満員電車の中で、稀にぽっかりと空いた誰も座らない一席があるのをご存じだろうか。
 有名なのはその空席には目に見えないモノ――幽霊が座っているという話だ。実際に僕らには見えない存在だし、この話を都市伝説と思っている人も少なくはない。その考えになってしまうのは当然のようにも思える。

 僕と目が合った彼女も、じぃっとこちらを見て、何かを言おうと口を開いた。何か伝えたかったのかもしれない。

 どうしよう、「ひとりはさみしい」とか言われて、死後の世界へ道連れにでもされたら。

 周りに助けを求める術がない僕には、いくら周りに誰かがいたって味方にはなってくれない。だから次にまた彼女と出くわしたら、逃げようと思った。

 ――思ってた。

『やっぱりそうだよね? あなた、私と目が合ってるよね?』
「…………」
『聞こえてる? 返事しなくていいから、見えていたら頷いて?』

 翌日、僕はまた同じ過ちを犯した。
 誰かが座っているのは見えていたにも関わらず、声をかけられるまでそれが彼女だと気付かなかったのだ。昨日の違和感を残しつつ、見慣れた光景に溶け込まれてしまっては、わかるわけがない。

 座席に座っている彼女は、必然的に僕を見上げる姿勢になる。離れているうえ、走行中の電車の中だ。周りの音にかき消されてしまうため、話すにはある程度大きな声を出さなければならない。

 それなのに彼女の声は、僕の耳にはっきりと届いた。大声を出している素振りはなく、両隣に座る人が驚いている様子もない。不自然だと思った。

 本で顔を隠して視線を下に落とす。足元にいくにつれ、身体が消えかかっていることに気付いたときにはもう遅かった。

『足ばかり見ないでよ、変態』

 誰が変態だ。
 思わず目を向けると、彼女は満足げに微笑んだ。

『やっと見てくれた。ねぇ、私の話し相手になってくれる? 名前も知らない、変態さん?』