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君が一番気になっているのは、おそらく私と彼女――東条かさねの関係かな。
学校が違うとはいえ教師と生徒の関係ではあるが、実際はただ家が近い幼なじみだったんだ。
休みの日に勉強を教えたり、母親が作りすぎたおかずを持って行ったり。お互い一人っ子だったから、私は彼女を妹のように接してきた。
普段から明るくて、珍しいものには目がない。父親の影響か、野球の実況中継を聴きすぎて真似をすることもあったな。電車に乗ってくるサラリーマンが船をこいでいるときに、こっそりと私に実況してきたときは、腹が千切れるかと思った。これがまた上手いんだ。
高校で園芸部に入ってから帰りが遅くなることが多くなって、夜道が心配だと言ったら、かさねの方から駅のホームで待ち合わせをして一緒に帰ろう、と提案されたんだ。
それからは時間が合う限り、同じ電車に乗って帰ったものさ。楽しい時間だったよ。
……ずっと続けばいいと思った。
ある日、かさねから「話したいことがあるから、いつものホームで待ってる」と連絡があったんだ。余程のことがない限り、ほぼ毎日ホームで待ち合わせをして帰っているのが当たり前だったのに、事前に告げられたのはこれが初めてだった。
珍しく声を震わせた、どこか緊張しい彼女の言葉を電話越しに聞いて、こちらも少し身構えてしまった。
一緒に帰るのをやめるなら、電話一本で事足りるだろう。
だから私は、彼女に恋人ができたという可能性を一番に考えていた。
喜ばしいことじゃないか。妹のように可愛がっていた子が、想いを寄せる人と幸せになれるかもしれない。この時すでに両親を亡くしていた私にとって、嬉しいことに違いなかった。
しかし、なぜか私の中で真っ黒な感情が渦巻いていた。
彼女が決めたことに、他人が口出しする義理はない。それでもなぜか、突然胸に穴を開けられたような虚しさに襲われる。
私は、この複雑な感情がわからなかった。何を言われるのか決まっているわけじゃないのに、不安が押し寄せる。
彼女に会うのが、怖かった。
――事故が起きたのは、その翌日のことだった。
別の路線で起きた遅延の影響で、振替輸送であの駅のプラットホームに人が溢れかえった。当時はまだホームドアの設置がされていなかったからね。電車が入ってくるまで、柱やベンチに縋りつく人が多かった。
いつも待ち合わせよりも早くホームに来ていたかさねは、遅延していても振替輸送で混みあうような駅ではないと思っていたんだろう。あの日に至っては、都心部に向かう途中の駅と繋がっている、唯一の路線だったことも知らず、端に追いやられ、仕舞いに押し出されて線路に落ちてしまった。
その時の私は、改札からホームに繋がる階段の途中にいた。悲鳴と同時に緊急停車ボタンが押されたのが聴こえて、頭の中にかさねの姿が過ぎった。
嫌な予感がした。心臓がバクバクと、音を立てて警報を鳴らしているようだった。
私は人を押しのけて、階段を駆け上がった。どうか無事でいてほしいと、それだけを考えて無我夢中に走った。
最後の一段を飛び越えたその瞬間――耳をつんざくような騒音が、辺り一帯に響き渡った。
目を覆いたくなるほどの悲惨な光景。……ああ、思い出したくない。路線に散らばった鞄や、片方のローファーが転がっているのを視界に入れるだけで吐き気がした。
私は間に合わなかった。
人混みの中、ずっと待ってくれていた彼女を助けることも、複雑な感情のせいで素直に喜べないのも、自分の気持ちに気付くのも、すべてが遅すぎた。
私は、東条かさねを一人の女性として愛していたのだと。
君が一番気になっているのは、おそらく私と彼女――東条かさねの関係かな。
学校が違うとはいえ教師と生徒の関係ではあるが、実際はただ家が近い幼なじみだったんだ。
休みの日に勉強を教えたり、母親が作りすぎたおかずを持って行ったり。お互い一人っ子だったから、私は彼女を妹のように接してきた。
普段から明るくて、珍しいものには目がない。父親の影響か、野球の実況中継を聴きすぎて真似をすることもあったな。電車に乗ってくるサラリーマンが船をこいでいるときに、こっそりと私に実況してきたときは、腹が千切れるかと思った。これがまた上手いんだ。
高校で園芸部に入ってから帰りが遅くなることが多くなって、夜道が心配だと言ったら、かさねの方から駅のホームで待ち合わせをして一緒に帰ろう、と提案されたんだ。
それからは時間が合う限り、同じ電車に乗って帰ったものさ。楽しい時間だったよ。
……ずっと続けばいいと思った。
ある日、かさねから「話したいことがあるから、いつものホームで待ってる」と連絡があったんだ。余程のことがない限り、ほぼ毎日ホームで待ち合わせをして帰っているのが当たり前だったのに、事前に告げられたのはこれが初めてだった。
珍しく声を震わせた、どこか緊張しい彼女の言葉を電話越しに聞いて、こちらも少し身構えてしまった。
一緒に帰るのをやめるなら、電話一本で事足りるだろう。
だから私は、彼女に恋人ができたという可能性を一番に考えていた。
喜ばしいことじゃないか。妹のように可愛がっていた子が、想いを寄せる人と幸せになれるかもしれない。この時すでに両親を亡くしていた私にとって、嬉しいことに違いなかった。
しかし、なぜか私の中で真っ黒な感情が渦巻いていた。
彼女が決めたことに、他人が口出しする義理はない。それでもなぜか、突然胸に穴を開けられたような虚しさに襲われる。
私は、この複雑な感情がわからなかった。何を言われるのか決まっているわけじゃないのに、不安が押し寄せる。
彼女に会うのが、怖かった。
――事故が起きたのは、その翌日のことだった。
別の路線で起きた遅延の影響で、振替輸送であの駅のプラットホームに人が溢れかえった。当時はまだホームドアの設置がされていなかったからね。電車が入ってくるまで、柱やベンチに縋りつく人が多かった。
いつも待ち合わせよりも早くホームに来ていたかさねは、遅延していても振替輸送で混みあうような駅ではないと思っていたんだろう。あの日に至っては、都心部に向かう途中の駅と繋がっている、唯一の路線だったことも知らず、端に追いやられ、仕舞いに押し出されて線路に落ちてしまった。
その時の私は、改札からホームに繋がる階段の途中にいた。悲鳴と同時に緊急停車ボタンが押されたのが聴こえて、頭の中にかさねの姿が過ぎった。
嫌な予感がした。心臓がバクバクと、音を立てて警報を鳴らしているようだった。
私は人を押しのけて、階段を駆け上がった。どうか無事でいてほしいと、それだけを考えて無我夢中に走った。
最後の一段を飛び越えたその瞬間――耳をつんざくような騒音が、辺り一帯に響き渡った。
目を覆いたくなるほどの悲惨な光景。……ああ、思い出したくない。路線に散らばった鞄や、片方のローファーが転がっているのを視界に入れるだけで吐き気がした。
私は間に合わなかった。
人混みの中、ずっと待ってくれていた彼女を助けることも、複雑な感情のせいで素直に喜べないのも、自分の気持ちに気付くのも、すべてが遅すぎた。
私は、東条かさねを一人の女性として愛していたのだと。