「や、やめてピュイくん、はやく逃げて……」
俺の腕の中でカタリナがかすれる声で囁いた。
「お前を置いていけるわけがないだろ。何回も同じことを言わせるな」
「……っ」
カタリナが小さい悲鳴のような声をあげた。
「ここで見てろよ。すぐに終わらせるから」
カタリナをそっと地面に下ろし、俺は素手のまま身構えた。
俺に警戒しているのか、2匹のナーガはいきなり襲ってこようとはせず、ジリジリと距離を詰めてくる。
それを見て、恐怖で手足が震えてしまった。
かっこいいセリフを吐いた手前、言いにくいけどはっきりと言おう。
一介の回復魔術師である俺に、ナーガ2匹を倒す術なんてあるわけがない、と!
「……どうする。考えろ、俺」
俺にできることは、回復魔術をかけることと相手の心を聞くことだけ。
とりあえず、心の声を聞いてみるか。
何か活路を見いだせるようなことをつぶやいているかもしれない。
(……エサ……クウ)
はい、意味ありませんでした。
知能が高い亜人種ならまだしも、普通のモンスターの心の声を聞くのは無理か。
シュルシュルと威嚇音を立てながら、2匹のナーガはさらに近づいてくる。
恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだった。
このままでは、腹を空かせたこいつらのエサになってしまう。
何か彼らのエサになるものは無いかとポーチを漁ってみたが、割れたポーションや火打石、それに、討伐証拠になるモンスターの体の一部があるだけだった。
こんなことなら、ヴァンパイア・バットの肉でも持ってくるべきだった。やつらの肉を与えれば、さすがにナーガの胃袋もパンパンになるはず。
腹いっぱいになればヤツらも動けなくなって、貧弱な俺でも戦えるくらいに──
「……ちょっと待てよ」
その瞬間、頭の中で何かが繋がりそうになった。
俺は深呼吸をして心を落ち着かせ、もう一度、思考を巡らせる。
肉を過剰に与えれば、足かせになる。
つまり、薬も過剰に与えれば毒になるということだ。
昔、似たようなことをフリオニールが言っていた気がする。
「そうだ」
心の奥底から力が湧き出てくる感覚があった。
その手があった。
これが上手く行けば──ナーガを倒せるはず!
持ってくれよ、俺の魔力!
お前は魔力の総量が多いだけが取り柄の、回復魔術師だろ!
俺は大声で恐怖を紛らわせながら、ナーガに向かって走り出す。
「う……おおおおおっ!」
ナーガの1匹が、くわっと口を開けて襲いかかってきた。
頭からかぶりついて来たひとつめの首を横に躱し、さらに距離を詰める。
すぐにふたつめの首が食らいついてくる。
ぎりぎりで頭を下げて避ける。
魔導衣が裂ける音。
だが、怪我はない。
そして、みっつめの首が襲ってきたタイミングで、ナーガの体に飛びつき、背中へと回った。
ナーガの皮膚を覆う粘液で手が滑りそうになったが、ナーガの首を掴んで必死に耐える。
脳内で廃村に花が芽吹くイメージを作った。
キュアヒールのイメージだ。
「くらえっ!」
手のひらが青白く輝き、ナーガの体がかすかに熱を持つ。
俺を振り落とそうとナーガが暴れだした。
「まだ……っ!」
俺はナーガの背中にしがみついたまま、さらにキュアヒールを発動させる。
魔力の枯渇を知らせる頭痛。
まるで棍棒で頭を殴られているようだ。
「もう一度……っ! もう一度だっ!」
必死に振り落とされまいとへばりついたまま、何度もキュアヒールを発動させる。
2回、3回、4回……。
一体、何回キュアヒールを発動させただろう。
もしかして俺の予想は外れていたのか……と不安に苛まれたとき、ナーガの体に異変が起きた。
ぬめっとしていたナーガの皮膚が、ぼろぼろと崩れ始めたのだ。
来た。
ついに、来た。
やはり俺の考えていたとおり。
俺は心の中で握りこぶしを作る。
回復魔術の過剰摂取で、ナーガの細胞が限界を迎えたのだ。
回復魔術は傷を治癒する魔術だが、実際に傷を治癒しているのは魔術ではなく人間がもともと持っている「自然治癒力」だ。
回復魔術は、壊れた細胞の「元に戻ろうとする力」を活発化させているにすぎない。
そして、その細胞の「元に戻ろうとする力」には限界がある。
人はそれを「老化」という。
つまり、回復魔術を過度に摂取させれば、細胞は限界を越えて──老化し、壊死していくのだ。
『回復魔術は、ときとして猛毒となる』
そうフリオニールは言っていた。
でも、そう簡単に毒になるわけではない。
過剰摂取という言葉のとおり、過度に魔術をかけまくらないといけないのだ。
魔力の総量が多いとはいえ、枯渇しかけている俺にとっては命を賭けた勝負。
負けたときのリスクは、賭けポーカーの比じゃない。
手札が配られた時点を指す「プリフロップ」で、賭け金を全て投入する「オールイン」以上の博打。
だが──
「生憎、俺は賭け事には強いんだよっ!」
さらにキュアヒールを発動させた。
俺の両手が輝いたとき、ついにナーガは暴れるのをやめ、ゆっくりと背中から倒れた。
「……うぐっ!?」
咄嗟に飛び退こうとしたが、少し遅かった。
ナーガの背中にしがみついていたせいで、飛び退くことが遅れ、右足がナーガの下敷きになってしまった。
慌てて覆いかぶさるナーガの体を押しのけようとしたが、びくともしない。
──マズい。もう1匹のナーガが来る。
怖気立った俺の目に、こちらに向かってくる2匹目のナーガの姿が映った。
凄まじい速さで地面を這ってきたナーガは、大きく口を開けて飛びかかってきて──
「……っ!?」
──横から飛んできた剣に体を穿かれ、絶命した。
俺は両手を顔の前で交差させたまま、しばらく固まってしまった。
何だ?
一体、何が起きた?
「これで、5匹目……」
しんと静まり返った洞窟の中に、カタリナの声が浮かんだ。
はっとして声のほうを見ると、顔を真っ青にしたカタリナが、こちらに何かを投げたようなポーズのまま立っていた。
まさか、カタリナが助けてくれたのか?
ナーガの毒に犯されている状態で動けているのに驚いたが、彼女の周りに倒れている「それ」を見て、更に驚いた。
2体ほど、ナーガの死体が転がっていたのだ。
多分、俺がこっちで戦闘をしている間に仕留めたのだろう。
「これで試験、受けられるわね」
カタリナはにこりと微笑んだ後、糸が切れたかのように膝から崩れ落ちた。
「……っ! カタリナっ!」
俺はナーガの体の下からようやく這い出すと、カタリナの元へと走った。
俺の腕の中でカタリナがかすれる声で囁いた。
「お前を置いていけるわけがないだろ。何回も同じことを言わせるな」
「……っ」
カタリナが小さい悲鳴のような声をあげた。
「ここで見てろよ。すぐに終わらせるから」
カタリナをそっと地面に下ろし、俺は素手のまま身構えた。
俺に警戒しているのか、2匹のナーガはいきなり襲ってこようとはせず、ジリジリと距離を詰めてくる。
それを見て、恐怖で手足が震えてしまった。
かっこいいセリフを吐いた手前、言いにくいけどはっきりと言おう。
一介の回復魔術師である俺に、ナーガ2匹を倒す術なんてあるわけがない、と!
「……どうする。考えろ、俺」
俺にできることは、回復魔術をかけることと相手の心を聞くことだけ。
とりあえず、心の声を聞いてみるか。
何か活路を見いだせるようなことをつぶやいているかもしれない。
(……エサ……クウ)
はい、意味ありませんでした。
知能が高い亜人種ならまだしも、普通のモンスターの心の声を聞くのは無理か。
シュルシュルと威嚇音を立てながら、2匹のナーガはさらに近づいてくる。
恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだった。
このままでは、腹を空かせたこいつらのエサになってしまう。
何か彼らのエサになるものは無いかとポーチを漁ってみたが、割れたポーションや火打石、それに、討伐証拠になるモンスターの体の一部があるだけだった。
こんなことなら、ヴァンパイア・バットの肉でも持ってくるべきだった。やつらの肉を与えれば、さすがにナーガの胃袋もパンパンになるはず。
腹いっぱいになればヤツらも動けなくなって、貧弱な俺でも戦えるくらいに──
「……ちょっと待てよ」
その瞬間、頭の中で何かが繋がりそうになった。
俺は深呼吸をして心を落ち着かせ、もう一度、思考を巡らせる。
肉を過剰に与えれば、足かせになる。
つまり、薬も過剰に与えれば毒になるということだ。
昔、似たようなことをフリオニールが言っていた気がする。
「そうだ」
心の奥底から力が湧き出てくる感覚があった。
その手があった。
これが上手く行けば──ナーガを倒せるはず!
持ってくれよ、俺の魔力!
お前は魔力の総量が多いだけが取り柄の、回復魔術師だろ!
俺は大声で恐怖を紛らわせながら、ナーガに向かって走り出す。
「う……おおおおおっ!」
ナーガの1匹が、くわっと口を開けて襲いかかってきた。
頭からかぶりついて来たひとつめの首を横に躱し、さらに距離を詰める。
すぐにふたつめの首が食らいついてくる。
ぎりぎりで頭を下げて避ける。
魔導衣が裂ける音。
だが、怪我はない。
そして、みっつめの首が襲ってきたタイミングで、ナーガの体に飛びつき、背中へと回った。
ナーガの皮膚を覆う粘液で手が滑りそうになったが、ナーガの首を掴んで必死に耐える。
脳内で廃村に花が芽吹くイメージを作った。
キュアヒールのイメージだ。
「くらえっ!」
手のひらが青白く輝き、ナーガの体がかすかに熱を持つ。
俺を振り落とそうとナーガが暴れだした。
「まだ……っ!」
俺はナーガの背中にしがみついたまま、さらにキュアヒールを発動させる。
魔力の枯渇を知らせる頭痛。
まるで棍棒で頭を殴られているようだ。
「もう一度……っ! もう一度だっ!」
必死に振り落とされまいとへばりついたまま、何度もキュアヒールを発動させる。
2回、3回、4回……。
一体、何回キュアヒールを発動させただろう。
もしかして俺の予想は外れていたのか……と不安に苛まれたとき、ナーガの体に異変が起きた。
ぬめっとしていたナーガの皮膚が、ぼろぼろと崩れ始めたのだ。
来た。
ついに、来た。
やはり俺の考えていたとおり。
俺は心の中で握りこぶしを作る。
回復魔術の過剰摂取で、ナーガの細胞が限界を迎えたのだ。
回復魔術は傷を治癒する魔術だが、実際に傷を治癒しているのは魔術ではなく人間がもともと持っている「自然治癒力」だ。
回復魔術は、壊れた細胞の「元に戻ろうとする力」を活発化させているにすぎない。
そして、その細胞の「元に戻ろうとする力」には限界がある。
人はそれを「老化」という。
つまり、回復魔術を過度に摂取させれば、細胞は限界を越えて──老化し、壊死していくのだ。
『回復魔術は、ときとして猛毒となる』
そうフリオニールは言っていた。
でも、そう簡単に毒になるわけではない。
過剰摂取という言葉のとおり、過度に魔術をかけまくらないといけないのだ。
魔力の総量が多いとはいえ、枯渇しかけている俺にとっては命を賭けた勝負。
負けたときのリスクは、賭けポーカーの比じゃない。
手札が配られた時点を指す「プリフロップ」で、賭け金を全て投入する「オールイン」以上の博打。
だが──
「生憎、俺は賭け事には強いんだよっ!」
さらにキュアヒールを発動させた。
俺の両手が輝いたとき、ついにナーガは暴れるのをやめ、ゆっくりと背中から倒れた。
「……うぐっ!?」
咄嗟に飛び退こうとしたが、少し遅かった。
ナーガの背中にしがみついていたせいで、飛び退くことが遅れ、右足がナーガの下敷きになってしまった。
慌てて覆いかぶさるナーガの体を押しのけようとしたが、びくともしない。
──マズい。もう1匹のナーガが来る。
怖気立った俺の目に、こちらに向かってくる2匹目のナーガの姿が映った。
凄まじい速さで地面を這ってきたナーガは、大きく口を開けて飛びかかってきて──
「……っ!?」
──横から飛んできた剣に体を穿かれ、絶命した。
俺は両手を顔の前で交差させたまま、しばらく固まってしまった。
何だ?
一体、何が起きた?
「これで、5匹目……」
しんと静まり返った洞窟の中に、カタリナの声が浮かんだ。
はっとして声のほうを見ると、顔を真っ青にしたカタリナが、こちらに何かを投げたようなポーズのまま立っていた。
まさか、カタリナが助けてくれたのか?
ナーガの毒に犯されている状態で動けているのに驚いたが、彼女の周りに倒れている「それ」を見て、更に驚いた。
2体ほど、ナーガの死体が転がっていたのだ。
多分、俺がこっちで戦闘をしている間に仕留めたのだろう。
「これで試験、受けられるわね」
カタリナはにこりと微笑んだ後、糸が切れたかのように膝から崩れ落ちた。
「……っ! カタリナっ!」
俺はナーガの体の下からようやく這い出すと、カタリナの元へと走った。