「もう一度、言ってみろ」

 松明の明かりに照らされた衛兵が、静かに言った。

 俺は衛兵を睨みつけたまま答える。

「何度でも言ってやるよ。こいつを侮辱した言葉を取り消せ」

「お前、正気で言ってるのか?」

 呆れたように衛兵が返す。

 衛兵に喧嘩を売ってどうなるかは、子供でもわかる。

 最低でも一週間は牢に入れられるし、運が悪ければ縛り首……なんてこともあり得る。

 特にごろつきが多い冒険者が歯向かった場合、重い刑罰が課せられる事が多く、「同業者と衛兵にだけは喧嘩を売るな」というのが常識なのだ。

 だが、それが分かっていても、俺はカタリナと彼女の亡くなった両親が侮辱されたことが許せなかった。

「……ふん、いい度胸じゃないか」

 衛兵のひとりがせせら笑う。

「丁度、鐘が鳴ったみたいだからな。望み通り禁足令違反でぶち込んでやるよ」

「いや待て。その前に二度と舐めたクチを利けなくしてやろうぜ」

 衛兵が剣を抜き、にじり寄ってくる。

「俺たちに喧嘩を売ったらどうなるか、わからせてやらないとな」

 背中に冷たいものが走った。

 相手は武装している衛兵だ。

 一介の魔術師……それも、貧弱で運動音痴な俺が戦えるような相手ではない。

 俺は恐怖に飲み込まれないように下っ腹に力を入れ、彼らに尋ねた。

「……あんたら、どこの所属なんだ?」

「何?」

「どこの衛兵隊所属だって聞いてるんだよ」

「なんだぁ? 威勢よく喧嘩をふっかけてきたくせに、いざ剣を向けられたら『あんたらの上司に告げ口しますよ』ってか?」

「……」

 俺はあざ笑う衛兵をじっと見つめる。

 すぐに彼の心の声が聞こえてきた。

(ま、なんにしても、冒険者風情が第2衛兵隊西地区長のマルケスさまを知っているわけがないだろうがな)

 その心の声を聞いて、俺はホッと安堵した。

「ああ、その通りだよ。いきなり剣を抜かれてブルってるから、これから西地区の詰め所に行って──あんたらの上司のマルケスさんに助けを求めるようかと思ってるんだよ」

「……っ!? (嘘だろ。な、なんでこいつ……マルケスさまの名前を知ってるんだ!?)」

 ふたりはギョッと目を見開いた。 

「お、お前、どこでマルケスさまの名前を──」

「マルケスさんは俺の叔父にあたる人でね。ちなみに、懇意にしているのはマルケスさんだけじゃないぞ。もっと上の人物も知ってる」

「な、なんだと!?(まさかこいつ……第2衛兵隊のミトラ連隊長も知ってるのか!?)」

 よしよし、と心の中でほくそ笑む。

 べらべらと心の中で喋ってくれて、本当に助かる。

「そうだなぁ、マルケスさんの次は連隊長のミトラさんのところに行くかな。ミトラさんは規律に厳しいひとだし、守るべき市民を侮辱しまくった挙げ句に喧嘩をふっかけたなんて知ったら、絶対に激怒するだろうな?」

 完全にでまかせの嘘(ブラフ)だ。

 その連隊長が本当に規律に厳しいかなんてわからない。

 こいつらが実際に連隊長と顔見知りだったら嘘だということがバレるかもしれないが、一介の衛兵が連隊長と顔を合わせることなんてほぼないだろうし、行けるだろ。

 ──多分。

 ここは賭けポーカーで鍛えたポーカーフェイスで乗り切るしかない。

「お、おい……」

 衛兵たちが顔を見合わせる。

「なんだか、マジっぽいぞ?」

「う……くっ」

 どうやら予想通り、衛兵たちは俺の話を信じたらしい。

 衛兵のひとりが悔しそうに顔をしかめながら、譲歩してきた。

「くそっ……そ、それだけは……辞めてくれ」

「じゃあ、さっきの発言は取り消せ」

「わ、わかった、取り消すよ。この通りだ。失礼なことを言って……すまん」

 衛兵が小さく頭を下げる。

 衛兵にここまでさせればしめたものだが、生憎それで満足する俺じゃない。

「それと、南地区に住んでる人たちにも謝ってもらおうか」

「な、なんだと?」

「彼らは下品でもなければ低俗でもない。他人の親を嘲笑するあんたたちより、ずっと高尚なひとたちだ」

 正直なところ、俺も南地区のひとたちに偏見を持っていた。

 だけど、パムの家族を見てそうじゃないとわかった。

「く、くそ……っ」

 悔しそうに顔をしかめる衛兵だったが、すぐに頭を下げてきた。

「……み、南地区の住人に対しての発言も、訂正する」

「ありがとう。じゃあ、もう行っていいぞ」

 にっこりと笑顔で答える俺。

 衛兵たちは悔しそうに唇を噛む。

「……覚えていろよ、冒険者め」

 衛兵たちには捨て台詞を吐くことしかできないようだった。

 ふたりの衛兵は俺を睨みつけてから、闇の中に消えていった。

 それを見て、安堵のため息をひとつ。

 読心スキルがあって本当に助かった。

 衛兵の巡回ルートは把握していたはずなんだけど、余計なことを悶々と考えているうちにルートに入ってしまったのかもしれない。

 鐘は鳴ってしまったみたいだし、別の衛兵が現れる前においとまするとしよう。

「……まさか衛兵に喧嘩を売るなんて、ここまでバカだとは思わなかったわ」

 背中からカタリナの声がした。

「な、なんだ。起きてたのかよ」

「あんなに大きな声で怒鳴りあってたら、死人でも起きるわよ」

 起きてるんならさっさと背中から降りろよ……とは、心の中だけで返した。

 起きていたってことは、衛兵に言い放った、「こいつを侮辱した云々」のセリフも聞かれてたということだ。

 恥ずかしすぎて、顔を合わせられない。

「でも、街の職人だけじゃなくて、衛兵長まで顔見知りだったなんて驚きだわ」

「ああ、あれはデタラメだよ」

「……は?」

「そういう名前をちらっと聞いたことがあったから、ブラフをかましてやっただけだ。衛兵長も連隊長も全く知らない相手だよ」

「呆れた。どんだけ肝が座ってるのよ。その冷静さ、少しは依頼に役立てなさいよね」

 いや、少しは役に立ててると思うぞ? 

 だってほら、リルーも「肝が座ってる魔術師」って言ってただろ。

「……でも、ありがとう」

 ぽつり、とカタリナが消えそうなくらいに小さな声で言った。

「その……わたしと、わたしの両親のことで……怒ってくれて」

「お、おう」

 カタリナが俺のシャツをぎゅっと握りしめる。

 会話を聞いていたということは、きっとあの衛兵たちにカタリナも憤慨していたに違いない。怒りに震えながらも、ぐっとそれを抑えていたのだろう。

 衛兵に楯突くなんて自殺行為だけど、あいつらに訂正させて正解だったと思った。

 このまま帰っていたら、人生で最低の誕生日にさせるところだった。

「カタリナ、俺は……」

 俺は背中のカタリナに問いかける。

「え? なに?」

「……あ、いや、なんでもない」

「なによ。気持ち悪いわね」

「う、うるせぇ」

 俺は取ってつけたような悪態をつき、帰路を急いだ。

 口から出かけた「お前のためなら、いつでも怒ってやるから」という言葉は、ため息とともにヴィセミルの夜空に消えていった。