今夜は、何百年に一度しか見られない流星群が見られるらしい。
別に天体ファンとか、星とか宇宙に詳しいわけじゃない。
ただ、そういうめったにないイベントごととかニュースとかってワクワクして好きだ。
しかも夜中。
誰も起きていないような静かな夜に向けて準備するのって、楽しい。
コットンとウールの靴下を重ね履きして、裏起毛パジャマに、もこもこのポンチョを羽織って、厚めのひざ掛けを腰に巻いて、準備は万端だ。
こういうイベントごとにはだいたい朝陽を誘うんだけど、今回ばかりはそんな気になれない。
朝陽も誘われたところで迷惑だろう。

流星群が一番多く流れるとニュースで言っていた午前3時ごろに合わせて、私は外に出た。
午前3時はお化けや幽霊が出る時間って聞いて、そんな時間に絶対トイレに行きたくないと、聞いた当時は思っていた。

__「でもそう思っているときに限って、トイレのタイミングって午前3時なんだよね」

と言ったのは、その話を一緒に聞いていた朝陽だった。

恐る恐るドアを開けて、その隙間から微かに流れ込んできた外気を、私は鼻から大きく吸った。
空気は信じられないくらい澄んでいた。
呼吸をするたびに、冷え切った空気が喉を通過して、肺を巡って、温かな呼気となって出てくるのがリアルに感じられた。
何度かその作業を繰り返してから、私は夜空を見上げながら外に出た。
空には、確かにちかっちかっと星が小さく瞬いていた。
だけど、星が流れてくる気配はなかった。
空を仰いで探していると、

「凪咲」

と小さく声が放たれた。
囁くような声だったのに、私の体は大袈裟にびくりと反応して「ひゃっ」という高い悲鳴が上がった。
声の方を見ると、玄関先の階段に、朝陽が「しっ」と口元に人差し指を置きながらこちらを見ていた。
およそ二週間ぶりだろうか。
隣に住み始めてこんなに会わない日々は初めてだ。
いつもなら、意識しなくても一日一回は顔を合わせるのに。
久しぶりすぎるのと、二週間前の出来事もあって、一気に緊張が高まった。

「な、何してんの?」
「今日、流星群ってニュースで言ってたから、ちょっと外出てみようと思って」

そう言いながら、朝陽は夜空を仰いだ。

「ほんとはトイレに行きたくなって、そしたら目が冴えてきて」

朝陽は肩を小さく揺らして笑った。

「流星群っていうから、大量の流れ星が流れてくると思ったけど、そうでもないんだね。まだ10分ぐらいしかここにいないけど、まだひとつも見てない」
「そんな恰好で、寒くないの?」

朝陽はパジャマにしているスウェットの上から薄そうなダウンジャケットを羽織って、両手をそのポケットに突っ込んでいる。
足元は、裸足にサンダルだった。

「うん、ちょっと寒いかな」

そう言いながら、ダウンのファスナーを首の一番上まで上げた。
その恰好が、ちょっとダサい。

「凪咲は暖かそうだね。ちゃんと準備してたんだ」
「うん、まあ」
「凪咲は昔からこういうイベントごと好きだもんね。何年に一度のイベントとか、オリンピックとかワールドカップとか。そんなに詳しいわけでもないのに」
「うるさいなあ」

朝陽と久しぶりに話せたのがなんだか嬉しかった。
いつもと何も変わらないやり取りに、自然と頬が緩んだ。
でも、にやけた理由はそれだけじゃない。
朝陽が私のことを、知っててくれたことが嬉しかった。
覚えててくれたことが嬉しかった。
朝陽の心の中にも、私がちゃんといることが嬉しかった。
「とくべつ」になれた気がした。
私は口元が緩むのを誤魔化すように、階段に座った。
そして夜空を眺める朝陽に倣って空を仰いだ。
しばらく眺めていたけど、星はいっこうに流れてこない。
その代わり、朝陽の声が夜空に放たれた。

「あいつ、告られた」
「えっ?」

思わず大きな声が出た。
その声は、静かな夜の空気をどこまでも震わせた。
慌てふためく私の様子を、朝陽はふふっと肩を揺らして笑った。

「彼女じゃないよ」
「え?」
「あいつに告白したのは、学校の、マドンナ」
「な、何それ、マドンナって。何時代?」

私の質問に、朝陽はまたおかしそうに笑う。
肩の揺れがさっきよりも大きくなった。

「別に普通じゃない? 凪咲だって、中学ではマドンナ的存在だったでしょ? 
美人で、明るくて、みんなから頼られて、友達もたくさんいて、人気者で……。つまり、そういうこと」
「別にそんなんじゃ……」

私の場合、もちろん性格もあるけど、朝陽の自慢の幼馴染みでいたかったから、なんというか、それは演出だ。
明るい性格の主人公にツンデレな幼馴染みがいるのはよくある設定だ。
朝陽はツンデレではなく、ただの自信のない地味な男子だったけど。
だけど朝陽に面と向かって「美人」とか「明るい」とか言われると、かなり恥ずかしい。
寒さの中で、頬だけがかあっと熱くなるのが分かった。

「僕の手には、絶対届かない存在だよ」

夜空に放たれた小さな声は、そう言ったような気がした。
だけど、どこまでも広がる真っ暗闇の中を探しても、その声はもうどこにもなかった。

「で、マドンナとはどうなったの?」
「付き合ってる人がいないなら付き合ってほしいって。あいつ、付き合ってる人はいないけど、付き合えないって」

そう言って、朝陽は私の顔をフェンス越しに覗き込む。

「あいつ、付き合ってる人、いない」

そう言った朝陽の顔の背景で、星がきらりと流れたのが見えた気がした。

「そっか。彼女と、まだ付き合ってなかったんだね」
「うん。凪咲の言う通り、付き合ってなくても……その……、ああいうこと、するんだね」

私はちょうど二週間前に朝陽にした行動を思い返した。
頭の血がさっと引いていくのがわかった。
朝陽も勝手に思い出して、自分で言っておきながら、急に気まずそうに言葉を濁した。
でもすぐに、はっきりとした声で言った。

「この間は、ごめん。突き飛ばして。その……肩、痛かったでしょ」
「ああ、ううん、全然平気」

あの時のことを思い出して、さっきまで何ともなかったはずなのに、朝陽に突き飛ばされた部分がズキンと疼いた。

「それに、あんなことさせて、ごめん。僕なんかのために」
「別に、謝ることじゃないよ。あんなの普通だって。それに、私たち、幼馴染みだし」

ほんの少し前みたいに、自信を持って強く言えない自分が今日はいる。

__幼馴染みだったら、ああいうこと、普通にするのかな。

私が心の中で思った疑問に、朝陽は答えてくれた。

「普通じゃないよ。そういうのはやっぱり、大切な人にするもんだよ。……好きな人、とか」

最後の言葉を、朝陽は本当に小さな声で呟くように言った。

「あいつも彼女も、好きだからそうしたんだよ。好きだから、できるんだよ」

__好きだから……。

「凪咲は、違うでしょ?」
「え?」

私に向けられた朝陽の目に、私は戸惑った。

__私が朝陽にあんなことしたのは……、私は、朝陽のことが……

私が何か言う前に、朝陽は真剣な顔で話を戻した。

「あいつ、彼女とは付き合ってないけど、彼女のことは好きだって。僕にはっきりそう言ったんだ」

朝陽の声は震えていた。
寒さだけが原因ではないことぐらい、私にもわかる。

「かつみのくせにさ、恥ずかしげもなくはっきり言うからちょっとムカついて、僕聞いたんだ。彼女がまだ、本田のことが好きだったらどうするって」

私はその答えを、息をするのも忘れて待った。

「そしたらあいつ、それでもいいって。好きだからしょうがないって。それでも彼女のことが、好きなんだって」

その言葉を聞いて、二週間前の朝陽の言葉が再び脳裏をよぎっていく。

__「それでもやっぱり、彼女が好きだから」

思い出して、また胸の辺りがもやりとする。

「そのあと、あいつも僕に聞いたんだ。お前はどうなんだって。もし彼女がまだ、本田のこと好きだったら、お前は諦められるのかって」

その言葉の意味が、私にははじめ理解できなかった。
何度も何度も頭の中で、朝陽が今言った言葉を反芻した。
そしてその意味に行きついたとき、朝陽は私の方に、切なげな目を向けていた。
そして口を半開きにしたままの私に、朝陽が優しい口調で、ゆっくりと丁寧に教えてくれた。

「あいつ、僕が彼女を好きなこと、知ってた」

その報告に、半開きになっていた私の口が、ほんのもう少しだけ開いた。