結局、すずとはひとことも話せないまま、終業のチャイムが鳴った。

 今日の授業は午前中までで、すずは素早く荷物をまとめると、僕など眼中にない様子で、教室を出て行った。僕は自分の席に座ったまま、動けないでいた。

 死んだ秋月美涼が、生き返っている。

 夢の中の出来事みたいで、いっこうに実感が湧かない。

 目だけ動かして窓の外に視線を流すと、すずがちょうど昇降口から出てきた。アスファルトに桜の絨毯が敷き詰められていて、その上を颯爽とした足取りで歩いて行く。

 ふと、すずが立ち止まった。こちらを見上げるように振り返り、窓越しに彼女を見下ろしていた僕の視線と重なる。

 強い風が吹き抜け、足元の桜の花びらがいっせいに高く舞い上がった。

 一瞬、彼女がその中に溶けて消えていくような錯覚に陥り、僕は窓に向かって手を伸ばしていた。


 学校を出たあと、まっすぐ自分の家に向かうことにした。

 放課後にサッカー部は部室に集合するよう、以前使っていたグループチャットに連絡が来ていたが、こんな状況でとても行く気にはなれなかった。どのみち、僕が行かなかったところで誰も困らない。

 玄関のドアを開けると、しんとした静寂が家の中を包み込んでいた。

 靴を脱ぎ、身を縮こませながら廊下を進んだ。自分の家なのに、他人の家に忍び込んでいるような居心地の悪さだ。

 リビングを覗いてみた。誰もいない。

 キャリアを追い求める母さんは、毎日朝から晩まで仕事をしている。四つ年上の兄さんは、単身赴任で東京に暮らす父さんと一緒に住みながら、東京の大学に通っているから、普段この時間は誰も家にいない。

 リビングを見渡していた目が、キャビネットに飾られた写真立てに留まった。

 僕の隣に写る、目鼻立ちがくっきりした美青年は、兄の隼人だ。成績優秀でスポーツ万能。快活かつ気さくな性格で、誰にでも分け隔てなく接するから、いつもみんなの人気者だった。

 非の打ち所がない兄さんと比べて、僕は無駄に背だけ高く、性格も容姿も地味で冴えない。

 母親譲りのあっさりとした顔立ち。日焼けをしにくい肌質で、小学五年生からずっとサッカーをやっていたにもかかわらず、日光を知らないかのように色白。加えて痩せ型だから、中学生のときに『のっぽもやし』という変なあだ名をつけられた。

 完璧な兄を持つがゆえに、小学校でも中学校でも、先輩や先生たちからはいつも〝隼人の弟〟と呼ばれてきた。

 兄さんは、県で一番偏差値が高い糸浜高校に余裕で合格し、在籍中も常にトップの成績をおさめていた。サッカー部でも活躍し、一年生のときから必要不可欠なレギュラーメンバーだった。

 僕もかろうじて糸浜高校に進学することはできたが、勉強についていけず、ぎりぎり赤点を免れている状態だった。サッカー部では一度も試合に出たことはなく、練習試合のときですら、足手まといの存在。

 小さい頃から兄さんと比べられ続け、傷つくことは多かった。それでも自分の兄を尊敬していたし、誇らしく思っていた。

 兄さんに対して抱(いだ)いていたその憧れが、強いコンプレックスに変わり始めたのは、中学三年生の頃だ。

 兄さんをえこひいきする母さんと違い、父さんは僕と兄さんを平等に扱ってくれた。

 僕が活躍できる出番がないとわかっていても、小学校の運動会は見に来てくれた。宿題でわからないところがあれば、ひとつひとつ丁寧に教えてくれた。

 そんな父さんは、僕が中学一年生の終わりに、単身赴任が決まった。

 両親はどちらも気が強く、お互いに譲らない。ちょっとしたことですぐに口論になるし、大ゲンカに発展して『離婚』というおそろしい単語が飛び交うこともあった。

 だから父さんの単身赴任が決まったとき、寂しさを覚えるのと同時に、ほっとした。一度、お互いが冷静になるためにも、ふたりがしばらくの間、離れて暮らすのはいいことかもしれない、と。

 単身赴任が始まった最初の一年間、父さんは必ず最低でも一ヶ月に一回は家に帰ってきていた。しかし兄さんが東京の大学に進学して一緒に住み始めてから、半年に一度しか帰ってこなくなった。去年に関しては、一度しか家に帰ってこなかった。

 久しぶりに家族で集まっても、話の中心は兄さんで、両親の顔はずっと兄さんのほうを向いている。その光景を蚊帳(かや)の外から眺めながら、僕は悟った。

 この家族は、僕がいなくても成り立つのだということを。

 結局のところ、みんなが必要としているのは兄さんであって、僕ではない。

 僕なんて、いてもいなくても同じ存在なんだということを。