「あんた、いつまで寝てんの!」



ドンドンドンドンドンって、朝起こしに来た親っていうよりヤクザみたいな借金取りがしそうな叩き方。ドアって思っている何倍も薄くて脆いものなんだけどな。そう実感させられる音だった。

「ちょっと、ねえ聞いてるの?お母さん仕事行くから。ちゃんと起きて学校行きなさいよ。お金払ってるんだから」
「……はーい」
「はあ、もう。しっかりしなさいよ本当。じゃあ行ってくるから、戸締りよろしくね」

それから数秒後、階段を降りる足音が聞こえ、バタンッと扉が閉められたのがわかった。布団に潜ったままでも聞こえる。どれだけ乱暴に閉めたんだ。物は大事にした方がいいのに。心の中でそう思っても、もう仕事に出た母にそんな声は届くはずもなかった。

騒がしい朝が終わる。枕元に置いてあるスマホに手を伸ばし時刻を確認すると、8時2分を示していた。

まだ8時だよ。何時までって、あと1時間くらい許容してくれたっていいでしょう。
昨日は深夜までバイトがあったから、寝たのは3時前だった。人間は6時間の睡眠が求められているって何かのテレビで言っていたような気がする。定かではないけれど、6時間必要なのが本当ならばそれは確かにそうだと思うのだ。5時間と6時間じゃ目覚め方がまるで違う。


(…ああもう、朝からうるさいな)

私の日々のサイクルに口を出す母への苛立ちが募る。もう春休みに入ったとつい一週間前に言ったばかりだ。もうすぐ50になろうとしている母は、なんとなく少し忘れっぽくなったような気がする。食卓を囲んでいても同じ話ばかりするし、口を開けば「就活はどうなの」だ。きっとこの家の子供が私じゃなくたってうんざりすると思う。




センター試験に落ち滑り止めだった私立大学に通って3年、春休みが明けたら4年生になる。高いお金と片道1時間半をかけて行く大学にはあまり価値を見い出せないまま、時間だけが過ぎていった。
21歳の春休み。きっと周りは自分の将来に向けて就職活動を進めているのだろう。望んで入った大学だったら楽だったのか、1、2年の頃から将来を見据えて 何かしらの資格取得をめざして講義を取るべきだったのか。考えたところで、毎日バイトに明け暮れ、読書をし、寝るだけの日々を繰り返す私にとってはそのどれもが手遅れである。もうすぐ4年になる学生の正しい春休みを送っているとは思えない、もちろんその自覚もあった。

しかしながら、やりたいことは相変わらず何も無い。公務員も営業も接客も専門職も、何もかもピンと来ない。私がそこで仕事をしているところが、全くもって想像できないのである。インターンには何も参加せず、説明会にも行かなかった。スーツは入学式の時以来着ていないので、今はもうサイズが合わないかもしれない。入学したての頃より体重が5キロほど減った。痩せたといえば聞こえは悪くないが、私の場合は不健康な生活を続けてきた故の痩せなので、全く喜ばしいことではなかった。

SNSはもう2週間近く開いていない。「これから合同説明会」「本格的に就活はじまったつらい」「内定勝ち取るぞ!」とか、3月に入った途端そんな言葉であふれるようになったから。そんな安っぽい言葉を並べて何になるのだ、と思ってしまった。うるせえよ、こっちは今日もバイトしかしてねえよ、とも思った。一応こんな私でも3社ほど『就活』とやらをしているのだが、エントリーシートで当たり前かのように問われる「学生時代に力を入れたこと」と「自己PR」が、驚くほど何も書くことがない。締切まではまだ余裕があるから、と諦めたのが一週間前。そうしているうちに時間は容赦なくすぎている、そんな日々である。

(……履歴書、薬用のリップ、ワセリン、)

バイトの影響か、手が乾燥し赤切れを起こしていた。唇も、冬の乾燥にはなかなか勝てない。ワセリンって意外と高いけど必需品だ。買わないと、後から困る。履歴書は、本屋に売っていると聞いたのに全然置いていないから、世の就活生が皆同じようにその紙切れを求めているのかと思ったなんだか気持ちが沈んでしまい、まだ買えていないものだった。今日こそ買わなければと脳内で呟きながら、重い身体を起こし、ぐーっと伸びをする。日々、特に打ち込むことは無いのに、一丁前に疲労感があった。


こんな私でも、こんな毎日でも、半年後には何処ぞの会社から内定を貰い、さらにまた半年後にはちゃんと仕事をしているのだろうか。つまらない顔してつまらない人生を送っているのかと思ったら、なんだか泣けた。