春野が帰ったあと、僕は春野からもらった漫画を読んでみた。
 それが野球漫画だったことに最初は少し抵抗を覚えたけれど、読みはじめるとすぐにそんな抵抗も忘れるぐらい、引き込まれていた。吃音症の主人公が、野球に出会ったことで成長し、努力で困難を乗り越えていく話だった。

『ねえ倉木くん、面白い漫画があるんだけど、読まない?』
 一巻を読み終え、続けて二巻に手を伸ばしかけたところで、ふいによみがえってきた記憶があった。
 去年の秋。中学校の教室で、春野が僕にそう話しかけてきたときのことを。

『あのね、倉木くんが好きそうな漫画なの。よかったら、わたし貸すから――』
 あの日、春野が言っていたのは、もしかしてこの漫画のことだったのだろうか。
 けっきょく僕は『読まない』と突っぱねて、春野の話を最後まで聞かなかったから、わからなかった。
 いいな、と僕はそのときふて腐れた気分で思っていた。漫画を読む時間も、漫画を買うお金もあるやつは。

『あ……そ、そっか』
 僕の返事を聞いた春野は、ちょっと表情を強張らせ、困ったように笑った。そうしてそれ以上食い下がってくることはなく、すぐに自分の席へと戻っていった。
 その背中がやたら寂しげに見えて、ほんの少し、罪悪感を覚えた気もする。
 けれどそれも、たいしたものではなかった。呑気に漫画なんて読んでいられる春野のことがうらやましくて、妬ましくて、そちらの苛立ちのほうがずっと大きかった。

 久しぶりに、そんなことを思い出したからかもしれない。
 その日の夜、僕は夢を見た。
 いやに鮮明で詳細な、半年前の夢だった。
 僕が春野を忘れられなくなった、その理由となったあの日の。