一つのスマホの画面に打ち込んだメモはかさねだけでなく、先生も見ることができる。唯一それだけが、今の二人をつなげるものだ。
本当は人気の少ないプラットホームとか、改札を出たところとか。人混みにまぎれて聞こえないところが良かったが、何度試してもかさねが現れるのはこの車両だけだった。
僕が話せないからこんなやり取りをしているが、傍からみれば不審な行動だろう。周りの乗客は見ないフリをしてくれている。
木嶋先生は何かを察したのか、黙って僕の方を見た。とても苦しそうだった。
『……シオリくん、こんなの酷いよ』
走行する電車の音が聞こえる中、かさねの震えた声がハッキリと聞こえた。
『こんなに近くにいるのに、気付いてもらえない。声も届かない。……地獄みたい。どうしてこんなことをするの? 私は、黙ったまま死んでいた方がよかった!』
<でも今なら、本人に聞こえずに、言いたいことが言えるよ>
僕は霊能力者でもなければ、祈祷師でもない。だから先生にかさねの姿を見せてあげることはできない。
生きている人間が、彼女にしてあげられることは限られている。
<悪口の一つや二つ、言ったって誰も止めやしない>
打ち込んだ画面の言葉を見て、かさねは顔をしかめたが、隣にいることに気付いていない先生と向き合った。
『私、本当はずっと待ってた。死んだあの駅で、待ち合わせをして一緒に乗った電車でずっと、ずっと雅臣くんのこと待ってた。いつも扉に寄りかかって、メガネを外して目を細めて本を読むあなたに会いたくて……会いたかった、のに……どうして忘れちゃってたんだろう』
ぽろぽろと大粒の涙が零れていく。地面に落ちる前に消えてしまうのが、とても儚げだった。
『でもね、嬉しいの。雅臣くんを思い出して、もう一度会えたことがすごく嬉しい、嬉しいのに……っ、辛い、苦しい……っごめん、ごめんね、雅臣くん』
――生きて、会いたかったな。
「……君は残酷だな。私に会わせたい人じゃない、私が会いたい人じゃないか」
先生はかさねがいる方へ、遠慮がちに手を伸ばす。偶然か、かさねの頬に触れた。
「私がずっとこの路線を使っていたのは、仕方がなかったからだけじゃない。ここにいれば、いずれまた会えると思ったからだ」
先生は見えているかのように、かさねの頬に伝う涙を拭う。状況を知らない人からしたら不審に思えるが、今の先生にはそれを気にしている余裕はない。思い焦がれた人が泣いているのだから。
「何を言わせているか知らないが、泣かすようなことはしないでくれ。彼女には、向こうの世界でも笑っていてほしい。何もしてやれなかった私が言うのも癪に障るかもしれないが、それでも君がしていることは、残された側の人間にも苦痛を与えているのと変わらない。お節介がすべてじゃない。そっとしておくことも時には必要だろう」
どこか怒りが込められているように聞こえた先生の声に、僕は視線を逸らした。
確かに僕のしていることはお節介で、非道なことかもしれない。死んだ人間に強引に引き合わせたこと自体、おかしい話なのもわかっている。
でももう、見ていられなかった。
僕は最初、かさねと出会った時点で距離を置こうとしていたし、先生がかさねの想い人で、お互いが今も後悔していることを聞いてから、これ以上関わらないようにしようと思っていた。二人の長年の両片想いの話を一方的に聞かされて、僕には何の得にもならない。生まれ変わったら結ばれるかもしれない未来なんてどうだっていい。
それでも当時を思い出しながら話すかさねは、いつも無理に笑っていた。眉を下げて、困ったような笑みをいつもしていた。彼女が最後に泣いたのはいつだったのか、僕が考えてしまうほど、彼女はいつも笑顔をすることで堪えてきた。ずっと思い焦がれていた人と会えた途端、せき止めていたものが無くなって、泣き始める彼女をみて、内心ホッとしている自分がいることに気付いて確信した。
これは、彼女のためなんだと。
先生の言うことも一理ある。先生にはかさねの姿が見えない。触れられないし、声も聞こえない。彼にとっては苦痛な再会だろう。伸ばした手が震えているのは、そこにいるかさねを傷つけないよう、慎重になっているからだ。
言葉を発せられるのに、どうして口にしない?
死んだ後に「伝えておけばよかった」と、十八年もの間、ずっと引きずってきたくせに!
<お節介かもしれません>
僕は打ち込んだ文字を先生に見せる。
「なら……」
<彼女はずっとここであなたを待っていました。会えると思ってずっとここにいたんです>
<あなたに伝えたいと願ったから>
打つ手を止めず、今度はかさねに向けて打ち込んだ。
<この間、僕が質問したこと覚えてる?>
『質問……三十秒あったらって話?』
“もし、三十秒だけ声が出せたら、君はどうしたい?”
――そう問いかけたとき、かさねは悩みながらも教えてくれた。気恥ずかしそうに目を逸らしながら、複雑な心情でもずっと笑っていた彼女の顔が印象的だった。ずっと言いたかった言葉なら、声に出さなきゃダメだ。
<僕は君の想いを代読するつもりはない。だから自分で伝えて。短い時間で申し訳ないけれど>
『……それって』
訳が分からない、と言った顔を向けてくる。
僕はずっとつけていたマスクを外しながら、メモに続きを打ち込んだ。
<三十秒だけ――君に、僕の声をあげる>
本当は人気の少ないプラットホームとか、改札を出たところとか。人混みにまぎれて聞こえないところが良かったが、何度試してもかさねが現れるのはこの車両だけだった。
僕が話せないからこんなやり取りをしているが、傍からみれば不審な行動だろう。周りの乗客は見ないフリをしてくれている。
木嶋先生は何かを察したのか、黙って僕の方を見た。とても苦しそうだった。
『……シオリくん、こんなの酷いよ』
走行する電車の音が聞こえる中、かさねの震えた声がハッキリと聞こえた。
『こんなに近くにいるのに、気付いてもらえない。声も届かない。……地獄みたい。どうしてこんなことをするの? 私は、黙ったまま死んでいた方がよかった!』
<でも今なら、本人に聞こえずに、言いたいことが言えるよ>
僕は霊能力者でもなければ、祈祷師でもない。だから先生にかさねの姿を見せてあげることはできない。
生きている人間が、彼女にしてあげられることは限られている。
<悪口の一つや二つ、言ったって誰も止めやしない>
打ち込んだ画面の言葉を見て、かさねは顔をしかめたが、隣にいることに気付いていない先生と向き合った。
『私、本当はずっと待ってた。死んだあの駅で、待ち合わせをして一緒に乗った電車でずっと、ずっと雅臣くんのこと待ってた。いつも扉に寄りかかって、メガネを外して目を細めて本を読むあなたに会いたくて……会いたかった、のに……どうして忘れちゃってたんだろう』
ぽろぽろと大粒の涙が零れていく。地面に落ちる前に消えてしまうのが、とても儚げだった。
『でもね、嬉しいの。雅臣くんを思い出して、もう一度会えたことがすごく嬉しい、嬉しいのに……っ、辛い、苦しい……っごめん、ごめんね、雅臣くん』
――生きて、会いたかったな。
「……君は残酷だな。私に会わせたい人じゃない、私が会いたい人じゃないか」
先生はかさねがいる方へ、遠慮がちに手を伸ばす。偶然か、かさねの頬に触れた。
「私がずっとこの路線を使っていたのは、仕方がなかったからだけじゃない。ここにいれば、いずれまた会えると思ったからだ」
先生は見えているかのように、かさねの頬に伝う涙を拭う。状況を知らない人からしたら不審に思えるが、今の先生にはそれを気にしている余裕はない。思い焦がれた人が泣いているのだから。
「何を言わせているか知らないが、泣かすようなことはしないでくれ。彼女には、向こうの世界でも笑っていてほしい。何もしてやれなかった私が言うのも癪に障るかもしれないが、それでも君がしていることは、残された側の人間にも苦痛を与えているのと変わらない。お節介がすべてじゃない。そっとしておくことも時には必要だろう」
どこか怒りが込められているように聞こえた先生の声に、僕は視線を逸らした。
確かに僕のしていることはお節介で、非道なことかもしれない。死んだ人間に強引に引き合わせたこと自体、おかしい話なのもわかっている。
でももう、見ていられなかった。
僕は最初、かさねと出会った時点で距離を置こうとしていたし、先生がかさねの想い人で、お互いが今も後悔していることを聞いてから、これ以上関わらないようにしようと思っていた。二人の長年の両片想いの話を一方的に聞かされて、僕には何の得にもならない。生まれ変わったら結ばれるかもしれない未来なんてどうだっていい。
それでも当時を思い出しながら話すかさねは、いつも無理に笑っていた。眉を下げて、困ったような笑みをいつもしていた。彼女が最後に泣いたのはいつだったのか、僕が考えてしまうほど、彼女はいつも笑顔をすることで堪えてきた。ずっと思い焦がれていた人と会えた途端、せき止めていたものが無くなって、泣き始める彼女をみて、内心ホッとしている自分がいることに気付いて確信した。
これは、彼女のためなんだと。
先生の言うことも一理ある。先生にはかさねの姿が見えない。触れられないし、声も聞こえない。彼にとっては苦痛な再会だろう。伸ばした手が震えているのは、そこにいるかさねを傷つけないよう、慎重になっているからだ。
言葉を発せられるのに、どうして口にしない?
死んだ後に「伝えておけばよかった」と、十八年もの間、ずっと引きずってきたくせに!
<お節介かもしれません>
僕は打ち込んだ文字を先生に見せる。
「なら……」
<彼女はずっとここであなたを待っていました。会えると思ってずっとここにいたんです>
<あなたに伝えたいと願ったから>
打つ手を止めず、今度はかさねに向けて打ち込んだ。
<この間、僕が質問したこと覚えてる?>
『質問……三十秒あったらって話?』
“もし、三十秒だけ声が出せたら、君はどうしたい?”
――そう問いかけたとき、かさねは悩みながらも教えてくれた。気恥ずかしそうに目を逸らしながら、複雑な心情でもずっと笑っていた彼女の顔が印象的だった。ずっと言いたかった言葉なら、声に出さなきゃダメだ。
<僕は君の想いを代読するつもりはない。だから自分で伝えて。短い時間で申し訳ないけれど>
『……それって』
訳が分からない、と言った顔を向けてくる。
僕はずっとつけていたマスクを外しながら、メモに続きを打ち込んだ。
<三十秒だけ――君に、僕の声をあげる>