しみなんだから」
「もう、お上手ですね」
「まーたかわされちゃった。手強いなぁ。また来るよ、またねトモちゃん」
「ありがとうございましたー」


カランカラン、ベルが鳴る。スーツ姿の男の姿を数人見送ったあと、ようやく店内には静けさが訪れた。

予約3件。個人経営で細々とやっている西野さんのお店にはけっこうハードだった。予約をお断りすれば良かったんじゃないかと思うけれど、どれもこの店の常連の方々だったので、日頃の感謝もあり、せっかくの予約を承らないわけにはいかなかったとのことだった。

「3人ともお疲れ様。いやホント、よく頑張ったわ」

深夜1時半を回った頃。西野さんはそう言って、今日シフトが入っていた3人の前に缶ビールを差し出した。バーは2時まで営業しているのだが、ラストオーダーは1時半で つい先程その時刻を回ったので 本日の営業は終了。大変だったけれど、予約客のみの来店だったので、ラストオーダー前に帰ってくれたこともあり いつもより早くお店を閉めることが出来た。これから片付け諸々はあるものの、あまりにもハードだったので片付ける前に一度乾杯しようぜ、ということらしい。

「ありがとうございます」
「あざーす」

西野さんからビールを受け取った私と早川くんがそれぞれお礼を言う。灰崎くんは「あ、俺今禁酒中でー」と、西野さんに缶ビールを戻していて、西野さんも無理強いはせず、「そうなん?んじゃー代わりに何飲む?」と、グラスを取り出して灰崎くんに問うていた。

「オレンジでもいっすか?」
「いーよ。好きね、おまえ」
「オレンジジュースはいつまでも俺の味方なんで」

へらり、彼が浮かべたのは愛嬌のある笑顔だった。此処の常連の女性の方々や、大人の男性の方々に「灰崎くんはなつっこくて可愛い」と好評の屈託のないキラキラした笑顔。早川くんが裏で毛嫌いしている笑顔。隣にいた彼が、本人に聞こえないように「……顔だけが」と呟いていた声には聞こえないふりをした。

普段とは比べ物にならない忙しさだったこともあり、仕事終わりのビールは体にグッと染みた。

つまらなそうな顔をして働いている未来の私は、毎日こうしてお酒の力に頼って生きていくのだろうか。そうしているうちにアルコールじゃ足りなくなって、ニコチンにも手を出してしまいそうだ。煙草は体に害だと言うけれど、自ら害を求めてしまうほど、社会からの圧や常識に押し潰されそうになるのだとしたら、一概に煙草を良くないとは言えないなと、おもむろにポケットから一本取り出して吸い始めた西野さんを見ながら思った。

「にしてもトモちゃん人気だよねホント。さっきレジしてた村岡さん、冗談抜きでトモちゃんのこと狙ってんじゃない」
「えー、まさか」
「あ、それ俺も思いました。八敷さん心配っすよ、連絡先とか交換しちゃダメですよ?」
「早川はトモちゃんにガチなん?」
「それ本人の前で言うのどうなんすか、デリカシーやばいっすよ西野さん」
「オジサンだから空気が読めねーのよ俺は。悪いね」
「絶対思ってないっすよねそれ…」


西野さんと早川くんのやり取りに、ハハ…と愛想笑いを返す。この手の話は苦手だ。ニタニタ笑う西野さんにも、若干顔をあからめる早川くんにもさして興味が無い。

「実際どうなん、あんくらい年上って。村岡さん大手に務めてるし金は持ってると思うぜ。まあ、多分若干ロリ入ってるかもだけど、根本は悪い人じゃねえな」
「ロリとかマジで無理!八敷さんまじで気をつけてください」
「トモちゃんが好みだったらどうにも出来ないだろ?早川が決めることじゃねーの」
「ええ……八敷さん……」

まだ続くのかこの話。はあ……と溜息をつきながらちらりと灰崎くんに目を向けると、バチッと目が合ってしまった。タイヘンソーダネ、多分そんな感じの意味のアイコンタクト。ソーデスヨ、その意味を含め、灰崎くんにも愛想笑いを返しておいた。