夜9時のドラマが始まるタイミングで、私は玄関に向かう。
扉を開けた瞬間、夜の澄んだ空気がふわりと家の中に入り込む。
それと入れ替わるように、私は外に出る。
私を迎えたのは、

「はあ……」

朝陽のため息だ。
朝陽はまるで、私に話を聞いてほしいと言わんばかりのため息をつく。
だから私も話を聞いてあげる。
幼馴染みとして。

「何よ。学校生活、上手くいってないの?まだ3日しかたってないじゃん」
「そうだよね、まだ3日しかたってないんだよね」

頬杖をつきながら、朝陽は夜空を仰ぐ。

「3日しかたってないのにさ、おかしいよね」
「何が?」

朝陽は目線を空に向けて、腕を組んだまま何か考え事をする。
そういう時、朝陽はいつも体を左右にゆらゆらとさせる。

「はあ……」

私の「何が?」には答えず、朝陽はまたため息をつく。
だけど、そのため息がいつもと違うような気がした。
たった一呼吸だけど、その呼吸の変化を私は見逃さなかった。
朝陽のため息はいつもは下向きで、吐き出されたまま足元を渦巻くようにいつまでも滞っている。
それなのに今日のため息は、上向きだった。
上昇気流のようにふわりと舞い上がって、星の見えない真っ暗な夜空の中で、どこまでもどこまでも広がっていく。
ため息なのに、そこにはなぜか、温かな幸せの気配があった。
ため息をつくと幸せが逃げるっていうけど、逃げるというより、溢れ出てきてしまっているようだった。
それに何より、玄関のオレンジ色のあかりに照らされた朝陽の表情が、いつもと違った。

朝陽は喜怒哀楽をあまり顔に出さない。
無表情とまではいかないけど、笑う時でさえふふっと鼻で笑って肩を揺らすぐらいだ。
その朝陽の表情が、今日はなんだか柔らかい。
口元が緩んでいて、目元も下がっている。
いつものどんよりとした負のオーラもない。

「何か、いいことでもあった?」
「え? いいこと?」
「ため息つきながら笑ってるって、かなり気持ち悪いよ」
「僕、笑ってた?」
「うん」

「そうかなあ」なんて言いながら、朝陽は両手で顔を覆った。

「何よ、言ってみなさいよ」
「嫌だよ、凪咲に言ったら、絶対笑うし」
「絶対笑わないから」
「絶対笑わない?」
「絶対笑わない」

私は朝陽の目を真正面から見据えて言った。
朝陽は私に向ける疑いの目を一旦外す。
そして、夜の闇を貫くようなまっすぐな目をして遠くを見た。
その闇の中に、ぼそりとした朝陽の声が放たれた。

「一目惚れ、した」
「……え?」

固まって何も言えなくなる私に、朝陽は再びゆっくりと視線をよこした。

「好きな人が、できた」

ほんとは何を言っても笑ってやるはずだった。
だけど、笑うのを忘れた。

「あれ?笑わないんだ」
「え?」
「だって、僕が一目惚れって……。それにさ、入学して早々人を好きになるって、おかしいよね。人を好きになるって、普通相手のことを知って、友達になって、そこから特別な人になっていくのにさ。僕、世の中に一目惚れなんてありえないと思ってたのに。まさか自分がと思って」

朝陽は興奮気味にそう話す。
それで、あのため息というわけか。