「……お、お腹触る!?(な、な、なに!? どゆこと!? なによいきなり!?)」

 腹を押さえて、ギョッと身構えるカタリナ。

 あまりに驚きすぎたのか、イントネーションが「オナカ・サワル」みたいな人名っぽくなってしまっている。

 明らかに誤解されていると思った俺は、即座に弁明した。

「ち、違う! べつにイカガワシイことをしようってわけじゃなくてだな! いつも使ってる杖をなくしちまって、直接患部を触らないと魔術の効力が弱くなるんだ!」

 通常、回復魔術は直接患部に触れる必要はないが、それは杖につけてある魔導石で魔術効力を高めているからなのだ。

「ま、魔術効力?」

 カタリナはぽかんと目を丸くする。

「……な、なるほど。そ、そ、そういうことね。それなら、しかたない……わね(でも、優しくしてね? 痛くしたりしないよね?)」

「……」

 閉口してしまった。

 またしても違う方向に誤解してないか?

 傷を治療するんだから、優しくするに決まってるだろ。

「と、とにかく、失礼……します」

 妙にかしこまってしまった俺は、ゆっくりとカタリナの腹部に手を伸ばす。

 そして、指先がカタリナに触れそうになったとき──。

「あっ……」

 カタリナが突然声を上げた。

 俺は慌てて手を引っ込める。

「な、何?」

「あ、いや……服は……着たままでいいんだよね?」

「ふ、服!? だだだ、大丈夫!」

 むしろ脱いだら色々とマズい。

 なんていうか、俺が!

「……わ、わかった」

 カタリナは小さく頷くと、両手を後ろについて、「どうぞ」と腰をぐいっとこっちに差し出てきた。

 必死に恥ずかしさを耐えているのか、そむけた顔は真っ赤になっている。

 ゴクリと唾を飲み込んでしまった。

 なんだかエロいことをしているような気がして……ええい、余計なことを考えるな俺! これはただの医療行為だ!

 そして、おずおずと伸ばした俺の指が、カタリナの腹部に触れて──

「ひゃ……ん」

 ──カタリナの口から色っぽい声が漏れ出した。

 俺の顔が爆発すると同時に、カタリナも慌てて両手で口を塞ぐ。
 
「ご、ごめん。変な声出た。……き、き、気にせず続けてどうぞ」

「お、おう」

 冷静に返す俺だったが、頭の中は大パニックだった。

 そんな声だされて、冷静に続けられるかあああああっ!

 手汗がやばいし、色々と気になって魔術のイメージに集中できないんですけど!

「す〜……は〜……」

 深呼吸して心を落ち着かせる。

 そして、魔術のイメージを組み、カタリナの腹にそっと手を添える。

 いつものように、焼けた村に美しい草花が咲いて──あ、服の上からでも、柔らかい肌の感触がわかる──少しづつ村が鮮やかになって──薄い布地を介して触るのって、それはそれでなんだかエロいな──やがて美しい平原になって──いやむしろ、直接触るよりこっちのほうが──。

 あああああ、もうっ!

 畜生! 煩悩が、紛れ込んでくるっ!

「……あの、ごめんね、ピュイくん」

 もんもんとしていた俺の耳を、カタリナの声がふわっとなでてきた。

 はっとしてカタリナを見ると、彼女はじっと俺を見ていた。

「え? ごめんって、な、何が?」

「その肩」

 カタリナが見ていたのは、俺の肩の傷だった。

 ここに落りる前に、ヴァンパイア・バットに噛みつかれた傷だ。

「ああ、これか。傷はそんな深くないから大丈夫だ」

「そういうことじゃなくて、モンスターが近くに来てたのに気づけなかった」

 しゅんと肩を落とすカタリナ。

 確かにあのとき、俺もカタリナもヴァンパイア・バットが近づいていることに気が付かなかった。

 だけど、あれはどうやっても防ぎようの無い事故みたいなものだった。

「完全に不意打ちだったから、気に病むことはないと思うぞ。それに、周囲警戒は後衛の俺の役目でもあるし、カタリナだけのせいじゃない」

「でも……」

「だから気にすんなって。仮にカタリナだけの役目だったとしても、こんなの失敗でもなんでもないから」

「そう……なのかな?」

 カタリナが不安げに俺を見る。

「そうだ。失敗っていうのは、そうだな……例えば、俺の魔術の師匠は、『聡慧(そうけい)の魔術師』なんて二つ名をもつくらいに優れた魔術師だったけど、ヤバい性格のせいで、しょっちゅうトラブルを作ってた。命の危険を伴うような、ヤバいやつだ」

 性格というか、性癖なのだが。

「……それは、なんていうか、大変だったのね?」

「ああ、メチャクチャ大変だった。何度注意しても、同じことを繰り返してたからな。失敗っていうのは師匠のトラブルみたいな『同じ過ちを繰り返すこと』を言うんだと俺は思う。だから、次回に活かそうとしてるカタリナのは失敗じゃない」

「ピュイくん……」

「……ま、まぁ、失敗を多発してる俺が言っても説得力はないんだけどさ?」

 依頼が終わったあと、毎回のようにカタリナと反省会をしているくらいだし。

 まさに「お前が言うな」だ。

「……ふふ、そうね」

 ようやくカタリナが笑ってくれた。

「説得力は皆無だわ。お師匠さんも、あなただけには言われたくないでしょうね」

「相変わらずの塩対応、ありがとうございます」

 なんだか嬉しくなってしまった。

 しおらしいカタリナもいいけど、いつもの辛辣モードのカタリナを見ると安心するな。

「あの、ピュイくん?」

 カタリナの言葉でふと我に返った。

「そろそろ、良いんじゃない?」

「……あ」

 彼女の腹部に当てている俺の手が、翠色に輝いていることに気づく。

 どうやらキュアヒールが発動したようだ。

 俺はさっと手をひっこめる。

「わ、悪い」

「ううん……ありがとう(もっと触っててほしいくらいだし……って、何言ってるのよ、わたし……っ!)」

 本当だよ!

 色々とはかどってしまうから、やめてもらせませんかそういうの!

「……よし」

 カタリナは立ち上がると、軽く体をストレッチしはじめる。

「大丈夫そうか?」

「うん、行けると思う」
 
 そして、落ちていた剣を拾って、俺に尋ねてくる。

「それで、どうしようか? 一旦、街に帰還する?」

「いや、依頼をつづけよう」

 順調にヴァンパイア・バットを2匹討伐して白銀鋼も手に入れたとはいえ、だいぶ時間をロスしてしまった。

 魔力は少々こころもとないけど、街に戻ってる余裕はない。 

「絶対、試験を受けるからな?」

 俺はカタリナを見て、改めてその言葉を口にした。

 お前のために、とは心の中で。

「……うん、ありがとう」

 カタリナは頬を赤らめながら、小さくこくりと頷いた。