日曜日。

学校祭二日目。

僕のクラスの演目がある日。

僕は午前六時に目が覚めた。
寝室には眩しいくらいの陽光が差し込んでいる。

先日のような身体のだるさは嘘みたいに消えていた。
河井は僕に劇を観客席から見てほしいと言っていたことを思い出す。

ということは当日のクラスの準備に関わらなくていいということなのだろうか。
むしろ関わってはいけないという意味かもしれない。

ついにクラスからハブられる存在になってしまったか。
二回目にもなると別に悲しみは沸かない。

駅から学校への道は学校祭を案内する華やかな広告がそこかしこにあって、彩りを与えている。
学校に近づくにつれて人の楽しげな声が大きくなる。

僕は学校祭が始まる一時間半前には学校に着いた。
ちょうど生徒たちは劇やらクラス催事やらの準備をしている時間だ。

僕は自分の教室の前を通り過ぎた。
決戦前夜の狂乱に似た盛り上がりの声が途切れることなくどの教室からも聞こえてくる。
僕は刺々しいほどのエネルギーを程よく吸収すると、体育館に向かった。

来客用の出入り口はおろか通路に面した出入り口は全て鍵がかけられ、中に入ることが出来なかった。
僕は半ば諦めた気持ちで裏口の小さな扉を目指す。

運が良いことに裏口は鍵がかかっていなかった。
恐らく事務員の人がその扉だけは鍵をかけ忘れたのだろう。

体育館の中に入るとこの巨大な空間は静寂で満たされていた。
前日の一日目のイベントの名残であろう椅子の配置、ステージの装飾、ステージ横に張られた大きな紙のタイムテーブル。
そこに昨日の予定が記されている。
そのうちここも騒がしくなるだろう。
しかし今は何一つとして身動きするモノはなかった。

静止した空間で僕は、届きそうもないくらい高い天井でむき出しになっている荒々しい骨組みが、今だけは息を潜めるようにしている様子をぼんやりと見つめる。
僕は学校祭が始まるまでの、この少しばかりの時間を体育館でぼーっと過ごした。
行く当てがないのならせめて静かなところにいたかった。
この静けさが好きだった。


そして学校祭が始まる。

僕のクラスは午前中の二番目で、僕は前のクラスの劇から見るためホール室に向かう。

この日の学校には他校から生徒も来ているようでどの催事も賑わいを見せ、時折食欲をそそる匂いが、分け隔てなく皆の鼻腔をくすぐりながら廊下を通り過ぎていく。

僕は前のクラスの劇を見た。
現代風かぐや姫という昔話とコメディを混ぜたものだった。

劇が終わると今度は僕のクラスの番になる。

舞台や音響の準備で一度観客の移動時間として会場は明るくなり、舞台上では河井や藤城、岩屋さんなどが最終確認をしている。
僕がこうして今、観客席側からその様子を見ていることにまだ気づいていないようだった。
あいにく僕は今日、クラスの誰とも直接会って喋っていない。
彼らの衣装もメイクもばっちりのようだった。

舞台の準備が出来ると、会場一体が暗くなり、自然と視線は舞台上に目一杯注がれる。

物語は河井のナレーションとともに始まった。


ある日、片山演じる高校生の主人公は近い将来が視えるという不思議な力を手に入れた。
その力は不意に発動し、視える未来は数秒から数分まで様々である。
ただし一つだけその見える未来に共通していたことがあった。
それは誰かが不幸な目に遭うということだった。

誰かが鳥のフンに遭う未来を視れば、主人公は誰もその鳥に近づくことがないようにマークした。

誰かが財布を落とす未来を視れば、落とす前にポケットから出ている財布の柄を褒めてポケットの奥に無意識に仕舞わせた。

誰かが交通規則を破った車と交通事故に遭う未来を視れば、主人公はその人と初対面であるにも関わらず、不自然に思われない程度に呼び止め、軽い雑談でその人が事故に遭わないよう時間をずらした。

ひったくりに遭う人にはまだ起こってもいないひったくりを見たと嘘を伝えて注意を促したりもした。

主人公に直接お礼を言う人は誰もいなかったが、主人公は礼を求めてやっているわけではないので気にする素振りを一度も見せなかったし、本人もどうでも良いことだと思っていた。
 

ある日主人公は、学校のクラス内で大きな喧嘩が起きる未来を視た。
その血気盛んな男子生徒の派手な喧嘩の巻き添えで、近くにいた女子生徒が机の角で思い切り背中を強打して入院する、という大事にまで発展することを知る。

主人公は喧嘩の張本人で、発端となる軽口を叩いた男子生徒と接触し、何かと理由をこじつけ、起こるはずだった喧嘩の相手とは今日は絶対関わらないように、と説得した。
相手は主人公の言い分に疑問を覚えながらもしぶしぶ納得していた。

喧嘩が起こるはずだった昼休みは何事もなく、いつも通り平和に終わった。
だから主人公は安心していた。

だけど彼は喧嘩をするはずだった彼らが普段からあまり仲が良くなくて、何かきっかけがあれば喧嘩に発展するほど鬱憤が溜まっていたことを知らなかった。
 
主人公が視た未来と逆の男子生徒の彼が発した軽口が、主人公の忠告していた生徒の耳に入ってしまう。

気づけば二人はいつの間にか教室内で喧嘩を始めていた。

周りの生徒は驚き、固まったままその喧嘩の行方を見ていた。
怪我をするはずの女子生徒も少し離れたところにいて固唾をのんでいた。
どうすればいいのか分からないようだった。
そこは喧嘩のとばっちりを受けないと思えるほどの距離はあった。主人公が視た未来とは少しばかり状況が違っていたが、それでもその女子生徒を喧嘩から遠ざけねばならないような気がしていた。

主人公は必死にその女子生徒に離れるよう声をかける。

しかし喧嘩の怒鳴り声で主人公の声はすぐさまかき消されてしまう。
いちいち口に出して説明するのも面倒だと思った主人公はその女子生徒の腕を掴んで席から立たせ、ここは危ないことを身振りでどうにか示し、無理やりにでも教室の隅に行くよう説得し、彼女の背中を押して先に行かせた。

彼女はとても驚いていたが素直に主人公の言うことを聞いた。

そして主人公が安心したのも束の間、主人公は男子生徒の掴み合いの喧嘩に巻き込まれ、跳ね飛ばされた。

主人公は背中を机でしたたかに打った。

そして目の前が真っ暗になった。


気づけば主人公は病院のベッドで寝ていた。
背中の痛みはまだ残っていて大きく身体を動かすと痛みが走る。
しかし主人公は周囲に特別な医療器具はなく、大きなけがをしていないことを知る。

「なんてお礼を言ったらいいのか分かんないんだけど、本当にありがとね」

主人公が声のほうを見ると、病室の扉の近くに女子生徒がいた。
主人公が喧嘩に巻き込まれないように声をかけた生徒だった。

結果的に彼女は被害を免れ、代わりに主人公が被害を負ったのだ。

主人公の怪我は全治二週間で入院生活を余儀なくされた。

その間、何度も彼女はお見舞いに来た。
あまり話したことのない間柄だったが、病院生活に退屈していた主人公を喜ばすのが楽しくて彼女はいろいろな話をたくさん話した。
主人公も彼女の話を聞くのが楽しくて、いつしか毎日病棟を訪れるようになっていた彼女を、今日はいつ来てくれるだろうかと楽しみにするようになっていった。

主人公が回復して学校に行くと、彼女は学校でもよく主人公に話しかけるようになった。

主人公はなぜ自分がこんなにも彼女から懐かれているのかふと疑問に思った。

主人公が代わりに怪我を負ってしまったことで彼女が何か負い目を感じて、病院で主人公を喜ばせようとしていたなら、もうその役目は終わってくれて構わなかった。

わざわざ病院に来てくれて感謝は十分伝わっている。

彼女は普段から親しく喋りあえる友達がいなくて、そんな友達を必要としているからでは、と少し詮索した。

しかし彼女にもちゃんと喋りあえる女子生徒の友達はいるようで、なぜ今でも主人公に話しかけてくれるのか分からなかった。

例の喧嘩の事件の後、主人公は他人を助けるのを思い留まるようになっていた。

別に礼を求めているわけではないが、主人公と関係のない他人を善意で助ける意味はあるのか。

彼らのお礼の気持ちだってせいぜい五分もたたないうちにどうせ消えている。
事件が起こる前にさりげなさを装って人助けすることは相当主人公に心労を負わせていた。
その途中で主人公自身が怪我をして、入院するようなことがあっては本末転倒だ。

入院してからの主人公は、他人に何の干渉もせず、あるがままの形でよいのでは、と思い始めていた。
それに主人公は学校で彼女と話すのが楽しかった。

だからその間、他の誰かのどんな不幸な未来を視るようなことが幾度となくあったが、全て視て見ぬふりをした。
他人に起こることは他人で解決してほしかった。

他人の不幸を見逃すことに初めは少し心が痛んだ。
次第にその痛みにも慣れ、逆に今まで主人公が背負ってきた気苦労みたいなものが解消されて、気分は不思議と悪くなかった。

ここから劇はクライマックスへと突入する。