自分がどこに向かっているか分からない、苦しい時期、本だけが私の逃げ場だった。
受験生の10月。それも模試の前日。冴子とふらりと立ち寄った書店で、表紙に惹かれて購入した本に私はのめりこんだ。
あと一章読んだら勉強しよう。
模試の前日というのに、それを繰り返して、上巻を読み終えしまった。模試が終わり、理系の冴子を待つ間に書店に駆け込み、下巻を買って部室で読みふけった。
その書籍の舞台となった国の文化が私の頭に鮮烈に残り、結果受ける学部学科が決まった。不思議な出会いだった。
受ける学科が決まると私は机に向かうようになった。
安部君もきっと今頃頑張っている。
自主登校になり、安部君の姿をめっきり見なくなっても、私はそう思うことで自分を鼓舞した。
気合。気合いだ。
そして、わずかな可能性を求めて学校に通った。
部室前に安部君の自転車を見つけることは本当に減ってしまったけれど、それでも一目見られるかもしれない、それだけのために私は全速力で自転車をこいで20分かかる学校へ通い続けた。そしてわからないところを毎日先生方に質問した。
夢を見た。
私は川岸で勉強をしている。積み上げられた教科書、参考書がぐらつき、次々と川に落ちていく。
ああ。私の現状そのものだ。
失った時間は取り戻せない。勉強できなかった分は取り戻せない。
ただ、入試直前までできることをひたすらやるしかない。
***
志望学部が決まってからは必死で勉強したつもりだった。
だが、その年は簡単だったと言われたセンター試験の数学で私は撃沈した。
志望大学の前期試験は受けたものの、センター試験の結果の判定はE 。受からないのが分かっていた。それでも万が一の確立にかけた。
安部君との仲も結局、最後まで縮まらなかった。
三年もの不毛な片想い。そして受験の失敗。はたから見ると私は可哀想な人だったのかもしれない。
それでも、私自身にとって高校生活は楽しいものだったと断言できた。その後も付き合いの続くかけがえのない友人を得て、勉強ばかりしていた中学とは真逆の、勉強よりイベントを楽しむ高校生活が送れたからだ。
高校にしては自由な校風。江戸時代からの古い校舎。なにもかもが今となっても懐かしい。
実は中学生の時の私は、志望校に求めるものがなかった。ただ、好きな人である先生を喜ばしたい。それだけで目指した高校だった。
それでも私はこの高校を選んで本当によかったと思えた。
ただ。
心残りはもう二度と会えなくなる安部君のこと。
私は安部君との記念が欲しかった。
特徴のある校章の入ったボタン。
それを常々口にしていた私に母は言った。
「当日はバタバタしてもらう余裕ないんじゃない? 電話しときなさいよ」
普段は口やかましい母が苦手だった私。けれど、この提案には目からうろこだった。
電話と言えば、初夏に弟さんが出たのを思い出す。
電話して、本人が出てくれるんだろうか。
そして、何より、電話でまともな会話になるんだろうか。
面と向かってさえ話せないのに。
不安はあった。でも、それ以上に思い出が欲しかった。
私は安部君に電話をした。
「はい?」
出たのは今度は安部君のお母さんだった。
「今、お風呂にはいってるのよ。後でかけさせましょうか?」
私は少し考えて、
「いえ、もう一度、三十分後に電話します」
と電話を切った。
息子に卒業式前日、女子生徒から電話があるってどんな気持ちだろう。
でも安部君のお母さんはさっぱりしていて、話しやすい感じを受けた。