俺が生まれたのは、北部にある小さな村だった。
ブリザリア王国のはるか北──1年のほとんどが雪に覆われているような極寒の地で、防寒具が必須の生活を送っていた。
14歳のときに村を訪れたエルフの魔術師フリオニールに命を救われ、彼女みたいな魔術師になりたいと思った俺は、半ば強引に弟子入りして村を飛び出した。
それから3年間、魔術の訓練をしながらフリオニールと世界を旅してまわった。
今思えば、濃厚な3年間だったと思う。
とある高名な魔術研究科の元を訪ねたときは、師匠ともども危うく魔術の実験台にされかけたし、女魔術師の陰謀に巻き込まれたときは、亜人種モンスターに変異させられて女魔術師のペットとして生きることになりかけた。
大変だったし何度も死を覚悟したけれど、刺激的で楽しい日々だった。
最悪だったのは、異常なほどに人間の子供に愛情を抱いているフリオニール師匠の存在くらいだ。
そんな傾倒した性癖をもつ師匠のもとを離れてヴィセミルの街に来て、冒険者になって8年。
万年Dクラスで「プロの駆け出し」なんて言われているけど、ここまでなんとかやってこれたのは──病気とは無縁の生活だったからだと思う。
故郷にいたころも、師匠と世界を旅していたころも、そして、冒険者になってからも、流行り風邪すら引かなかった。
だけど……いや、だからこそ、わかることがある。
今の俺は、絶対に病気にかかってしまっているのだ、と。
「ちょっと。何をぼーっとしてるのよ?」
カタリナがむっとした表情で俺の顔を覗き込んできた。
突然、翡翠色の瞳に見つめられた俺は、ぱっと視線をそらしてしまう。
冒険者ギルド、誇り高き麦畑の一角。
いつものテーブルで俺とカタリナは、依頼の後の反省会をやっていた。
「いつも言ってるけど、話しているときは相手を見なさいよ」
「み、見なくてもちゃんと聞いてるから、話を続けてくれ」
と返してはみたものの、あまりカタリナの話は耳に入っていなかった。
「……じゃあ、ここまでわたしが話したことをかいつまんで説明してみて?」
「は?」
「何よ? 聞いてたなら説明できるでしょ?」
カタリナが胡乱な目で俺を見る。
俺は一瞬の迷いもなく、素直に頭を下げた。
「すみません、聞いていませんでした」
「でしょうね」
カタリナは小さくため息をしてから話を続ける。
「いくらなんでも、今日はあまりにも酷すぎじゃない? ガーランドとの連携もメチャクチャだったし、回復魔術の発動も失敗してたし。一体どうしたのよ?」
口調は怒っているが、心の中は俺のことを心配してくれているようだった。
(ほんと、どうしたんだろう。何かあったのかな? 今日はあまり目も合わせてくれない気がするし……)
本当にカタリナには申し訳ないと思っている。
いや、カタリナだけではなく、ガーランドやモニカ、それにサティに対しても謝りたい。
カタリナが言う通り、今日の依頼はさんざんだった。
受けた依頼は「トレント」という樹人族のモンスターの討伐依頼だった。最近、西の森を通る商団がトレントに襲われているらしい。
依頼のランクはDだったので、それほど強い相手ではないはずだったのだが、大苦戦することになった。
そうなった原因は俺だ。
ガーランドにかけるべき回復魔術をサティにかけてしまったり、うまく魔術のイメージができずに魔術発動を失敗したり……まぁ、酷かった。
幸いにも、カタリナが奮闘してくれたおかげで、けが人を出すなんてことにならなかったのが救いだった。
しかし、そうなってしまった原因はわかっている。
俺が罹ってしまった「病気」のせいなのだ。
「ほんとにもう」
カタリナは心底呆れたと言いたげに言う。
「このままだだと、冒険者試験、落ちちゃうわよ?」
「う、ぐ……っ」
ぐさり、と痛い所を突かれてしまった。
いよいよ来月に迫った冒険者試験。
まだ個人実績は足りていないが、ガーランドの協力もあってなんとか試験日までには規定の数をクリアできる予定だ。
だが、カタリナの言う通り、このまま酷い状況が続けば──確実に落ちてしまうだろう。
「なにか悩みでもあるなら、聞いてやらなくもないけど?(ピュイくんの力になりたいから、悩みがあるなら話してほしいな)」
「……べ、別に悩みなんて、ないから」
そう言いながらも、視線をふわふわとさまよわせながら俺は心の中で声高に叫ぶ。
「カタリナのことが気になってしかたがない」なんて、正直に言えるわけがないだろう、と。
何を隠そう、俺が注意散漫になっているのは、先日の「泥酔ドキドキ送迎事件」から、カタリナと普通に接することができなくなっているからだ。
依頼中はついカタリナの姿を目で追ってしまうくせに、顔を合わせると恥ずかしくて直視できなくなってしまう。
ひとりのときはもっと酷い。
時間があれば、ぼーっとカタリナのことを考えてしまうし、夜は夢にまでカタリナが出てくる始末だ。
これは一体何なんだ、と心の中で頭を抱えてしまう。
確かにカタリナは、見た目も性格も可愛い。
それは認めよう。
だけど、こんなにカタリナのことばかりを考えるなんて、おかしすぎる。これは「病的」といっても過言ではない状況だ。
故に俺は思う。
これは──きっと何かの病気に違いない、と。
依頼中にモンスターの攻撃を受けて、病気か呪いのようなものをかけられたのだ。だから俺はカタリナのことばかり考えてしまう。
荒唐無稽の話ではなく、そういう噂は聞いたことがある。
人間の女性を宿主にして子を作るインキュバスや、男性から子種を搾取するサキュバスというモンスターは、人間を魅了させる特殊な体液を分泌するという。
魅了された人間は理性がなくなり、リルーのように肉欲のままに動いてしまうらしい。
きっとそれだ。
そんなヤバいモンスターと戦ったりはしていないけど、似たような攻撃を受けたせいでカタリナのことしか考えられなくなってしまったのだ。
「もしかして、わたし……何かした、かな?」
ふと、カタリナの消えてしまいそうな声が聞こえた。
はっとして彼女を見る。
「そうだとしたら……ごめん」
「い、いや、カタリナは、何もしてない……から」
カタリナの顔を直視できない俺は、目をそらしたまま答えた。
あの辛辣なカタリナが謝るなんて異常事態だ。傍から見て、それほどヤバい状態なのかもしれない。
いや、実際にヤバいんだろう。
俺たちの間に、気まずい沈黙が流れる。
(うぅ……なんだかピュイくんとの間に壁があるみたいで嫌だよぅ……)
心の中でもしょぼくれているカタリナ。
なんだか可哀想になってきた。
違うんだカタリナ、お前が悪いわけじゃない。俺は……俺は、四六時中、寝ても覚めてもお前のことばかり考えてしまうんだ!
「……っっ!」
不意に、この場でのたうち回りそうになってしまった。
改めて言葉にしてみると、キモさがヤバい。
カタリナの事ばかり考えてるってなんだよ。お前は、カタリナに言い寄ってくるキザ男の類か。
そんなことを言ってみろ。「気持ち悪いんで、一回死んできてもらえます?」って真顔で言われるぞ、絶対!
「……うっ」
突然、目眩に襲われくらっときてしまった。
いつもであれば、その場面を想像して背筋が寒くなるのだが、なんだか悲しくなってきた。
なんなんだこれは。
まさか俺……カタリナに辛く当たられるのを想像して、精神的ダメージを受けてるのか!?
ああ、マズい。
これは非常にマズい。
なんとかして、この病気(もしくは呪い)を治さねば、冒険者試験どころではなくなってしまう!
ブリザリア王国のはるか北──1年のほとんどが雪に覆われているような極寒の地で、防寒具が必須の生活を送っていた。
14歳のときに村を訪れたエルフの魔術師フリオニールに命を救われ、彼女みたいな魔術師になりたいと思った俺は、半ば強引に弟子入りして村を飛び出した。
それから3年間、魔術の訓練をしながらフリオニールと世界を旅してまわった。
今思えば、濃厚な3年間だったと思う。
とある高名な魔術研究科の元を訪ねたときは、師匠ともども危うく魔術の実験台にされかけたし、女魔術師の陰謀に巻き込まれたときは、亜人種モンスターに変異させられて女魔術師のペットとして生きることになりかけた。
大変だったし何度も死を覚悟したけれど、刺激的で楽しい日々だった。
最悪だったのは、異常なほどに人間の子供に愛情を抱いているフリオニール師匠の存在くらいだ。
そんな傾倒した性癖をもつ師匠のもとを離れてヴィセミルの街に来て、冒険者になって8年。
万年Dクラスで「プロの駆け出し」なんて言われているけど、ここまでなんとかやってこれたのは──病気とは無縁の生活だったからだと思う。
故郷にいたころも、師匠と世界を旅していたころも、そして、冒険者になってからも、流行り風邪すら引かなかった。
だけど……いや、だからこそ、わかることがある。
今の俺は、絶対に病気にかかってしまっているのだ、と。
「ちょっと。何をぼーっとしてるのよ?」
カタリナがむっとした表情で俺の顔を覗き込んできた。
突然、翡翠色の瞳に見つめられた俺は、ぱっと視線をそらしてしまう。
冒険者ギルド、誇り高き麦畑の一角。
いつものテーブルで俺とカタリナは、依頼の後の反省会をやっていた。
「いつも言ってるけど、話しているときは相手を見なさいよ」
「み、見なくてもちゃんと聞いてるから、話を続けてくれ」
と返してはみたものの、あまりカタリナの話は耳に入っていなかった。
「……じゃあ、ここまでわたしが話したことをかいつまんで説明してみて?」
「は?」
「何よ? 聞いてたなら説明できるでしょ?」
カタリナが胡乱な目で俺を見る。
俺は一瞬の迷いもなく、素直に頭を下げた。
「すみません、聞いていませんでした」
「でしょうね」
カタリナは小さくため息をしてから話を続ける。
「いくらなんでも、今日はあまりにも酷すぎじゃない? ガーランドとの連携もメチャクチャだったし、回復魔術の発動も失敗してたし。一体どうしたのよ?」
口調は怒っているが、心の中は俺のことを心配してくれているようだった。
(ほんと、どうしたんだろう。何かあったのかな? 今日はあまり目も合わせてくれない気がするし……)
本当にカタリナには申し訳ないと思っている。
いや、カタリナだけではなく、ガーランドやモニカ、それにサティに対しても謝りたい。
カタリナが言う通り、今日の依頼はさんざんだった。
受けた依頼は「トレント」という樹人族のモンスターの討伐依頼だった。最近、西の森を通る商団がトレントに襲われているらしい。
依頼のランクはDだったので、それほど強い相手ではないはずだったのだが、大苦戦することになった。
そうなった原因は俺だ。
ガーランドにかけるべき回復魔術をサティにかけてしまったり、うまく魔術のイメージができずに魔術発動を失敗したり……まぁ、酷かった。
幸いにも、カタリナが奮闘してくれたおかげで、けが人を出すなんてことにならなかったのが救いだった。
しかし、そうなってしまった原因はわかっている。
俺が罹ってしまった「病気」のせいなのだ。
「ほんとにもう」
カタリナは心底呆れたと言いたげに言う。
「このままだだと、冒険者試験、落ちちゃうわよ?」
「う、ぐ……っ」
ぐさり、と痛い所を突かれてしまった。
いよいよ来月に迫った冒険者試験。
まだ個人実績は足りていないが、ガーランドの協力もあってなんとか試験日までには規定の数をクリアできる予定だ。
だが、カタリナの言う通り、このまま酷い状況が続けば──確実に落ちてしまうだろう。
「なにか悩みでもあるなら、聞いてやらなくもないけど?(ピュイくんの力になりたいから、悩みがあるなら話してほしいな)」
「……べ、別に悩みなんて、ないから」
そう言いながらも、視線をふわふわとさまよわせながら俺は心の中で声高に叫ぶ。
「カタリナのことが気になってしかたがない」なんて、正直に言えるわけがないだろう、と。
何を隠そう、俺が注意散漫になっているのは、先日の「泥酔ドキドキ送迎事件」から、カタリナと普通に接することができなくなっているからだ。
依頼中はついカタリナの姿を目で追ってしまうくせに、顔を合わせると恥ずかしくて直視できなくなってしまう。
ひとりのときはもっと酷い。
時間があれば、ぼーっとカタリナのことを考えてしまうし、夜は夢にまでカタリナが出てくる始末だ。
これは一体何なんだ、と心の中で頭を抱えてしまう。
確かにカタリナは、見た目も性格も可愛い。
それは認めよう。
だけど、こんなにカタリナのことばかりを考えるなんて、おかしすぎる。これは「病的」といっても過言ではない状況だ。
故に俺は思う。
これは──きっと何かの病気に違いない、と。
依頼中にモンスターの攻撃を受けて、病気か呪いのようなものをかけられたのだ。だから俺はカタリナのことばかり考えてしまう。
荒唐無稽の話ではなく、そういう噂は聞いたことがある。
人間の女性を宿主にして子を作るインキュバスや、男性から子種を搾取するサキュバスというモンスターは、人間を魅了させる特殊な体液を分泌するという。
魅了された人間は理性がなくなり、リルーのように肉欲のままに動いてしまうらしい。
きっとそれだ。
そんなヤバいモンスターと戦ったりはしていないけど、似たような攻撃を受けたせいでカタリナのことしか考えられなくなってしまったのだ。
「もしかして、わたし……何かした、かな?」
ふと、カタリナの消えてしまいそうな声が聞こえた。
はっとして彼女を見る。
「そうだとしたら……ごめん」
「い、いや、カタリナは、何もしてない……から」
カタリナの顔を直視できない俺は、目をそらしたまま答えた。
あの辛辣なカタリナが謝るなんて異常事態だ。傍から見て、それほどヤバい状態なのかもしれない。
いや、実際にヤバいんだろう。
俺たちの間に、気まずい沈黙が流れる。
(うぅ……なんだかピュイくんとの間に壁があるみたいで嫌だよぅ……)
心の中でもしょぼくれているカタリナ。
なんだか可哀想になってきた。
違うんだカタリナ、お前が悪いわけじゃない。俺は……俺は、四六時中、寝ても覚めてもお前のことばかり考えてしまうんだ!
「……っっ!」
不意に、この場でのたうち回りそうになってしまった。
改めて言葉にしてみると、キモさがヤバい。
カタリナの事ばかり考えてるってなんだよ。お前は、カタリナに言い寄ってくるキザ男の類か。
そんなことを言ってみろ。「気持ち悪いんで、一回死んできてもらえます?」って真顔で言われるぞ、絶対!
「……うっ」
突然、目眩に襲われくらっときてしまった。
いつもであれば、その場面を想像して背筋が寒くなるのだが、なんだか悲しくなってきた。
なんなんだこれは。
まさか俺……カタリナに辛く当たられるのを想像して、精神的ダメージを受けてるのか!?
ああ、マズい。
これは非常にマズい。
なんとかして、この病気(もしくは呪い)を治さねば、冒険者試験どころではなくなってしまう!