抱きかかえたカタリナは、気を失っていた。
唇は紫色に変色し、呼吸も浅い。
ナーガの毒が回っている証拠だ。
俺を助けるために激しく体を動かしたせいか、予想していたよりも毒の進行が早い。
「待ってろ! すぐに毒を抜いてやるからなっ!」
カタリナの頬に手を当て、頭の中で濁った池の水が浄化されていくイメージを作る。
そこに魔力を入れて発動。
魔力切れを警告する頭を殴られたような衝撃で一瞬意識が飛びかけたが、魔術の発動には成功した。
カタリナの頬が青白く輝き、彼女の表情が次第に柔らかくなっていく。
それを見てとりあえず安堵したが、カタリナの意識は戻ってこなかった。
毒がまだ残っているのか、それとも受けた傷が深かったからか。
可能性としては後者だろうと考えた俺は、急いでキュアヒーリングのイメージを頭の中で作る。
だが──
「う……っ」
魔力を入れようとした瞬間、視界が揺れるほどの激しい頭痛に襲われ、体から力が抜け落ちていった。
カタリナの頬に触れている俺の手からは、何の魔術も発動されなかった。
久しく経験していなかった、魔力切れだ。
「くそ、ここに来て……っ」
俺はカタリナをそっと地面に下ろしてポーチの中を漁った。
魔力ポーションは残ってないか。
ほんの僅かでも良い。キュアヒーリング一回分でもポーションが残っていれば、カタリナを助けられる。
だが、状況がさらに俺を追い込んくる。
煌々と洞窟を照らしていたアルコライトの魔術が切れたのだ。
周囲が一瞬で暗闇に包まれた。
「……ああ、畜生っ!」
何なんだ、クソ!
どうしてこうも上手く行かないんだ!
「こうなったら、キュアヒーリングが発動するまで魔術を連発してやる……っ」
魔力が無くなった状態で魔術を発動させようとすると、意識を失ってしまう可能性があって非常に危険なのだが、絶対にカタリナだけは助ける。
俺はすぐに手探りで地面におろしたカタリナを探しはじめた。
だが──どういうことか、カタリナの体に触れることができなかった。
一抹の不安が過る。
ナーガは暗闇の中でも行動できるモンスターだ。まさか、ポーチの中を漁る一瞬でカタリナを連れ去ったとでもいうのか。
まさか、ウソだろ。
冗談だと言ってくれ。
焦燥に駆られて、一心不乱にカタリナの姿を探す。
俺の指先に、何かが触れた。
カタリナかと思った俺は、指にふれたそれを掴む。
「……っ!?」
ギョッとしてしまったのは、予想に反して柔らかくて、すべすべとした肌の感触があったからだ。
カタリナは鎧の下にチュニックを着ている。
肌が露出している部分はそう多くはない。
あるとしたら、下半身。
パンツとブーツの隙間にある、眩しいほどの大腿部。
「……まさか」
俺は、それに顔を近づけてじっと目を凝らす。
次第に暗闇に慣れてきた俺の目に映ったのは、カタリナの長い足だった。
あ、やばい。
もろにカタリナの太ももを掴んでしまった。
それも、結構キワドい部分を……。
というか、顔を近づけて太ももを触ってるって、控えめに言って変態すぎる。
こんな状況で意識が戻ったら、絶対殺される。
目が覚めて欲しいと願いつつも、できることならこのまま気を失ってくれと祈ってしまう俺。
だが。
「……え、と」
暗闇に浮かんだのは、カタリナの声。
俺の心臓が、爆発したんじゃないかと思うくらいに大きく跳ねた。
「な、何をしてるの……かな?」
焦りまくった俺だったが、そのカタリナの言葉に一縷の望みを見いだした。
カタリナは状況が見えていない可能性がある。
なにせ、周囲は真っ暗なのだ。
夜目でも効かないかぎり、俺が何をしているのかまでわかるわけが──
(一瞬気を失ってたけど、これ、どういう状況なのっ!? なんでピュイくんが顔を近づけてわたしの足を触ってるのっ!?)
はい、モロバレでした。
AAクラス冒険者のカタリナさんは、比較的、夜目も効くようです。
そういやアルコライトで視界を確保する前から、ヴァンパイア・バットの動きを察知してましたよね!
「お、おお、落ち着けカタリナ! 俺は決してヤラシイことをしようとか、寝込みを襲おうとか、そういうことを考えていたわけじゃなくてだな!」
「お、お、お、襲う!? こんな状況で何を考えてるの!?(襲うならせめて起きてるときにしてっ!)」
「だから、違うって言ってるだろ!」
そして、ついでにさらっと、とんでもないことを言うんじゃない!
起きてても襲わねぇよ!
「ていうか、お前が倒れてマジで心配したんだぞ!? アルコライトも切れちまうし、またナーガが来るんじゃないかって不安になって……その、暗闇の中で慌ててお前を探してキュアヒールをかけようと思って……それで、だな」
なんだか取り乱したことに恥ずかしくなって、尻すぼみで声が小さくなってしまった。
「そ、そうだったんだ……」
カタリナはようやく理解してくれたらしい。
俺は小さい声でつづける。
「でも、ありがとうな。その、助けてくれて」
「……こ、こっちこそ」
「……」
「……」
沈黙。
気まずい空気がずっしりと両肩にのしかかってくる。
俺は居心地の悪さを我慢して、そっとカタリナに尋ねる。
「か、体は大丈夫なのか? 具合は悪くないか?」
「う、うん、平気。傷はそれほど深くないし、毒のせいで気を失っちゃってたけど、問題なく動けるわ。ピュイくんが毒抜きをしてくれたのよね?」
「まぁな。魔力は切れちまったけど」
「え」
雰囲気でカタリナがこっちにずいっと身を乗り出してきたのがわかった。
「もしかして、真っ暗なのにアルコライトを使ってないのって……」
「そう。魔力が尽きたから」
「だ、大丈夫なの!? 魔力って尽きたら命に関わるんじゃ!?」
「え? いやいや、尽きた状態で魔術を使わなきゃ平気だよ」
そういう迷信じみた話は、俺も時々耳にする。
魔術師は魔力が尽きたら死んでしまうだの、魔力が尽きたら血を使って魔術を発動させるだの。
流れているそれらの噂は完全なデマだ。
とはいえ、悪意があるデマというわけではない。「魔力管理をおろそかにすれば死に繋がる」という啓蒙のために、先代の魔術師たちによって広められたものなのだ。
「……そう? それなら、いいんだけど」
ほっと安堵の吐息をもらして、カタリナが立ち上がった。
「カタリナ?」
「あなたはここで待ってて。ナーガの討伐証拠を取ってくるから」
「……あ」
すっかり忘れてた。
慌てて立ち上がろうとした俺をカタリナが止める。
「だから良いって。真っ暗だし、何にも見えないでしょ?」
確かにカタリナの言う通りだ。アルコライトは使えないし、この暗闇の中で探すのは無理だ。
「じゃあ、よろしく頼む」
軽い自己嫌悪。
俺の依頼なのに、助けてもらってばかりだ。
カタリナの気配が近くから消えてすぐ、なにかに刃物を突き刺す音が聞こえた。
俺には何も見えないが、カタリナにはナーガの死体の場所が手に取るようにわかるらしい。
しばらく静寂が続き、違う場所でまた同じような音が鳴る。
「……取ってきたわよ」
近くからカタリナの声がした。
「全部で6匹。十分でしょ?」
「だな。サンキュ」
目を凝らして、カタリナから討伐証拠を受け取る。
依頼は「5匹の討伐」だったから、成果としては十分すぎる。
なんだかねっとりしてて気持ち悪いけど、これで4つの依頼は全て完了だ。あとはギルドに戻って報告すれば、冒険者試験を受けることができるはず。
「ん」
と、再びカタリナの声。
こちらに向かって何かをしているようだが、よくわからなかった。
「え? 何だ? なんも見えん」
「……て、手よ」
「え? 手?」
「わ、わわ、わたしと手をつないで」
「……はぁっ!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
いきなり何を言い出すんだこいつは──と思ったけど、あれか。暗くて危ないから手をつないで欲しいって意味か。
「い、いや、お前って夜目が利くっぽいし、別に俺と手を繋がなくても危なくないだろ?」
「なな、何言ってるのよ。危ないのはわたしじゃなくて、ピュイくんのほうだからっ!」
「……」
しばし考えて、理解する。
あ、そういうことか。
確かに危ないのは、魔力が尽きてる俺のほうだ。
手探りで歩いていたら日が暮れてしまうし、また崩落事故に巻き込まれてしまうかもしれない。
「ええっと……じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は手探りをしながら、カタリナの手をにぎった。
瞬間、カタリナの歓喜に満ちた心の声が聞こえてくる。
(ピュピュピュ、ピュイくんが素直に手を繋いでくれたっ!? やばいやばい! 一緒に依頼に来てよかったあっ! ああもう、死ねる! 今すぐ死ぬ!)
ちょっとカタリナさん、軽々しく死ぬとか言わないでくれますかね?
あなたを助けるのに、どれだけ苦労したと思ってるんですか。
こんなことで死んだら、殺しますからね?
「じゃあ、行くわよ?(わたし、手汗とか大丈夫だよね? 念の為、拭いたほうがいいかな? あ、でも、もう手を離したくないし……)」
「お、おう」
俺の手汗もヤバいから、気にするなと心の中で返した瞬間、カタリナは、暗闇の中とは思えないほどに軽快に歩き出した。
「帰り道、分かるのか?」
あまりにも自信満々に歩き出したものだから、尋ねてしまった。
「わからないけど、『右手法』を使えば外に出られるはずよ」
「右手法? なんだそれ」
「右側の壁にそってひたすら壁沿いに歩くって方法よ。時間はかかるけど確実に出られる。ダンジョン攻略の解法よ」
なるほど。壁の切れ目は入り口しかないはずだから、壁にそっていけば最終的には必ず出口にたどり着けるってわけか。
長いこと冒険者をやってたけど、はじめて聞いた。
危険度がそこまで高くないDランクの依頼では必要のない知識なのかもしれない。
「カタリナは剣の腕だけじゃなくて、知識も深いんだな」
「ピュイくんだってそうでしょ? わたしも、あんな戦い方があるなんて、知らなかったし」
「あんな戦い方?」
「ピュイくんがナーガを倒した方法よ」
そう言われてしばし考え、回復魔術の過剰摂取の件を言っているのだと気づく。
「……ああ、あれか。回復魔術の過剰摂取は危険だって話を師匠から聞いたことがあってさ。ぶっつけ本番だったけど、上手くいってよかった」
「師匠って、トラブル続きだったっていう魔術の?」
「そ。俺の魔術師の師匠のフリオニール」
その名前を出したとき、カタリナの手にキュッと力が入った気がした。
もしかしてフリオニールのことを知ってるのか……と思ったけど、知っているふうなことを心の中で言ってたっけ。
あのときはどんな関係なのか聞けなかったけど、この会話の流れなら尋ねてもおかしくないかもしれない。
「もしかして、フリオニールのこと、知ってるのか?」
「ええ。まぁ……」
言葉を濁すカタリナ。
意外な反応だった。
てっきり、あれこれと昔話を聞かせてくれるのかと思っていた。
もしかして、あまり思い出したくない部類の話なのだろうか。
例えば、亡くなった両親と関係しているとか。
「子供の頃、ちょっとね」
静かにカタリナが続けた。
やはりそうだ、と思った。
子供の頃にフリオニールと会ったということは、亡くなった両親に関係していることなのだ。
多分、カタリナも野盗やモンスターに故郷を焼かれ、フリオニールに保護されたのだろう。
俺が師事する前も、フリオニールは世界中を旅する中でたくさんの子供を保護していたって聞くし──
「……ん?」
と、そこで俺の頭にひとつの疑問が浮かんだ。
カタリナと俺の年齢は、そう離れていない。そのカタリナが子供の頃なのだから、多く見積もっても10年くらい前の話だ。
10年前──俺とフリオニールが一緒に旅をしていた時期。
まさか、俺とカタリナは、子供の頃に会っていたのか?
でも、全く記憶にない。
こんな可愛い銀髪の子供なんて──
「……」
そのとき、俺の頭にとある少女の顔が浮かんだ。
まさか──。
でも──。
いくつもの疑問が胸中を渦巻き、俺は恐る恐る前を歩くカタリナの背中に尋ねた。
「なぁ、カタリナ。お前は……どこでフリオニールと会ったんだ?」
そう尋ねると、カタリナはぴたりと足を止めた。
「……わたしの故郷で。でも、そのとき、フリオニールはひとりじゃなかったわ」
カタリナはそこでふっと一呼吸入れて、続けた。
「略奪で村を焼かて……教会でひとり怯えていたわたしを助けてくれたのは、フリオニールと──あなたよ」
唇は紫色に変色し、呼吸も浅い。
ナーガの毒が回っている証拠だ。
俺を助けるために激しく体を動かしたせいか、予想していたよりも毒の進行が早い。
「待ってろ! すぐに毒を抜いてやるからなっ!」
カタリナの頬に手を当て、頭の中で濁った池の水が浄化されていくイメージを作る。
そこに魔力を入れて発動。
魔力切れを警告する頭を殴られたような衝撃で一瞬意識が飛びかけたが、魔術の発動には成功した。
カタリナの頬が青白く輝き、彼女の表情が次第に柔らかくなっていく。
それを見てとりあえず安堵したが、カタリナの意識は戻ってこなかった。
毒がまだ残っているのか、それとも受けた傷が深かったからか。
可能性としては後者だろうと考えた俺は、急いでキュアヒーリングのイメージを頭の中で作る。
だが──
「う……っ」
魔力を入れようとした瞬間、視界が揺れるほどの激しい頭痛に襲われ、体から力が抜け落ちていった。
カタリナの頬に触れている俺の手からは、何の魔術も発動されなかった。
久しく経験していなかった、魔力切れだ。
「くそ、ここに来て……っ」
俺はカタリナをそっと地面に下ろしてポーチの中を漁った。
魔力ポーションは残ってないか。
ほんの僅かでも良い。キュアヒーリング一回分でもポーションが残っていれば、カタリナを助けられる。
だが、状況がさらに俺を追い込んくる。
煌々と洞窟を照らしていたアルコライトの魔術が切れたのだ。
周囲が一瞬で暗闇に包まれた。
「……ああ、畜生っ!」
何なんだ、クソ!
どうしてこうも上手く行かないんだ!
「こうなったら、キュアヒーリングが発動するまで魔術を連発してやる……っ」
魔力が無くなった状態で魔術を発動させようとすると、意識を失ってしまう可能性があって非常に危険なのだが、絶対にカタリナだけは助ける。
俺はすぐに手探りで地面におろしたカタリナを探しはじめた。
だが──どういうことか、カタリナの体に触れることができなかった。
一抹の不安が過る。
ナーガは暗闇の中でも行動できるモンスターだ。まさか、ポーチの中を漁る一瞬でカタリナを連れ去ったとでもいうのか。
まさか、ウソだろ。
冗談だと言ってくれ。
焦燥に駆られて、一心不乱にカタリナの姿を探す。
俺の指先に、何かが触れた。
カタリナかと思った俺は、指にふれたそれを掴む。
「……っ!?」
ギョッとしてしまったのは、予想に反して柔らかくて、すべすべとした肌の感触があったからだ。
カタリナは鎧の下にチュニックを着ている。
肌が露出している部分はそう多くはない。
あるとしたら、下半身。
パンツとブーツの隙間にある、眩しいほどの大腿部。
「……まさか」
俺は、それに顔を近づけてじっと目を凝らす。
次第に暗闇に慣れてきた俺の目に映ったのは、カタリナの長い足だった。
あ、やばい。
もろにカタリナの太ももを掴んでしまった。
それも、結構キワドい部分を……。
というか、顔を近づけて太ももを触ってるって、控えめに言って変態すぎる。
こんな状況で意識が戻ったら、絶対殺される。
目が覚めて欲しいと願いつつも、できることならこのまま気を失ってくれと祈ってしまう俺。
だが。
「……え、と」
暗闇に浮かんだのは、カタリナの声。
俺の心臓が、爆発したんじゃないかと思うくらいに大きく跳ねた。
「な、何をしてるの……かな?」
焦りまくった俺だったが、そのカタリナの言葉に一縷の望みを見いだした。
カタリナは状況が見えていない可能性がある。
なにせ、周囲は真っ暗なのだ。
夜目でも効かないかぎり、俺が何をしているのかまでわかるわけが──
(一瞬気を失ってたけど、これ、どういう状況なのっ!? なんでピュイくんが顔を近づけてわたしの足を触ってるのっ!?)
はい、モロバレでした。
AAクラス冒険者のカタリナさんは、比較的、夜目も効くようです。
そういやアルコライトで視界を確保する前から、ヴァンパイア・バットの動きを察知してましたよね!
「お、おお、落ち着けカタリナ! 俺は決してヤラシイことをしようとか、寝込みを襲おうとか、そういうことを考えていたわけじゃなくてだな!」
「お、お、お、襲う!? こんな状況で何を考えてるの!?(襲うならせめて起きてるときにしてっ!)」
「だから、違うって言ってるだろ!」
そして、ついでにさらっと、とんでもないことを言うんじゃない!
起きてても襲わねぇよ!
「ていうか、お前が倒れてマジで心配したんだぞ!? アルコライトも切れちまうし、またナーガが来るんじゃないかって不安になって……その、暗闇の中で慌ててお前を探してキュアヒールをかけようと思って……それで、だな」
なんだか取り乱したことに恥ずかしくなって、尻すぼみで声が小さくなってしまった。
「そ、そうだったんだ……」
カタリナはようやく理解してくれたらしい。
俺は小さい声でつづける。
「でも、ありがとうな。その、助けてくれて」
「……こ、こっちこそ」
「……」
「……」
沈黙。
気まずい空気がずっしりと両肩にのしかかってくる。
俺は居心地の悪さを我慢して、そっとカタリナに尋ねる。
「か、体は大丈夫なのか? 具合は悪くないか?」
「う、うん、平気。傷はそれほど深くないし、毒のせいで気を失っちゃってたけど、問題なく動けるわ。ピュイくんが毒抜きをしてくれたのよね?」
「まぁな。魔力は切れちまったけど」
「え」
雰囲気でカタリナがこっちにずいっと身を乗り出してきたのがわかった。
「もしかして、真っ暗なのにアルコライトを使ってないのって……」
「そう。魔力が尽きたから」
「だ、大丈夫なの!? 魔力って尽きたら命に関わるんじゃ!?」
「え? いやいや、尽きた状態で魔術を使わなきゃ平気だよ」
そういう迷信じみた話は、俺も時々耳にする。
魔術師は魔力が尽きたら死んでしまうだの、魔力が尽きたら血を使って魔術を発動させるだの。
流れているそれらの噂は完全なデマだ。
とはいえ、悪意があるデマというわけではない。「魔力管理をおろそかにすれば死に繋がる」という啓蒙のために、先代の魔術師たちによって広められたものなのだ。
「……そう? それなら、いいんだけど」
ほっと安堵の吐息をもらして、カタリナが立ち上がった。
「カタリナ?」
「あなたはここで待ってて。ナーガの討伐証拠を取ってくるから」
「……あ」
すっかり忘れてた。
慌てて立ち上がろうとした俺をカタリナが止める。
「だから良いって。真っ暗だし、何にも見えないでしょ?」
確かにカタリナの言う通りだ。アルコライトは使えないし、この暗闇の中で探すのは無理だ。
「じゃあ、よろしく頼む」
軽い自己嫌悪。
俺の依頼なのに、助けてもらってばかりだ。
カタリナの気配が近くから消えてすぐ、なにかに刃物を突き刺す音が聞こえた。
俺には何も見えないが、カタリナにはナーガの死体の場所が手に取るようにわかるらしい。
しばらく静寂が続き、違う場所でまた同じような音が鳴る。
「……取ってきたわよ」
近くからカタリナの声がした。
「全部で6匹。十分でしょ?」
「だな。サンキュ」
目を凝らして、カタリナから討伐証拠を受け取る。
依頼は「5匹の討伐」だったから、成果としては十分すぎる。
なんだかねっとりしてて気持ち悪いけど、これで4つの依頼は全て完了だ。あとはギルドに戻って報告すれば、冒険者試験を受けることができるはず。
「ん」
と、再びカタリナの声。
こちらに向かって何かをしているようだが、よくわからなかった。
「え? 何だ? なんも見えん」
「……て、手よ」
「え? 手?」
「わ、わわ、わたしと手をつないで」
「……はぁっ!?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
いきなり何を言い出すんだこいつは──と思ったけど、あれか。暗くて危ないから手をつないで欲しいって意味か。
「い、いや、お前って夜目が利くっぽいし、別に俺と手を繋がなくても危なくないだろ?」
「なな、何言ってるのよ。危ないのはわたしじゃなくて、ピュイくんのほうだからっ!」
「……」
しばし考えて、理解する。
あ、そういうことか。
確かに危ないのは、魔力が尽きてる俺のほうだ。
手探りで歩いていたら日が暮れてしまうし、また崩落事故に巻き込まれてしまうかもしれない。
「ええっと……じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は手探りをしながら、カタリナの手をにぎった。
瞬間、カタリナの歓喜に満ちた心の声が聞こえてくる。
(ピュピュピュ、ピュイくんが素直に手を繋いでくれたっ!? やばいやばい! 一緒に依頼に来てよかったあっ! ああもう、死ねる! 今すぐ死ぬ!)
ちょっとカタリナさん、軽々しく死ぬとか言わないでくれますかね?
あなたを助けるのに、どれだけ苦労したと思ってるんですか。
こんなことで死んだら、殺しますからね?
「じゃあ、行くわよ?(わたし、手汗とか大丈夫だよね? 念の為、拭いたほうがいいかな? あ、でも、もう手を離したくないし……)」
「お、おう」
俺の手汗もヤバいから、気にするなと心の中で返した瞬間、カタリナは、暗闇の中とは思えないほどに軽快に歩き出した。
「帰り道、分かるのか?」
あまりにも自信満々に歩き出したものだから、尋ねてしまった。
「わからないけど、『右手法』を使えば外に出られるはずよ」
「右手法? なんだそれ」
「右側の壁にそってひたすら壁沿いに歩くって方法よ。時間はかかるけど確実に出られる。ダンジョン攻略の解法よ」
なるほど。壁の切れ目は入り口しかないはずだから、壁にそっていけば最終的には必ず出口にたどり着けるってわけか。
長いこと冒険者をやってたけど、はじめて聞いた。
危険度がそこまで高くないDランクの依頼では必要のない知識なのかもしれない。
「カタリナは剣の腕だけじゃなくて、知識も深いんだな」
「ピュイくんだってそうでしょ? わたしも、あんな戦い方があるなんて、知らなかったし」
「あんな戦い方?」
「ピュイくんがナーガを倒した方法よ」
そう言われてしばし考え、回復魔術の過剰摂取の件を言っているのだと気づく。
「……ああ、あれか。回復魔術の過剰摂取は危険だって話を師匠から聞いたことがあってさ。ぶっつけ本番だったけど、上手くいってよかった」
「師匠って、トラブル続きだったっていう魔術の?」
「そ。俺の魔術師の師匠のフリオニール」
その名前を出したとき、カタリナの手にキュッと力が入った気がした。
もしかしてフリオニールのことを知ってるのか……と思ったけど、知っているふうなことを心の中で言ってたっけ。
あのときはどんな関係なのか聞けなかったけど、この会話の流れなら尋ねてもおかしくないかもしれない。
「もしかして、フリオニールのこと、知ってるのか?」
「ええ。まぁ……」
言葉を濁すカタリナ。
意外な反応だった。
てっきり、あれこれと昔話を聞かせてくれるのかと思っていた。
もしかして、あまり思い出したくない部類の話なのだろうか。
例えば、亡くなった両親と関係しているとか。
「子供の頃、ちょっとね」
静かにカタリナが続けた。
やはりそうだ、と思った。
子供の頃にフリオニールと会ったということは、亡くなった両親に関係していることなのだ。
多分、カタリナも野盗やモンスターに故郷を焼かれ、フリオニールに保護されたのだろう。
俺が師事する前も、フリオニールは世界中を旅する中でたくさんの子供を保護していたって聞くし──
「……ん?」
と、そこで俺の頭にひとつの疑問が浮かんだ。
カタリナと俺の年齢は、そう離れていない。そのカタリナが子供の頃なのだから、多く見積もっても10年くらい前の話だ。
10年前──俺とフリオニールが一緒に旅をしていた時期。
まさか、俺とカタリナは、子供の頃に会っていたのか?
でも、全く記憶にない。
こんな可愛い銀髪の子供なんて──
「……」
そのとき、俺の頭にとある少女の顔が浮かんだ。
まさか──。
でも──。
いくつもの疑問が胸中を渦巻き、俺は恐る恐る前を歩くカタリナの背中に尋ねた。
「なぁ、カタリナ。お前は……どこでフリオニールと会ったんだ?」
そう尋ねると、カタリナはぴたりと足を止めた。
「……わたしの故郷で。でも、そのとき、フリオニールはひとりじゃなかったわ」
カタリナはそこでふっと一呼吸入れて、続けた。
「略奪で村を焼かて……教会でひとり怯えていたわたしを助けてくれたのは、フリオニールと──あなたよ」