新しい一週間が始まり2日目。
と・・・言っても、昨日悠は振替休日だったし、たまたま両親の休みも重なったので実質的には週初め。
結局、祖父高志が区役所に電話をしたのもの、返事が無いまま17時を越えてしまい答えは持ち越しになっていた。
今朝、高志は早出出勤。悠が起きてきた時には、達筆な文字でメモが置かれていた。
『悠様 役所からの連絡先を、貴女に変えておきます。電話対応よろしく ジイより』
と、書かれていた。それを見た彼女は「ちょっ、それは無いよ」叫びながら、学校に向かったのだった。
そんなこんなで「授業中に電話が掛かってきたら、どうしよしよう」悠はヒヤヒヤしながらスマホをコソコソと確認していたのだが着信は無いまま。放課後になっていた。
時計が16時を回った頃、悠のスマホが鳴った。
『045』で始まる番号は、多分隣県の神奈川の物だろう。悠の学校は携帯電話の持ち込みは禁止されていない。ただ、使用は親との連絡に限るとされている。
当然、役所との連絡も御法度だ。マナーモードにしたスマホが着信の主張を始めると、彼女は教師の目に付かない所に移動し電話を受けた。
「はい、宮城です」電話に出ると「お世話になっております、こちら横濱市西区役所です」という、若い女性の声。予想通りだ。
こういう電話は受けた事が無いが、腐っても商売人の娘。幼い頃から聞いている商売対応の会話が頭に入っているのだろう。自然に受け答え出来る自分に悠は驚いていた。
「お世話になっております、先日はありがとうございました」
スラスラと定型の会話が出て来る。
「昨日お尋ねの件ですが、住所について調べが終わりましたのでご連絡申し上げました。詳しい町名の移り変わりについて、情報は必要でしょうか」
そこまで調べてくれたのかと、彼女は正直驚いていた。
「いえ、当時の住所がどこに当たるかだけ分かれば十分です」
必要なのは、当時の情報のみ。彼女は、瞬時に答えていた。
「そうですか、それでしたら・・・」
電話口で、何か紙をめくる音がして「では」と一呼吸置いてから会話が再開する。
「後で、地図を見ていただけたらと思いますが。現在の京急本線に戸部駅という駅が有ります。そことは別に、地下鉄ブルーラインの高島駅が有ります。その丁度中間辺り、西区戸部7丁目にファミリーマートさんが有ります。ご存じですか」
そう聞かれて、焦ったが
「後で、地図で確認します」
彼女は何とかやり過ごした。
「では、話しを続けさせていただきますね。そのファミリーマートさんの場所から、戸部通りを挟んで向かい側がお尋ねの場所になるようです。大まかな場所しか分からず、申し訳ありません」
聞いた事を、漏らさずメモしようと悠は必死にペンを動かした。
「はい、メモを取りますので少しお待ち戴けますか。えっと・・・戸部駅と高島駅の中間・・・戸部7丁目のファミマ向い側っと。はい、続きをお願いします」
「戸部通りを挟んで向かい側です。東京環状道路側でありませんのでお間違い有りませんように」
「はい」
「後は、お尋ねの小学校なのですが、学区割りがいまいち分かりませんでした。当時の文献を見つけられなかったのが理由です。図書館の方や、教育委員会にも問い合わせをしたのですが震災と戦火でやはり資料が焼失しているとのことです」
「そうですか・・・。そこまでお調べ戴き恐縮です」
悠は、少しガッカリした。
「しかしながら、教育委員会の方で当時有った小学校を見る限りでは、調査対象様が通って居られた小学校は戸部小学校では無いかという返答でした。
戸部小学校は、関東大震災で校舎が焼失しておりまして。震災直後は、避難してきた人々でごった返していたという話もあるようです。多分、お調べになって居られる方の証言にも、火から逃げ回ったという話が有るかと思います。延焼の経路など書かれている物も残されておりまして、詳しくは図書館の方にお尋ね下さい」
地震に、延焼。
聞けば聞くほど、驚きしか無く。彼女は、常識的なマナーを守った会話をする事に必死になっていた。
「詳しくお調べ戴いて、本当にありがとうございました。ここまで分かるとは思っていませんでした」
「いえいえ、被災体験の足取りがしっかりと分かると良いですね。災害の記憶は、我々役所側としても語り継ぐべき情報だという認識です」
「はい、しっかりと調べて語り継がせて戴こうと思っています」
意外な言葉に驚きつつも、スラスラと受け答えが出来る自分に悠は驚いていた。
「あと、一点だけ。図書館の方から参考になる著書があるので、お伝え下さいとのことです。メモのご用意をお願いします」
「はい、先ほどからメモを取っておりますので、続けて戴いて大丈夫です」
「では・・・。今井清一さんという言う方が書かれております横浜の関東大震災という新書サイズの本があります。発行は有隣堂という所で平成19年の発行ですが、図書館に貸し出し可能図書としてありますので参考になさって下さい」
「そんな本があるのですね、それは大変有用な情報だと思います。ありがとうございます。後ほど、地図を見ながら確認しますが、これで足取りが掴めそうです」
ほっとした気持ちが伝わったのか、相手側からこんな問いが飛び出す。
「他に、何かお知りになりたいことは無かったですか」
そう聞かれると、悠の心にある疑問を投げかけたくなった。
「実は、体験談を伺った際に・・・」と、曾祖父の二郎の事は伏せて話しを切り出す。
「池の近くで地震に遭ったという話しを聞いています。横浜で池が有る場所というのは、多いのでしょうか」
そう聞いた悠に「そうですね・・・」担当者は言葉を濁すと。「私も横浜全てを記憶している訳ではありませんが」そう前置きをしてから「Googleマップで調べて見てはいかがでしょうか。ご自宅は分かった訳ですし、学校も憶測とはいえ分かった訳ですよね」考え方の提案の様だ。
「それでしたら、自宅と学校の間に池が有れば証言の裏付けに成るのでは無いでしょうか」
「そう言われれば、そうですよね」
「我々が、震災の証言を集めた際も・・・と言っても、かなり前ですが。そんな手順で調べて行ったと、定年間近の上司に聞いております。こう言った証言が、少しでも防災の手助けになったら良いですね」
「はい、この度はお世話になりました。ありがとうございました」
お礼を伝えて、悠は通話を終えた。
スマホを鞄に放り込むと、彼女は先ほど書いた自分のメモを読み直す。
「うわ、これ酷い文字だわ」電話に出ながら、走り書きしたので今読むと記憶を頼りに読める程度になっている。急いで、新しい紙にメモを纏め直す。
Googleマップの話しも出ており、すぐにスマホで調べたい欲求を抑えつつ、鞄を持つと教室を後にした。帰りに地元図書館で、先ほどの本を探したいからだ。廊下に出ると、ゆっくりと日が陰りはじめた街並みがやたら綺麗に見えて彼女は目を細めてふぅーっと息をはいた。
2時間後・・・薄暗くなりつつある道を悠は自宅に向かっていた。
図書館には、先ほど聞いた本は無かった。結局、関東大震災の関連書籍を片っ端から探し借りることにした。そんなに長く、図書館に居た記憶は無いのだが気がつくと夕焼けも終盤の空になっていた。
「あっと言う間に時間が経っちゃうのよね、ママに怒られそうだわ」
部活に入っていない彼女は、いつも帰宅が早いので母親が心配しているかも知れない。すると、後ろから車のクラクションが鳴らされる。見覚えの有る紺色セダンだ。振り向いた悠に、ゆっくりと車が近づいてき窓が開く。
「よお、悠。今日は遅いな、どうした」
薄暗い車内から、声が掛かった。そう、祖父の高志だ。
「小ジイ、お疲れ。夕方ね、横浜から電話があって図書館に寄ってきたのよ」
「お、いいね。俺にも返答を聞かせてくれよ、乗れ」
「はーい」返事をしながら、車のドアを開けると助手席に乗り込んだ。
「シートベルト締めたか、出発するぞ」
言い終わらない内に、車が出発する。
暮れていく空が、徐々に地平線から闇の範囲を広げていく。そんな空を眺めながら、悠は横浜市から貰った情報を彼に話し続ける、相づちを打ちながら高志も聞き続ける。それは、不思議な時間だった。
帰る道すがら、色々と彼に話す事で、悠は頭の整理は出来て来た。帰宅して、遅番の父を待たずに母と高志、祖母のまち子と食事を済ませると。早々に、部屋に籠もる。調べ物に取り掛かる事にしたのだ。
ただ、スマホでGoogleマップを見るのは思った以上に大変だった。ピンチアウトすれば、取りあえず見える様にはなるのだが位置関係を理解するために、ピンチインしてみたりと。
「くっそお・・・効率悪いなあ」
ブツブツ言いながら作業をしていると、先ほど夕食の食卓で話しを聞いていた母の由季子がやってきてドアをノックする。
「悠、ちょっと良い」
「あ、ママ。どうしたの」
ベッドから身体を起こすと、ドアを開きに行く。
「もしかすると、スマホでGoogleマップを見ている所じゃないかと思って」
にっこり微笑むと、持っていたノートパソコンを差し出す。
「ママ!」
「必要かなって、私って優しい」
「ありがとう、取りあえず入って。でも・・・私、パソコン苦手で」
「今の子は、スマホしか使わないものね。まあ、仕方無いけれど」
そう言いつつ、由季子は悠の机の上にパソコンを置いて起動させる。
「これから使い方を教えるから、自分でやってみなさい。就職したら、パソコン作業ばっかりよ。Excelファイルとか、触らないでね。これ、私が仕事に使っている物だから。仕事場に元ファイルはあるけれど、消えると面倒だから」
などと、何も聞いてない事をペラペラと話しながら椅子に座ると操作を開始する。
「悠、こっち来なさい。ブラウザーはこれを使ってね。触って良いのは、これだけよ」
座っている母の後ろに立ち、彼女は画面を見る。
「ママ、使い方は知ってるよ。図書館のネット端末使ってるし。使い慣れないだけ」
「あ、そう・・・。なんかつまらないわ、今時の子はオールマイティーね」
由季子は椅子から立ち上がると、悠を座らせて話しを続ける。
「Googleマップから探すんでしょ。ちょっと興味があるから、ここにいて良いかしら」
「良いけど、何か落ち着かないなあ」
「我慢しなさいよ、ノーパソ貸したんだから」
どうやら、由季子は長く居座るつもりらしい。小さな丸椅子を持ってくると、横にドカッと座ってしまった。
「ぶうー」
不満そうな悠に
「ブーブー言わない、ほら調査開始!」
どちらかというと、由季子の方が張り切っている感じだ。
「ママちょっと、そこにある鞄取って」
横にピッタリと付かれてしまったので、面倒だから親でも使う。
「学校の鞄?何が必要なの、出してあげようか」
「ちょっ、勝手に開けないで。鞄取ってって言ってるでしょ」
鬼のような形相になる娘に、ハイハイと由季子は不満気だ。悠は、鞄を受け取ると膝の上に乗せて夕方書いたメモを取り出す。そして、元に戻せとばかりに、母に鞄を手渡す。今度は、由季子が不満そうだ。
「ええっと、Googleマップで検索っと・・・」
検索を掛けると、Googleマップのリンクが幾つか出て来た。そのリンクをクリックすると、画面一杯に現在地を起点にしたマップが表示される。
「おぉおおお、パソコン見やすい」
「でしょお、ママに感謝しないさい」
「はいはいはいはい」
正直、どうでも良さそうに彼女は返事をした。
「で、ここに住所だけど。面倒くさいからっと・・・ファミリーマート戸部7丁目っと」
住所ではなく、ピンポイントの名前を入れる悠に
「ちょっと、それじゃあ出てこないでしょ」
由季子が言ったが、無視してEnterキーを押す。すると、何の問題も無く画面表示が変わった。ファミリーマート 横浜戸部七丁目店と書かれた画面には、写真と情報が一発で表示された。
「ママ、何か言った?私はいつもこうやって調べてるけど、まさかいつも住所入れてるのヤダァ」
「これだから、デジタルネイティブ世代は嫌い」
「なんか仰いましたか」
ニヤニヤする悠。母娘ってどの時代も、こんな感じなのかも知れない。画面を拡大したくて悠がもたもたしていると。
「悠、それはねマウスに付いてるソレをグリグリ動かすのよ」
スマホのタッチパネルで、ピンチアウト操作に慣れている娘と母の違いが歴然だ。
「ハイハイハイ、そうですか」
言われた様に、マウスをグリグリして画面を広げてムッとする。
「で、戸部通りを挟んで向かい側。戸部通り・・・あ、これね。こっち側に住んでたって訳だ」
「凄い都会ね」
横から覗いていた由季子も、少し驚いている様子だ。
「でさあ、昔はそうでも無かったかも知れないよ。まあ、それは置いて置いて、次は小学校を探ね。戸部小学校・・・で出るはず」
文字を入れて、Enterをポンと押すと一気に画面が縮小して小学校を現す赤いポイントが出て来た。
「えっ、えっ、ええええ。結構遠い」
「昔は、学区広い所多かったわよ。私の同級生も1時間くらい掛けて通ってたし」
「へえ、そうなんだ。歩くとどのくらい掛かるんだろう」
ルート検索で、先ほどのファミマまで悠は調べ始める。利用交通機関を徒歩に限定すると、簡単に所要時間が出てくる。
「戸部通り経由、700m、約10分・・・って、あっ!池だ。ママ見て!!」
確かに、学校への経路検索の画面右側に池と緑地が見える。
「オオジイの話しと合う、凄い」
大喜びする悠と、後ろから手を伸ばして画面を操作する由季子。
「悠、掃部山公園?って言うらしいわよ。確かに、ここなら小学生が帰宅途中に寄り道して遊んでもおかしくないわね」
「ママ違うよ、オオジイはここの近くを歩いていたら地震に遭遇しただけで、寄り道していたとは言ってないし。だいたい、公園内で物干し竿で洗濯物干さないでしょ」
娘の突っ込みに「まあそうだけど」と口を尖らせる。そして、悠の背中をポンポンと叩くと「ちょっとどいて、私にも調べさせて」そう言い彼女と座る場所を交換する。
由季子は、パソコンに向かうとGoogleの検索に
「掃部山公園 関東大震災」と入れる。先ほど悠に聞いた話から、地震後の火災で、逃げ場が無いのなら池のほとりに逃げるとおもったからだった。
「もし、私が子供達を連れて逃げるとしたら、自治体指定の避難所だろうけれど。オオジイが子供の頃に、避難所指定なんて無いはずだし。近くに公園と池があるのなら・・・私だったら子供を連れて池のほとりに逃げると思うし。ここに人々が避難したという話が引っかかってくるかも」
それで、彼女はそういう検索ワードを使ったのだ。
画面には、沢山の検索結果が出て来ており。ウィキピディアをまず、彼女は選択した。
「へぇ、この公園の呼び名。ソウブヤマ公園じゃなくて、カンモンヤマ公園って言うのね。カンモン山ねえ」
「ママ!見て。1923年の関東大震災では公園にあった井伊直弼像が倒壊を免れたものの、振動で南に25度向きを変えた。って怖っ!」
横から眺めていた悠も声を挙げる
「やっぱり、かなりこの地域も揺れたのね。取りあえず、戻って他の検索結果も見てみよう」
由季子は、ブラウザーの矢印をクリックして、前の検索結果を再度開く。
「ええっとお『 関東大震災からの復興 / 計画的なまちづくり - Yokohama』これ行ってみようか」
検索結果には『PDF』と書かれており、開くと写真が掲載された読み物が出て来た。
「怖っ」
最初に声を出したのは、悠だ。関東大震災被災時の写真が、2枚ほど載せられている。ただ、文字数が多いので二人は無言で顔を突き出して情報を読み続ける。
「あっ、ここ!」
最初に悠が、有用な情報を見つけた。
「ママ、ここ読んで。
『相模湾を震源とする関東大震災は震源に
近い横浜でより大きな被害を出しました。特
に建物が密集する市街地では火災が発生
し、多くの犠牲者を出しました。当時開園し
ていた横浜公園、掃部山公園には多くの人
が逃げ込み火災から逃れることができまし
た。公園周囲の樹木が火災旋風を防いだこ
となどによるといわれています。』
ってやっぱり、オオジイここに逃げ込んだんだよ」
「そうね、だから池が印象に残っていて話したのかもね」
2人で、納得したものの悠の頭の中には色々な疑問が次々と湧いてきた。当然、今まではピンポイントで記憶の欠片として扱ってきた物が、日常のワンシーンとしてぼんやりとだが輪郭が浮かんできたからだ。
「ねえねえ、お母さん。関東大震災はお昼ご飯の時間だったから炊事の支度をしている家が多くて火災が多く発生した。って学校で教わったけれど、学校半日とか珍しいし、9月1日って夏休み明けってことよね、何か違和感あるんだけど」
そういう悠に、そうねえ・・・と言うと由季子はこう話す。
「昔はね、半ドンって言って土曜日は半日だったのよ。今は週休二日で土日休みだけれど。調べないと分からないけれど、9月1日って土曜日かも知れないわね。
あと、母に聞いたのだけど。昔の夏休みは8月1ヶ月だけだったって話しだから、9月1日は新学期の初日だったかも知れないわね。と言うわけで、ちょっと調べて見る?」
由季子が『大正12年9月 曜日』と検索し始めた。検索トップには『1923年(大正12年)カレンダー(祝日・六曜・月齢)|便利コム』という物が出て来ており。それを迷わずクリックした。開いてみると、1月からのカレンダーが出て来て9月まで画面をスクロールさせる。
「ほら、悠。見て!9月1日は土曜日。だから、半ドンなのよ」
「ママ、半日だってのは分かったけど半ドンって何」
「うーん、私も良く知らないのだけれど。ママのお祖父ちゃんがね、半ドンってのは、昔は、お昼の時間になると空砲をドーンと打ったらしいの。だから、半分で終わるから半ドンだって聞いたことが有る」
「なるほどお、何か色々知らない事多い」
「逆に知ってたら怖いけれどね」
由季子はクスクスとわらう。
幾つかブラウザーで開いたページを確認しながら、2人で関東大震災当日のオオジイこと二郎の足取りを推測し始めた。
「ママ、まずは小学校から出るだよね」
「まあ、そうね」
「で、池の横を通ったみたいだから。東向けに道を歩く。当時の道は分からないけれど、きっと池のある掃部山公園に近い道を北に向かって進んだって感じかな。でも、何で遠回りしたんだろう」
首を傾げる悠に
「子供って、効率とか考えないから。アンタも昔、お友達と下校してて。お友達の家の方を回って大回りして帰って来てたじゃない」
「ええ、そうだっけ」
「そうよお、パパが悠は何でそんなに遠回りして帰るのかって聞いて来た事があってね。私、笑った事あるもん」
「で、私は何か言ってた?」
「キヨちゃんのお家の前で、バイバイして帰るからこの道だよって言ってた」
「そうなんだ、じゃあオオジイもお友達と帰ってる途中だったのかもね」
「まあ、そんな想像もできるわね」
ここまで調べて行動を辿れると、不思議と『単に池の所で転んで何が起きたのかと思ったら地震だった』という、薄っぺらい情報だけでは無く。そこで怒った出来事の輪郭が見えて来る。なぜか、目の前で子供時代のオオジイが歩いている様な錯覚を覚える。悠だけでは無く、由季子もそんな感覚を持っていた。
その晩。
風呂上がりのビール片手に、リビングのソファーでくつろいでいた高志に、悠は分かった事を説明した。それを聞いて「そうか、そうか」と満足げに彼は頷いて嬉しそうだった。全を話し終え、彼女が部屋に戻ろうとすると、記憶が蘇ったのか悠を呼び止めてこんな話を始めた。
「そういや、オヤジが・・・。家に戻ったら自宅が潰れてて、近所のおばさん達が外に集まっていて『二郎ちゃん無事だったのね、良かった。お母さんはどこ?お兄ちゃんはあっちよ』って言われたって言ってたな」
「何で今頃言い出すの?小ジイ、ちょっとしっかりしてよお」
悠は狐につままれた様な気分になった。
「小ジイ、ついでに何か思い出さないの。ほらほら、もっと思い出してよ」
肩に手を置いて、彼を揺さぶる。
そんな孫娘に「おい、年寄りは大事にするもんだ」と文句を言いつつ。
「そうだ、そういえば『二郎ちゃん、お母さんはどこ?』って聞かれて、探そうと思ったら倒壊した家の中から母親が這い出てきたとか言ってたな」
記憶は芋づる式に思い出すものらしい。
「小ジイは、揺さぶったら思い出すのね」
悠は冗談を言いつつ、何度も彼を揺さぶってみたのだった。
と・・・言っても、昨日悠は振替休日だったし、たまたま両親の休みも重なったので実質的には週初め。
結局、祖父高志が区役所に電話をしたのもの、返事が無いまま17時を越えてしまい答えは持ち越しになっていた。
今朝、高志は早出出勤。悠が起きてきた時には、達筆な文字でメモが置かれていた。
『悠様 役所からの連絡先を、貴女に変えておきます。電話対応よろしく ジイより』
と、書かれていた。それを見た彼女は「ちょっ、それは無いよ」叫びながら、学校に向かったのだった。
そんなこんなで「授業中に電話が掛かってきたら、どうしよしよう」悠はヒヤヒヤしながらスマホをコソコソと確認していたのだが着信は無いまま。放課後になっていた。
時計が16時を回った頃、悠のスマホが鳴った。
『045』で始まる番号は、多分隣県の神奈川の物だろう。悠の学校は携帯電話の持ち込みは禁止されていない。ただ、使用は親との連絡に限るとされている。
当然、役所との連絡も御法度だ。マナーモードにしたスマホが着信の主張を始めると、彼女は教師の目に付かない所に移動し電話を受けた。
「はい、宮城です」電話に出ると「お世話になっております、こちら横濱市西区役所です」という、若い女性の声。予想通りだ。
こういう電話は受けた事が無いが、腐っても商売人の娘。幼い頃から聞いている商売対応の会話が頭に入っているのだろう。自然に受け答え出来る自分に悠は驚いていた。
「お世話になっております、先日はありがとうございました」
スラスラと定型の会話が出て来る。
「昨日お尋ねの件ですが、住所について調べが終わりましたのでご連絡申し上げました。詳しい町名の移り変わりについて、情報は必要でしょうか」
そこまで調べてくれたのかと、彼女は正直驚いていた。
「いえ、当時の住所がどこに当たるかだけ分かれば十分です」
必要なのは、当時の情報のみ。彼女は、瞬時に答えていた。
「そうですか、それでしたら・・・」
電話口で、何か紙をめくる音がして「では」と一呼吸置いてから会話が再開する。
「後で、地図を見ていただけたらと思いますが。現在の京急本線に戸部駅という駅が有ります。そことは別に、地下鉄ブルーラインの高島駅が有ります。その丁度中間辺り、西区戸部7丁目にファミリーマートさんが有ります。ご存じですか」
そう聞かれて、焦ったが
「後で、地図で確認します」
彼女は何とかやり過ごした。
「では、話しを続けさせていただきますね。そのファミリーマートさんの場所から、戸部通りを挟んで向かい側がお尋ねの場所になるようです。大まかな場所しか分からず、申し訳ありません」
聞いた事を、漏らさずメモしようと悠は必死にペンを動かした。
「はい、メモを取りますので少しお待ち戴けますか。えっと・・・戸部駅と高島駅の中間・・・戸部7丁目のファミマ向い側っと。はい、続きをお願いします」
「戸部通りを挟んで向かい側です。東京環状道路側でありませんのでお間違い有りませんように」
「はい」
「後は、お尋ねの小学校なのですが、学区割りがいまいち分かりませんでした。当時の文献を見つけられなかったのが理由です。図書館の方や、教育委員会にも問い合わせをしたのですが震災と戦火でやはり資料が焼失しているとのことです」
「そうですか・・・。そこまでお調べ戴き恐縮です」
悠は、少しガッカリした。
「しかしながら、教育委員会の方で当時有った小学校を見る限りでは、調査対象様が通って居られた小学校は戸部小学校では無いかという返答でした。
戸部小学校は、関東大震災で校舎が焼失しておりまして。震災直後は、避難してきた人々でごった返していたという話もあるようです。多分、お調べになって居られる方の証言にも、火から逃げ回ったという話が有るかと思います。延焼の経路など書かれている物も残されておりまして、詳しくは図書館の方にお尋ね下さい」
地震に、延焼。
聞けば聞くほど、驚きしか無く。彼女は、常識的なマナーを守った会話をする事に必死になっていた。
「詳しくお調べ戴いて、本当にありがとうございました。ここまで分かるとは思っていませんでした」
「いえいえ、被災体験の足取りがしっかりと分かると良いですね。災害の記憶は、我々役所側としても語り継ぐべき情報だという認識です」
「はい、しっかりと調べて語り継がせて戴こうと思っています」
意外な言葉に驚きつつも、スラスラと受け答えが出来る自分に悠は驚いていた。
「あと、一点だけ。図書館の方から参考になる著書があるので、お伝え下さいとのことです。メモのご用意をお願いします」
「はい、先ほどからメモを取っておりますので、続けて戴いて大丈夫です」
「では・・・。今井清一さんという言う方が書かれております横浜の関東大震災という新書サイズの本があります。発行は有隣堂という所で平成19年の発行ですが、図書館に貸し出し可能図書としてありますので参考になさって下さい」
「そんな本があるのですね、それは大変有用な情報だと思います。ありがとうございます。後ほど、地図を見ながら確認しますが、これで足取りが掴めそうです」
ほっとした気持ちが伝わったのか、相手側からこんな問いが飛び出す。
「他に、何かお知りになりたいことは無かったですか」
そう聞かれると、悠の心にある疑問を投げかけたくなった。
「実は、体験談を伺った際に・・・」と、曾祖父の二郎の事は伏せて話しを切り出す。
「池の近くで地震に遭ったという話しを聞いています。横浜で池が有る場所というのは、多いのでしょうか」
そう聞いた悠に「そうですね・・・」担当者は言葉を濁すと。「私も横浜全てを記憶している訳ではありませんが」そう前置きをしてから「Googleマップで調べて見てはいかがでしょうか。ご自宅は分かった訳ですし、学校も憶測とはいえ分かった訳ですよね」考え方の提案の様だ。
「それでしたら、自宅と学校の間に池が有れば証言の裏付けに成るのでは無いでしょうか」
「そう言われれば、そうですよね」
「我々が、震災の証言を集めた際も・・・と言っても、かなり前ですが。そんな手順で調べて行ったと、定年間近の上司に聞いております。こう言った証言が、少しでも防災の手助けになったら良いですね」
「はい、この度はお世話になりました。ありがとうございました」
お礼を伝えて、悠は通話を終えた。
スマホを鞄に放り込むと、彼女は先ほど書いた自分のメモを読み直す。
「うわ、これ酷い文字だわ」電話に出ながら、走り書きしたので今読むと記憶を頼りに読める程度になっている。急いで、新しい紙にメモを纏め直す。
Googleマップの話しも出ており、すぐにスマホで調べたい欲求を抑えつつ、鞄を持つと教室を後にした。帰りに地元図書館で、先ほどの本を探したいからだ。廊下に出ると、ゆっくりと日が陰りはじめた街並みがやたら綺麗に見えて彼女は目を細めてふぅーっと息をはいた。
2時間後・・・薄暗くなりつつある道を悠は自宅に向かっていた。
図書館には、先ほど聞いた本は無かった。結局、関東大震災の関連書籍を片っ端から探し借りることにした。そんなに長く、図書館に居た記憶は無いのだが気がつくと夕焼けも終盤の空になっていた。
「あっと言う間に時間が経っちゃうのよね、ママに怒られそうだわ」
部活に入っていない彼女は、いつも帰宅が早いので母親が心配しているかも知れない。すると、後ろから車のクラクションが鳴らされる。見覚えの有る紺色セダンだ。振り向いた悠に、ゆっくりと車が近づいてき窓が開く。
「よお、悠。今日は遅いな、どうした」
薄暗い車内から、声が掛かった。そう、祖父の高志だ。
「小ジイ、お疲れ。夕方ね、横浜から電話があって図書館に寄ってきたのよ」
「お、いいね。俺にも返答を聞かせてくれよ、乗れ」
「はーい」返事をしながら、車のドアを開けると助手席に乗り込んだ。
「シートベルト締めたか、出発するぞ」
言い終わらない内に、車が出発する。
暮れていく空が、徐々に地平線から闇の範囲を広げていく。そんな空を眺めながら、悠は横浜市から貰った情報を彼に話し続ける、相づちを打ちながら高志も聞き続ける。それは、不思議な時間だった。
帰る道すがら、色々と彼に話す事で、悠は頭の整理は出来て来た。帰宅して、遅番の父を待たずに母と高志、祖母のまち子と食事を済ませると。早々に、部屋に籠もる。調べ物に取り掛かる事にしたのだ。
ただ、スマホでGoogleマップを見るのは思った以上に大変だった。ピンチアウトすれば、取りあえず見える様にはなるのだが位置関係を理解するために、ピンチインしてみたりと。
「くっそお・・・効率悪いなあ」
ブツブツ言いながら作業をしていると、先ほど夕食の食卓で話しを聞いていた母の由季子がやってきてドアをノックする。
「悠、ちょっと良い」
「あ、ママ。どうしたの」
ベッドから身体を起こすと、ドアを開きに行く。
「もしかすると、スマホでGoogleマップを見ている所じゃないかと思って」
にっこり微笑むと、持っていたノートパソコンを差し出す。
「ママ!」
「必要かなって、私って優しい」
「ありがとう、取りあえず入って。でも・・・私、パソコン苦手で」
「今の子は、スマホしか使わないものね。まあ、仕方無いけれど」
そう言いつつ、由季子は悠の机の上にパソコンを置いて起動させる。
「これから使い方を教えるから、自分でやってみなさい。就職したら、パソコン作業ばっかりよ。Excelファイルとか、触らないでね。これ、私が仕事に使っている物だから。仕事場に元ファイルはあるけれど、消えると面倒だから」
などと、何も聞いてない事をペラペラと話しながら椅子に座ると操作を開始する。
「悠、こっち来なさい。ブラウザーはこれを使ってね。触って良いのは、これだけよ」
座っている母の後ろに立ち、彼女は画面を見る。
「ママ、使い方は知ってるよ。図書館のネット端末使ってるし。使い慣れないだけ」
「あ、そう・・・。なんかつまらないわ、今時の子はオールマイティーね」
由季子は椅子から立ち上がると、悠を座らせて話しを続ける。
「Googleマップから探すんでしょ。ちょっと興味があるから、ここにいて良いかしら」
「良いけど、何か落ち着かないなあ」
「我慢しなさいよ、ノーパソ貸したんだから」
どうやら、由季子は長く居座るつもりらしい。小さな丸椅子を持ってくると、横にドカッと座ってしまった。
「ぶうー」
不満そうな悠に
「ブーブー言わない、ほら調査開始!」
どちらかというと、由季子の方が張り切っている感じだ。
「ママちょっと、そこにある鞄取って」
横にピッタリと付かれてしまったので、面倒だから親でも使う。
「学校の鞄?何が必要なの、出してあげようか」
「ちょっ、勝手に開けないで。鞄取ってって言ってるでしょ」
鬼のような形相になる娘に、ハイハイと由季子は不満気だ。悠は、鞄を受け取ると膝の上に乗せて夕方書いたメモを取り出す。そして、元に戻せとばかりに、母に鞄を手渡す。今度は、由季子が不満そうだ。
「ええっと、Googleマップで検索っと・・・」
検索を掛けると、Googleマップのリンクが幾つか出て来た。そのリンクをクリックすると、画面一杯に現在地を起点にしたマップが表示される。
「おぉおおお、パソコン見やすい」
「でしょお、ママに感謝しないさい」
「はいはいはいはい」
正直、どうでも良さそうに彼女は返事をした。
「で、ここに住所だけど。面倒くさいからっと・・・ファミリーマート戸部7丁目っと」
住所ではなく、ピンポイントの名前を入れる悠に
「ちょっと、それじゃあ出てこないでしょ」
由季子が言ったが、無視してEnterキーを押す。すると、何の問題も無く画面表示が変わった。ファミリーマート 横浜戸部七丁目店と書かれた画面には、写真と情報が一発で表示された。
「ママ、何か言った?私はいつもこうやって調べてるけど、まさかいつも住所入れてるのヤダァ」
「これだから、デジタルネイティブ世代は嫌い」
「なんか仰いましたか」
ニヤニヤする悠。母娘ってどの時代も、こんな感じなのかも知れない。画面を拡大したくて悠がもたもたしていると。
「悠、それはねマウスに付いてるソレをグリグリ動かすのよ」
スマホのタッチパネルで、ピンチアウト操作に慣れている娘と母の違いが歴然だ。
「ハイハイハイ、そうですか」
言われた様に、マウスをグリグリして画面を広げてムッとする。
「で、戸部通りを挟んで向かい側。戸部通り・・・あ、これね。こっち側に住んでたって訳だ」
「凄い都会ね」
横から覗いていた由季子も、少し驚いている様子だ。
「でさあ、昔はそうでも無かったかも知れないよ。まあ、それは置いて置いて、次は小学校を探ね。戸部小学校・・・で出るはず」
文字を入れて、Enterをポンと押すと一気に画面が縮小して小学校を現す赤いポイントが出て来た。
「えっ、えっ、ええええ。結構遠い」
「昔は、学区広い所多かったわよ。私の同級生も1時間くらい掛けて通ってたし」
「へえ、そうなんだ。歩くとどのくらい掛かるんだろう」
ルート検索で、先ほどのファミマまで悠は調べ始める。利用交通機関を徒歩に限定すると、簡単に所要時間が出てくる。
「戸部通り経由、700m、約10分・・・って、あっ!池だ。ママ見て!!」
確かに、学校への経路検索の画面右側に池と緑地が見える。
「オオジイの話しと合う、凄い」
大喜びする悠と、後ろから手を伸ばして画面を操作する由季子。
「悠、掃部山公園?って言うらしいわよ。確かに、ここなら小学生が帰宅途中に寄り道して遊んでもおかしくないわね」
「ママ違うよ、オオジイはここの近くを歩いていたら地震に遭遇しただけで、寄り道していたとは言ってないし。だいたい、公園内で物干し竿で洗濯物干さないでしょ」
娘の突っ込みに「まあそうだけど」と口を尖らせる。そして、悠の背中をポンポンと叩くと「ちょっとどいて、私にも調べさせて」そう言い彼女と座る場所を交換する。
由季子は、パソコンに向かうとGoogleの検索に
「掃部山公園 関東大震災」と入れる。先ほど悠に聞いた話から、地震後の火災で、逃げ場が無いのなら池のほとりに逃げるとおもったからだった。
「もし、私が子供達を連れて逃げるとしたら、自治体指定の避難所だろうけれど。オオジイが子供の頃に、避難所指定なんて無いはずだし。近くに公園と池があるのなら・・・私だったら子供を連れて池のほとりに逃げると思うし。ここに人々が避難したという話が引っかかってくるかも」
それで、彼女はそういう検索ワードを使ったのだ。
画面には、沢山の検索結果が出て来ており。ウィキピディアをまず、彼女は選択した。
「へぇ、この公園の呼び名。ソウブヤマ公園じゃなくて、カンモンヤマ公園って言うのね。カンモン山ねえ」
「ママ!見て。1923年の関東大震災では公園にあった井伊直弼像が倒壊を免れたものの、振動で南に25度向きを変えた。って怖っ!」
横から眺めていた悠も声を挙げる
「やっぱり、かなりこの地域も揺れたのね。取りあえず、戻って他の検索結果も見てみよう」
由季子は、ブラウザーの矢印をクリックして、前の検索結果を再度開く。
「ええっとお『 関東大震災からの復興 / 計画的なまちづくり - Yokohama』これ行ってみようか」
検索結果には『PDF』と書かれており、開くと写真が掲載された読み物が出て来た。
「怖っ」
最初に声を出したのは、悠だ。関東大震災被災時の写真が、2枚ほど載せられている。ただ、文字数が多いので二人は無言で顔を突き出して情報を読み続ける。
「あっ、ここ!」
最初に悠が、有用な情報を見つけた。
「ママ、ここ読んで。
『相模湾を震源とする関東大震災は震源に
近い横浜でより大きな被害を出しました。特
に建物が密集する市街地では火災が発生
し、多くの犠牲者を出しました。当時開園し
ていた横浜公園、掃部山公園には多くの人
が逃げ込み火災から逃れることができまし
た。公園周囲の樹木が火災旋風を防いだこ
となどによるといわれています。』
ってやっぱり、オオジイここに逃げ込んだんだよ」
「そうね、だから池が印象に残っていて話したのかもね」
2人で、納得したものの悠の頭の中には色々な疑問が次々と湧いてきた。当然、今まではピンポイントで記憶の欠片として扱ってきた物が、日常のワンシーンとしてぼんやりとだが輪郭が浮かんできたからだ。
「ねえねえ、お母さん。関東大震災はお昼ご飯の時間だったから炊事の支度をしている家が多くて火災が多く発生した。って学校で教わったけれど、学校半日とか珍しいし、9月1日って夏休み明けってことよね、何か違和感あるんだけど」
そういう悠に、そうねえ・・・と言うと由季子はこう話す。
「昔はね、半ドンって言って土曜日は半日だったのよ。今は週休二日で土日休みだけれど。調べないと分からないけれど、9月1日って土曜日かも知れないわね。
あと、母に聞いたのだけど。昔の夏休みは8月1ヶ月だけだったって話しだから、9月1日は新学期の初日だったかも知れないわね。と言うわけで、ちょっと調べて見る?」
由季子が『大正12年9月 曜日』と検索し始めた。検索トップには『1923年(大正12年)カレンダー(祝日・六曜・月齢)|便利コム』という物が出て来ており。それを迷わずクリックした。開いてみると、1月からのカレンダーが出て来て9月まで画面をスクロールさせる。
「ほら、悠。見て!9月1日は土曜日。だから、半ドンなのよ」
「ママ、半日だってのは分かったけど半ドンって何」
「うーん、私も良く知らないのだけれど。ママのお祖父ちゃんがね、半ドンってのは、昔は、お昼の時間になると空砲をドーンと打ったらしいの。だから、半分で終わるから半ドンだって聞いたことが有る」
「なるほどお、何か色々知らない事多い」
「逆に知ってたら怖いけれどね」
由季子はクスクスとわらう。
幾つかブラウザーで開いたページを確認しながら、2人で関東大震災当日のオオジイこと二郎の足取りを推測し始めた。
「ママ、まずは小学校から出るだよね」
「まあ、そうね」
「で、池の横を通ったみたいだから。東向けに道を歩く。当時の道は分からないけれど、きっと池のある掃部山公園に近い道を北に向かって進んだって感じかな。でも、何で遠回りしたんだろう」
首を傾げる悠に
「子供って、効率とか考えないから。アンタも昔、お友達と下校してて。お友達の家の方を回って大回りして帰って来てたじゃない」
「ええ、そうだっけ」
「そうよお、パパが悠は何でそんなに遠回りして帰るのかって聞いて来た事があってね。私、笑った事あるもん」
「で、私は何か言ってた?」
「キヨちゃんのお家の前で、バイバイして帰るからこの道だよって言ってた」
「そうなんだ、じゃあオオジイもお友達と帰ってる途中だったのかもね」
「まあ、そんな想像もできるわね」
ここまで調べて行動を辿れると、不思議と『単に池の所で転んで何が起きたのかと思ったら地震だった』という、薄っぺらい情報だけでは無く。そこで怒った出来事の輪郭が見えて来る。なぜか、目の前で子供時代のオオジイが歩いている様な錯覚を覚える。悠だけでは無く、由季子もそんな感覚を持っていた。
その晩。
風呂上がりのビール片手に、リビングのソファーでくつろいでいた高志に、悠は分かった事を説明した。それを聞いて「そうか、そうか」と満足げに彼は頷いて嬉しそうだった。全を話し終え、彼女が部屋に戻ろうとすると、記憶が蘇ったのか悠を呼び止めてこんな話を始めた。
「そういや、オヤジが・・・。家に戻ったら自宅が潰れてて、近所のおばさん達が外に集まっていて『二郎ちゃん無事だったのね、良かった。お母さんはどこ?お兄ちゃんはあっちよ』って言われたって言ってたな」
「何で今頃言い出すの?小ジイ、ちょっとしっかりしてよお」
悠は狐につままれた様な気分になった。
「小ジイ、ついでに何か思い出さないの。ほらほら、もっと思い出してよ」
肩に手を置いて、彼を揺さぶる。
そんな孫娘に「おい、年寄りは大事にするもんだ」と文句を言いつつ。
「そうだ、そういえば『二郎ちゃん、お母さんはどこ?』って聞かれて、探そうと思ったら倒壊した家の中から母親が這い出てきたとか言ってたな」
記憶は芋づる式に思い出すものらしい。
「小ジイは、揺さぶったら思い出すのね」
悠は冗談を言いつつ、何度も彼を揺さぶってみたのだった。

