俺は慌てて壁に開いた穴から下を覗き込んだ。

 松明を掲げて目を凝らすが、よく見えない。

 もしかして、かなり深いのだろうか。

 嫌な想像が膨らみ、ドクドクと鼓動が速くなる。

「……いやいや、そんなことあるはずがないだろ。だって、カタリナだぞ?」

 深呼吸して心を落ち着かせ、頭の中にアルコライトのイメージを作る。

 手のひらから現れた光の玉を、穴の下へと投げた。

 輝く光で照らされたのは、木積で天井や壁面を支持させている古い坑道だった。

 多分、今いる場所よりもずっと昔の坑道だろう。希少鉱石が多く出ていたと言ってたから、もしかすると網の目のように坑道が広がっているのかもしれない。

 不幸中の幸いだったのは、下の坑道までそれほど高さがなかったことだ。

 崩れ落ちた瓦礫と一緒に、カタリナの白い胸当てが見えた。

「カタリナ! 平気か!?」

 下のカタリナに声をかけた。

 あまり深くないとはいえ、大怪我を負っている可能性もある。

 無事でいてくれと祈りながら返答を待ったが、意外にもすぐに返事が戻ってきた。

「……だ、大丈夫。落ちたときにちょっとお腹を打ったくらい、かな」

 良かった。

 俺はほっと胸をなでおろす。

「ヴァンパイア・バットは?」

「仕留めたわ。他にはいないみたいだし、今のところは安全みたい」

 流石はカタリナだ。

 足を捻挫していても、コウモリ程度は余裕で討伐できるらしい。

 とはいえ、いつコウモリどもが襲いかかってくるかわからない。それに、ここには他にもモンスターがいるのだ。

 早く合流して、回復魔術をかけなければ。

「こっちに上がってこられるか?」

「すぐには無理ね。別の道を探すしかなさそう」

「別の道って、お前……」

 この洞窟が人工的に作られたものである以上、カタリナがいる古い坑道はどこかにつながっているとは思う。

 だが、怪我をした状態で道を探すのは危険すぎる。

 カタリナが、暗闇の中から声を張り上げる。

「ピュイくんは一旦ギルドに戻って!」

「……は!?」

「だってこっちに降りたら、ここを出るのに時間がかかっちゃうでしょ? わたしのことはいいから、ピュイくんは街に戻ってガーランドと合流して、依頼を続けて!」

 カタリナの言っていることは、間違いではない。

 今、下に降りてしまえばかなりの時間のロスになってしまう。下手をしたら、丸一日、洞窟をさまよいつづける……なんてことにもなりかねない。

 そうなったら、今日中に依頼を4つ完遂するのは絶望的だ。

 悩んでいる時間は、ない。

 そう考えた俺は意を決して──カタリナが落ちた穴の中に飛び込んだ。

「……いだっ!」

 スマートに着地しようとしたのだけれど、瓦礫に足を取られて尻を思いっきりぶつけてしまった。

 メチャクチャ格好悪い。

「……な」

 そんな俺を、カタリナは心底呆れたような顔で見ていた。

「な、何をしてるのよ!? 降りてくるなんて気は確かなの!?」

「なんだよ。俺は冷静だっつの」

「ぜ、ぜ、全然冷静じゃないわ! どうするつもりなのよ!? 帰り道もわからないのよ!? こんなところで時間を無駄にしてたら、冒険者試験が受けられなくなるでしょ!?」

「わかってるよ。だけど、お前を放って行けるわけがないだろ」

「だから平気だって言ってるでしょ!? あなたって本当にバカなのね! わたしを誰だと思ってるの!?」

「うるせぇな! ひとりになるのが泣くほど怖い、ウブで純粋な乙女だろ!?」

「……っ!?」

 いい加減、頭に来た俺はへたり込んでいるカタリナに詰め寄った。

「俺はお前をひとりにしないって決めたんだ! 冒険者試験を受けようと思ったのも、それをお前に証明するためだ! なのに、試験を受けるためにお前を見捨てたりしたら、本末転倒すぎるだろ!」

「ピュ、ピュイくん──」

「黙れ! それに、その怪我でほっといたら、二度と会えなくなるかもしれねぇ! そんなの、絶対に嫌だからな!」

 カタリナのことだ、モンスターが徘徊する洞窟でひとりになったとしても、ケロッとした顔でギルドに戻ってくるだろう。

 だけど、それは万全の状態での話だ。

 ヴァンパイア・バットは倒せたが、ブラックウィドウやナーガに囲まれれば──もしかすると、二度と陽の光を浴びられなくなってしまうかもしれない。

「だから俺はお前を見捨てねぇ! 絶対に、何があってもだ!」

 その言葉を最後に、周囲に静寂が訪れた。

 頭に登った血が、すこしづつ降りてくる。

 感情のまま、まくしたててしまったが、俺自身、一体何にキレてるのかよくわからくなってきた。

 カタリナが自分を犠牲にするようなことを言ったからか?

 それとも、せっかく助けにきてやったのに、バカだのなんだの辛辣な言葉を吐かれたからか?

 よくわからない。

 けど、カタリナを見捨てることはないという俺の気持ちだけは伝わったと思う。

「……」

 完全に冷静を取り戻して、俺は気づく。

 ちょっと待て。

 今、「お前を見捨てない」とかキモいこと言わなかったか?

 ひとりにしないとか、お前のためにとか。

 ぞわぞわ。

 ぞわぞわぞわ。

 怒りと入れ替わるように、こみ上げてきたのは羞恥心。

 ちらりと見たカタリナは、顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

(ひぇえぇぇぇ……なんだか、すごいことを言われたよぅ。わたし、今日死ぬの? このまま死んじゃうの? ……でも、それでもいいっ! 幸せっ!)

 これぞまさに、天にも登る気持ちというやつだろう。

 でも、そんなことで命を手放すのは、やめてほしいです。

「ええと」

 俺はとりあえず、キモいことを口走ったことの弁明をすることにした。

「なんつーか……お、置いてかないって言ったのは、仲間としてだな」

「……うん」

「だから、ええと……と、とりあえず、怪我を治療をするぞ」

 恥ずかしすぎてカタリナの顔を見られなくなった俺は、ひとまずカタリナの足の怪我を治すことにした。

 頭の中でキュアヒールをイメージする。

 いつも使っている、「焼け落ちた農村が、草花が咲き乱れる平原に変わっていくイメージ」だ。

 そこに魔力を加えることで、魔術が発動する──はずだったが。

「……あれ?」

 俺はいつも手にしている杖がないことに気づいた。

 そういえば、コウモリ野郎に襲われたときに、とっさに杖で攻撃を防いだっけ。もしかしてあのときに落としてしまったのか?

 とするなら、杖は上。

 杖がなくても魔術は発動できるが、効力が落ちてしまう。
 
 同等の効果を出すためには、直接患部に触れるしかない。

「……患部を、触る?」

 ドクンと心臓が大きく跳ねた。

 ちょっと待て。

 さっき、どこを怪我したって言っていたっけ。

 落ちた時に、とんでもないところを打撲したとか言ってなかったか?

「カ、カタリナ」

「な、何よ?」

「一回しか言わないから、よく聞けよ」

「えっ? ……う、うん」

 俺は小さく息を吸って心を落ち着かせてから、ゆっくりと言葉を吐いた。

「お前のお腹、触らせてくれ」