貿易都市ヴィセミル──

 王国の中心部を流れるクオン河の下流に位置するこの都市は王国内でも有数の規模を誇り、季節問わず街は商人や旅人たちで賑わっている。

 そんなヴィセミルの中央広場にある、冒険者ギルド「誇り高き麦畑」にも様々な人間が往来している。

 冒険者にトラブルを解決してもらうため戸を叩く者。

 一攫千金を夢見て危険な依頼を受けにくる者。

 そして──このギルドに登録されている「とある女冒険者」をひと目みようと足を運ぶ者。

「……おい、見ろよ。あれってカタリナ・フォン・クレールじゃないか?」

 ギルド店内に設置されたテーブルについている俺たちを見て、ふたりの若い冒険者が足をとめた。

「うわ、マジじゃん。リアルカタリナじゃん。俺、初めて見た」

「噂で聞くよりもすっげぇ美人じゃね?」

「だな。王妃さまより綺麗だぞ。ぜひお近づきになりてぇな」

「パーティに誘ってこいよ。意外とOKしてくれるかもしれねぇぞ?」

「いやいや無理だろ。俺らCランクだぜ? AAランクのカタリナが相手にするわけがねぇし」

「でも、カタリナが所属してるパーティのリーダーって、Dランクって噂だぞ?」

「……マジで? じゃあ、カタリナの隣にいる男がパーティリーダーなのか?」

「多分な。なんか……いかにもDクラスって感じのやつだし」

 そうして彼らの視線は、カタリナから俺へと移される。

 みなまで言うな。おまえらの言いたいことはよくわかる。

 俺は盗み見るように、ちらりと隣のカタリナに視線を送る。

 モンスターと殺し合いをしているとは思えない、傷一つない白く透き通った肌。

 どこか高貴な香りが漂う、動きやすいようにポニーテイルに結んだ銀色の髪。

 キラキラと輝いている、宝石のような翡翠色の瞳。

 はっきり言って、冒険者よりもどこぞの国でお姫様をやったほうが良いのではないかと思えるほどの容姿だ。

 そんな美貌を持っているくせに、王国で5本の指にはいるほどの剣の達人なのだからタチが悪い。

 彼女の冒険者ランクはDランクの俺のはるか上を行くAAクラス。その実力が認められ、国王から『聖騎士』の称号を与えられた唯一の冒険者らしい。実際に彼女が剣を振るう姿を見る限り、妥当な評価だとおもう。

 容姿端麗で勇猛無比。

 百花繚乱を地でいく完璧な麗人。

 そんなカタリナが、なんで底辺のDランク冒険者の俺のパーティにいるのか。

 まぁ、首をかしげて当然だろう。

 だが、安心しろ。俺にもよくわからん。

「……ちょっとピュイくん。ちゃんと聞いてる?」

 冒険者から向けられる蔑んだ視線に心の中で同調していたとき、鈴のような声が俺の耳を撫でた。

 そちらをみると、カタリナがずいっと身を乗り出してきていた。ビビった俺は彼女が身を乗り出してきたぶん、のけぞって距離を取る。

「……わ、悪い、あんまり聞いてなかった」

「もう、またぼーっとして。真面目に話してるんだからしっかり聞いてよね。ピュイくんは、ガーランドに回復魔術を使うのが遅すぎなの」

 眉間に深いシワを寄せるカタリナ。

 怒っている姿も様になっているから、この女は本当にずるいと思う。

「いや、そんなことはないと思うけどな。タイミングはバッチリだったろ」

「全然バッチリじゃない。あと少しでも遅れていたらガーランドは大怪我を負ってたわ」

「そんなことないって。俺はガーランドとは長いから、あいつがどれくらい耐えられるかは経験でわかってる」

 ガーランドというのは、俺のパーティで前衛を努めている男の名前だ。

 パーティを立ち上げたときから所属しているメンバーで、俺が最も信頼を置いている人間でもある。

 俺のパーティでは、重装のガーランドが盾役(タンク)になってモンスターを足止めするというのが定石。

 そして、そんなガーランドを補助するのが回復魔術師である俺の役目なのだが、カタリナから注意を受けることがある。

 前回は前衛との距離感で、前々回が意識配分……だったっけ。そのどれもが俺に足りない部分なので、非常にありがたかったりする。

 だが、今回ばかりは少し違う。ぎりぎりまで回復魔術を使わなかったのは、ガーランドの耐久力を見越して魔力を温存していたからなのだ。

 まぁ、カタリナの意見も的は得ているので、争点になるのはガーランドが無理をしていたかどうかなのだが、本人の意見を聞こうにもヤツはこの場にいない。

 大怪我を負って病院に運ばれた──というわけではなく、他のメンバーと一緒に、馴染みの酒場に行ってしまったのだ。

 あの野郎、今ごろきっと、冷えたエールで喉を潤しているに違いない。

 俺もさっさとこの「反省会」を切り上げて、酒盛りに参加したいのだが、しばらくは無理だろう。

「確かに経験に頼るのは大事だわ。でも、頼り過ぎてもダメ。あなたに足りないのは最悪の状況になることを予想して行動することよ。せっかく他の人よりも魔力を多く持っているのに、それじゃあ宝の持ち腐れよ?」

 俺は生まれながらにして、常人の2倍ほどの魔力を持っている。

 だから、カタリナはその潤沢な魔力を使ってバンバン回復魔法を使えってことを言いたいんだろう。でも、そんなことをしてたら、それこそいざというときに魔力が尽きていた、なんて状況になると思うんだが。

 どっちが正解ってわけじゃないので、考え方の違いなのだろうけれど。

「ていうか、俺の魔力の件はちゃんと認めてくれるんだな?」

 意外だった。本題よりもそこが気になってしまった。

 カタリナは少しだけ動揺した素振りを見せる。

「え? ま、まぁ……それがピュイくんの唯一の長所だし」

「唯一って言うな。俺の長所は魔力だけじゃないぞ」  

「他に何があるっていうのよ」

「例えば、回復魔術が得意とか」

「得意じゃなくて、それしか使えないの間違いでしょ。ピュイくん、貧弱で運動音痴だし。この前、北の森でフォレストウルフ討伐に行ったときも、森に着く前にバテてガーランドに背負ってもらっていたじゃない」

「……」

 ナイフのような鋭い正論を放ってくるカタリナ嬢。俺はめげずに続ける。

「あとは、世話を焼かなくていいってところとか」

「世話を焼かなくていい?」

「ほら、俺って回復魔術が使えるから、モンスターから受けた怪我は自分で治せるじゃん?」

「ガーランドに背負ってもらってた貧弱者が、どの口で言ってるんだか」

「……うっ」

「それに、傷を治せたとして、そこからどうやってモンスターを倒すつもりなのよ? あなたひとりで倒せるわけ? 『世話を焼かなくていい魔術師』じゃなくて、『前衛がいないと何もできない、一番世話がかかる魔術師』の間違いでしょ」

「……」

 ぐうの音もでない。まったくもってそのとおりでございます。

 致命的な一撃で瀕死の状態に追い込まれてしまった。

「それで? 他には?」

「む、昔は世話のかからない出来た子供だったって、俺の母親が言ってた」

「……『ウンコも昔は食べ物だった』みたいな話、しないでくれる?」

 おおう、辛辣!

 てか、そんな綺麗な顔でウンコとかいうなよ。背徳的でなんかドキドキするわ。

「いやぁ、カタリナさん。今日も言葉の切れ味が鋭いスね。その発言だけでモンスター退治ができちゃうんじゃないスか? さすがAAクラスの冒険者」

「はっ倒されたいの?」

「されたくないです。ごめんなさい」

 この女は、可愛い顔して本当にはっ倒してきそうだから恐ろしい。

 俺みたいな貧弱魔術師がカタリナに平手打ちなんてされたら、跡形ものこらず木っ端微塵になりそうだ。

 そんな未来を想像して子犬のように震えていたとき、ふと、テーブルに近づいてくる男が見えた。

「お久しぶりです、カタリナさん」

 男はカタリナのそばに立つと、深々と頭を下げる。

 なんとも爽やかな男だ。ゴロツキが集まる冒険者ギルドに似つかわしくない高そうな刺繍の入ったブリオーを着ているし、なんだか鼻につくやつだ。

「ルイデ卿の晩餐以来ですね。まさかこんな所でカタリナさんと再開できるとは思いもしませんでした」

 ルイデ卿というのは、ヴィセミルを統治している領主のことだ。

 カタリナは貴族の晩餐に呼ばれることがある。そこで会ったということは、この男は上流階級の人間なのだろう。

 なんでそんな人間が、ゴロツキが屯している冒険者ギルドにいるのかは分からんが。

 カタリナはしばし逡巡したあと、「ああ」と興味なさそうな声をあげた。

「思い出しました。あなたは確か、メルツ家の長男の」

「はい、エリザベート・フォン・メルツです。たまたまギルドの前を通りかかりまして、偶然カタリナさんの姿が見えたので、お声をかけさせていただきました」

「……」

 わかりやすく胡乱な視線を投げつける俺。

 おいキザ男、周りを見てから嘘を吐いたほうがいいぞ。この人混みの中でどうやって偶然カタリナを見つけるんだよ。

 どうせカタリナがここに来るのを待っていたんだろ。

 そんな俺の疑問をよそに、キザ男は続ける。

「ルイデ卿の晩餐ではあまりお話ができなかったので、よければどうでしょう。これからわたしの屋敷にいらっしゃいませんか?」

「屋敷? あなたの?」

「ええ。丁度、夕食の時間なので一緒にお食事でも」

「申し訳ありませんが、ご遠慮しておきます」

 バッサリと即座に切り捨てるカタリナ。

 まさか断られると思っていなかったのか、キザ男の顔が固まった。

「わたしはこれから、この方と食事に行く予定なので」

「こ、この方? もしかして、そのみすぼらしい男と……ですか?」

 冗談だろ、と言いたげに俺を見るキザ男。

 カタリナがスッと目を細める。

「ええ。なにか問題でも?」

「い、いえ……別になにも。そ、それでは、お食事はまたの機会に」

「いえ、もうお誘いにならなくて結構です。あなたに興味はありませんので」

「……っ!」

 これぞ辛辣というセリフでキザ男を足蹴にするカタリナ。

 周囲から嘲るような冷たい視線にさらされたキザ男は、逃げるようにカタリナの前から立ち去った。

 なんだかあの男が可哀相になってきた。鼻につく野郎だったけれど、もう少し優しく対応してもバチはあたらんだろうに。

 しかし、こんなふうに貴族だなんだと名乗る男がカタリナに玉砕されるのを見るのは何度目だろうか。

 注目を浴びたり声をかけられたりするのは、カタリナにとって日常的なことなのだろう。だから彼女はこんなふうに周囲に冷たくなったのかもしれない。

 とはいえ──彼女のそれが「作りもの」であることを俺は知っているのだけれど。

(はぁ……)

 不意に聞こえたのはカタリナのため息。

 そちらを見れば、頬杖をついているカタリナが去ったキザ男の背中を見ていた。

(ほんと、こういうお誘いは困っちゃうわね。あまり乱暴に断りたくないんだけど、ピュイくんのことを『みすぼらしい』とかいう人と食事になんて行きたくないしなぁ……)

 カタリナがちらりと俺を見る。

(あ、そういえばピュイくんとふたりで夕食に行くって言っちゃったな。もしかしてメルツさん、わたしとピュイくんが付き合ってるって思っちゃったかな? そんな噂が広まっちゃったらどうしよう……嬉しすぎるんですけどっ!)

 頬杖を付いた手で顔を隠しているけど、あきらかにニヤついているのがバレバレだ。俺はそれに気づいていないふりをして、さっと視線をそらす。

(あ、目をそらした。もしかして同じこと考えてて照れちゃったとか? ふふ、可愛いなぁ)

「……っ!?」

 全っ然違ぇよ! 

 念の為言っておくが、さきほどから聞こえているカタリナの声は、実際に彼女が口に出しているわけではない。

 カタリナは心の中でつぶやいているだけなのだ。

 心の声。

 そう、俺は生まれもった読心スキル「汚れなき俚耳」で、他人の心の声を聞くことができ──何故か出会ったときから俺にだけデレまくっている、カタリナの心の声が聞こえているのだ。