「ピュイ。お前にちょっと、お願いがあるのだが」

 ようやく荷馬車に戻ってきたフリオニールは、僕の顔を見るなりそんなことを言った。

 僕は心の中で「またか」と呆れて、読んでいた魔術教本を閉じる。

「……今度は何をしたんですか、師匠?」

「言いがかりはよせ。わたしは別に何もしていないぞ」

 師匠は表情ひとつ変えず、さらりと答えた。

 僕は小さくため息を漏らしてしまった。

 このひとの「何もしていない」は「面倒を起こしたけど何も対処をしていない」の何もしていないなのだ。

「本当に何もしてないなら、僕に何かを頼む必要なんてないでしょ」

「まぁ、そうなのだが……こういうことはわたしではなく、お前に任せたほうが良いと思ってな。同族同士のほうが、なにかと話しやすいだろう?」

 僕の師匠ことフリオニールは、人間ではなくエルフだ。

 少しウエーブがかかった漆黒の長髪と長い耳。

 長身で華奢な体つきだが、その雰囲気はどこか神々しさすら感じてしまう。

 見た目は20歳くらいだが、もう100歳に近いらしい。

 まぁ、彼女にとって年齢なんて、会話を彩るための飾りみたいなものっぽいけれど。

「……それで、どこにいるんですか?」

「こっちだ」

 そう言って師匠がくるりと踵を返す。

 僕は馬車の荷台から降りて、師匠の後を追った。

 師匠が向かったのは、止めた馬車のすぐ近くにあった小さな農村だった。

 いや、「農村だった」という表現が正しいか。

 片手で数えられるくらいの家屋は焼け落ち、石造りの教会は半壊している。

 焼けて炭と化している家屋を見る限り、村を襲ったのはモンスターではなく盗賊団だろう。彼らの略奪にあって、廃村になったのだ。

 この国に入ってから、こういう廃村をよく目にする。

 国境の砦を警備していた衛兵に「モンスターより盗賊団に注意しろ」と言われたけど、それにしても多すぎやしないか?

「何人、ですか?」

「人間の少女がひとりだ」

 師匠の回答に、「今回は少ないな」と思った。

 師匠は僕と出会う前から魔術の研究のために世界を旅しているのだけれど、略奪や襲撃を受けた村で人間の子供を保護するのが「趣味」だった。

 なんでも長命種族は、ときに短命種族に愛護することがあるらしい。

 僕たち人間が、犬や猫を愛玩するのと同じだ。

 ただ、師匠の場合は少し傾倒している。

 人間の子供を可愛がり、溺愛し、情欲する。

 まぁ、なんていうか、簡単に言えば、師匠は子供に劣情を催す変態なのだ。

 僕を弟子に迎え入れてくれたのも、それの延長線上だとか言っていた。

 怖くなったのでそれ以上詳しくは聞かなかったけど。

 師匠が半壊した教会に入っていく。

 天井は崩れ落ち、礼拝堂は瓦礫の山だった。

 金になりそうなものは全て無くなっている。多分、盗賊が持ち去ったのだろう。

 最近知ったのだけれど、教会には金目のものがあるというのが野盗たちの一般常識らしい。献金やらなんやらで、金が集まるからだ。

「ピュイ、こっちだ」

 祭壇にある説教台の前に立つ師匠が僕を呼んだ。

 師匠の元へ行き、説教台の下を覗き込むと小さい子供がいた。

 年齢は僕よりも少し下の10歳くらいだろうか。

 薄汚れた格好をしているけど、綺麗な銀髪の可愛い女の子だ。

「……なんだか、随分と怯えていますね」

 女の子は説教台の隅っこで、小さく体を震わせていた。

 僕は師匠に尋ねる。

「何かあったんですか?」

「ここで見つけたときにあまりにも可愛かったので、羽交い締めにして頭の匂いをクンカクンカしてしまった」

「うん、一番やっちゃダメなやつ」

 どの口が「何もやってない」だなんて言ってるんだ。

 可愛い子がいたからって、いきなり性癖を爆発させないでほしい。

「……はぁ、まったく」

 僕は屈み込んで、説教台の下にもぐりこみ、女の子に話しかけた。

「大丈夫?」

「……っ」

 ビクリと身をすくませる女の子。思いっきり警戒されてしまった。

 どんだけ強引にクンクンしたんだ、変態師匠め。

「ええと……僕はピュイ。キミの名前は?」

「……」

 しかし、少女が返してくるのは、怯えきった沈黙だけ。

「あ、あの、ごめんね。うちの師匠がとんでもないことしたみたいで」

「おい。わたしはとんでもないことなどしてないぞ。ただ、その子を愛でただけだ」

「外野は黙っててください」

 後ろの師匠にピシャリと言ってやった。

 師匠は「しかたないだろ……だって可愛いんだもん」と愚痴をこぼしながら不満げに唇を尖らせる。

 あんたは子供か。

「これはお詫びってわけじゃないけど……これ」

 僕はポケットから銅貨を1枚取り出した。

 何の変哲もない、ただの銅貨。

「キミにあげる」

 少女はしばらく葛藤して、恐る恐る手を伸ばしてきた。

 そして、彼女の指が銅貨に触れた瞬間、硬貨が青白く輝き、小さな妖精が飛び出してきた。

「……わっ!」

 僕の手から飛び立った妖精を見て、少女の顔がぱっと明るくなった。

 妖精は少女の周りをひらひらと飛び回ると、説教台の外に飛び出し、教会の天井に消えていった。

「……いまの、なに?」

「魔術だよ」

「お兄ちゃんがやったの?」

「うん」

「すごいっ!」

 少女が目を輝かせる。

 この妖精マジックは師匠に教えてもらった簡単な魔術なのだが、こういうシチュエーションで絶大な効果がある。

 これを見て、心を開かない子供はいない。

「全然すごくないよ。魔術師だったら誰でもできるし」

「でも、綺麗だったよ! すごく!」

「もう一回見る?」

「うん。見たい!」

「よし、じゃあそこから出てきてよ」

 そう言うと、少女は凄まじい速さで説教台の下から出てきた。

 そして、早くみせてとキラキラとした目で無言の圧をかけてきたので、もう一回妖精を出して見せた。

 少女は嬉しそうに笑ってくれたが、銅貨を1枚失うので結構懐に痛い。

「あの……キミの名前は? 他の家族は?」

 妖精が消えてから、少女に尋ねた。

 少女は妖精マジックの余韻からか、楽しそうに答えた。

「わたしはキャスだよ。少し前に怖い人たちがきて、ママから『教会に隠れてなさい』って言われたの。しばらくしたら静かになったからママたちを探したけど……いなくなっちゃった」

 しかし、内容は楽しいものとはかけ離れていた。

 いなくなったということは、まぁ、そういうことだろう。

 殺されたのか、それとも奴隷として連れていかれたのか。

 この少女のような、運良く略奪から生還できた人間の口からよく聞く話なので、驚くほどのものでもない。

 だから僕は、彼らにいつも伝えていることを話した。

「ねぇ、キャス。僕たちと一緒に来ない? ここよりもずっと安全で、おいしいご飯が食べられるところがあるんだけど」

「ご飯?」

「そう。お腹いっぱい……は無理だけど、ここにいるよりずっと良いよ」

「お兄ちゃんも、一緒に来てくれる?」

「え? あ〜、うん、まぁ」

 途中まで一緒に行くのだから、ウソではない。

 少女が行く場所は、孤児を保護している教会か修道院なのだ。

「じゃあ、行く」

 少し考えて、少女が言った。

 そして、彼女はぎゅっと僕のシャツを握りしめて、嬉しそうに目を細める。

「……助けてくれてありがとう。ピュイくん」

「え?」

 そして、少女は俺の体をゆさゆさと揺すりだして──

「ちょっと、ピュイくん」

「……っ!?」

 はっと気がついたとき、至近距離に女性の顔があった。

 銀の髪に翡翠色の目。

 きめ細かな肌が綺麗で、まつげがメチャクチャ長くて、人間離れした可愛い顔をしてて──

「うわっ……!? カタリナ!?」

 カタリナだった。

 ぼんやりとした頭でもう一回確認したけど、やっぱりカタリナだった。

 え、なんでカタリナがここに?

「な、なんだよお前!?」 

「な、何よ。もうすぐ呼ばれると思ったから、起こしてやったんじゃない」

「……え? 呼ばれる?」

 何を言っているんだ、と思って周りを見渡す。

 一見、酒場かと思ってしまうような作りの建物だが、ここが飲み屋ではないと決定づけているのは、壁に飾られている狩ったモンスターの顔の剥製だった。

 見慣れた冒険者ギルド「誇り高き麦畑」──その景色を見て、俺はようやくここに来た理由を思い出す。

 そうだった。

 いよいよ今月開催される冒険者試験の受け付けをするために、俺はカタリナと一緒にギルドに来たんだった。