一体どれくらい歩いただろうか。

 頭の上を浮遊するアルコライトの光を見ながら、俺はふと思った。

 出口を探しながら依頼をつづけることを決めてから、何度かヴァンパイア・バットとブラックウィドウと遭遇した。

 ブラックウィドウは、黒と赤の模様の巨大な蜘蛛のモンスターで、雌の個体が非常に多い珍しい種族だ。

 彼らは基本、複数体で行動していて、俺たちが遭遇したのは5匹のグループを作っていた。

 そのグロテスクな見た目を相まって、群れで襲いかかってきたときには少しヒヤリとしたけれど、戦闘モードのカタリナの敵ではなかった。

 またたく間に5匹の蜘蛛を倒し、ブラックウィドウの討伐依頼も達成。

 想定外のトラブルはあったけれど、残る依頼はナーガ討伐だけ──なのだが、ここに来てとある問題が起きていた。

「……大丈夫?」

 カタリナの声がした。

 ふと前をみると、カタリナが足を止めてじっと俺を見ていた。

「なんだか、顔色が悪い気がするけど」

「気のせいだろ。丁度、アルコライトが消えそうになってるし」

 天井を見上げると、浮遊している光の玉が消えかかっていた。

 俺は右手を広げて頭の中で光をイメージし、アルコライトを発動させる。

 手のひらから放たれた光の玉が、消失しかけた頭上の光の玉と重なり、輝きを増す。

 瞬間、くらっと目眩がした。

 俺は両足に力を入れて、必死に堪える。

「これでどうだ?」

 俺は努めて余裕の表情でカタリナに尋ねた。

「まぁ、ピュイくんが平気っていうなら、いいけど」

 カタリナは、喉に小骨が引っかかっているような晴れない表情だった。

(……本当に大丈夫なのかな。ちょっと心配なんだけど)

 カタリナの心からも不安の声が漏れる。

 正直なところ、俺の顔色が悪いように見えるのは気のせいではない。

 魔力が枯渇しかけている証拠なのだ。

 原因は、連続で発動させているアルコライト。

 携帯していた松明はとうに燃え尽き、光源を確保するためにアルコライトを連続して使う必要があったのだ。

 アルコライトは単発での使用魔力は微々たるものだが、連続で使うとなるとそれなりの魔力量になってくる。

 俺の魔力量は常人よりも多いけれど、無尽蔵にあるわけではない。

 こういうときのために、魔力ポーションを携帯していたのだけれど──

「……やっちまったなぁ」

「え? 何?」

「あ、いや、なんでもない」

 俺は愛想笑いを浮かべつつ、そっとポーチの中に手を忍ばせる。

 討伐したモンスターの体の一部と、割れたポーションの瓶の残骸が指に触れる。

 携帯していた魔力ポーションは、さっきの崩落トラブルで割れてしまったのだ。多分、下に降りてコケたときにやったのだろう。

 俺の状況を伝えれば、カタリナは責任を感じて「依頼は諦めて出口だけを探そう」と言い出すはず。

 確かに、状況だけ見れば最適解はそれだと思う。

 魔力ポーションが無い魔術師なんて、剣が折れかけている剣士と同じだ。

 だけど、「AAランクのカタリナがいて、ナーガを5匹倒せば試験を受けられる」という要素を加味すれば、選択肢は変わってくる。

 魔力が尽きてしまう前にナーガを探し出し、依頼を終わらせる。

 それが今の最良の選択肢だろう。

「……ん?」

 と、俺の背後から妙な音がした。

 シュルシュルと何かがこすれるような音だ。

 振り向いた俺の目に映ったのは、巨大な蛇だった。

 人間の大人くらいの大きさの胴体に、3つの首。

 首の付け根が傘のように広がっていて、蛇というより伝説のドラゴンを彷彿とさせる見た目。

「カタリナ! ナーガだ!」

「……っ!」

 声をかけると同時に、カタリナが動いた。

 彼女は身を翻して反転すると、ナーガに向かって走り出す。

 俺はすぐにアルコライトをカタリナの頭上に移動させた。

「毒に注意しろよ!」

「分かってる!」

 ナーガと戦う際に注意しなくてはならないのが、鋭い牙から分泌される強力な神経毒だ。その毒性は強く、解毒薬や解毒魔術がなければ、またたく間に死に至る。

「……はぁっ!」

 カタリナは、威嚇音を出しながら襲いかかってきたナーガのひとつめとふたつめの首を同時に斬り落とした。

 そして、流れるような動きでナーガの心臓に深々と剣を突き刺す。

 ナーガの動きがピタリと止まり、力無くその場に崩れ落ちた。

 それを見て、つい感嘆の吐息が漏れてしまった。

 カタリナを見ていると、モンスターを倒すことが簡単なことのように思えてくる。

 このナーガもDランクのパーティだったら全滅する危険がある相手なのに。

 でも、これでナーガを一匹、仕留めることができた。

 討伐証拠として、体の一部を切り取っておこう。

 そう思って、倒れたナーガに近づこうとしたときだ。

「待ってピュイくん」

 戦闘モードのカタリナの声。

「次が来るわ」

 ひゅっと息を飲んでしまったのは、洞窟の奥から再びシュルシュルと威嚇音が聞こえてきたからだ。

 それも、ひとつではない。

「わたしの後ろに来て、できるだけ距離を取って。もしあいつらに狙われたら逃げることに集中して──」

 カタリナの言葉がそこで途切れたのは、突然、周囲が暗闇に飲み込まれてしまったからだ。

 アルコライトの効果が切れたのだ。

 焦った俺はすぐにアルコライトを発動させたが、その一瞬がカタリナの足かせになってしまった。

 周囲が明かりで照らされたとき、1匹のナーガがカタリナの目の前まで迫っていた。

 ナーガは蛇と同じく獲物の熱を感知する「ピット器官」を持っているのだ。

 カタリナはとっさに剣でナーガの攻撃を防ごうとしたが、無理だった。

 剣で防げたのは、みっつある首のうち、ひとつだけ。

 左腕と右肩に、ナーガの牙が食らいついく。 

「くっ……」

「カタリナ!」

 咄嗟にキュアヒールを発動させようとしたが、杖がないことを思い出した。

 魔術発動させるには、カタリナに触れるしかない。

 だが、いま近づけば残りのナーガに狙われる可能性がある。

「……って、そんなことで悩んでる場合じゃないだろ!」

 自分に叱咤を飛ばし、カタリナの元へと走る。

 ナーガに食らいつかれていたカタリナは、すでに反撃に転じていた。

「こ……のっ!」

 左腕に食らいついてきたナーガの頭部に剣を突き刺し、ひるませた隙に胴体に蹴りを入れて距離を取る。

 そして、剣を薙ぎ払い……ナーガを真っ二つに両断した。

 ナーガの上半身が地面に落ちると同時に、ぐらりとカタリナの体が揺れる。

「カタリナっ!」

 俺は、崩れ落ちかけたカタリナの体を受け止める。

 すぐさま、キュアヒールのイメージに魔力を注入した。

 ズキンと頭に鈍い痛みが走る。

 魔力切れ寸前。だが、俺は構わず魔術を発動させる。

 カタリナの体が浅緑色に輝き、顔色が少しだけ回復する。

「大丈夫か?」

「へ、平気。それよりも……わたしから離れて。他のナーガがすぐに……うっ」

 カタリナの表情が苦痛にゆがむ。

(わたしがピュイくんを守らなきゃいけないのに……!)

 カタリナは必死に立ち上がろうとするが、力なく俺に寄りかかってきた。

 彼女は戦える状態じゃない。

 そう判断した俺は、そっとカタリナの体を抱きしめて、キュアヒールを発動させる。

「……大丈夫だ」

 そして、カタリナにささやく。

「今度は、俺がお前を守る番だ」