何かおかしい。――僕は思わず目を疑った。

 寒空が広がる二月。学校を出て真っ直ぐ帰ろうと、いつも乗っている電車に乗った。夕方の帰宅ラッシュの電車は朝と比べて多少余裕があるが、満員であることに変わりはない。車両側壁に沿って設置されたロングシートは定員の七名分がすでに埋まっており、残りの人が吊り革や網棚のポールに捕まっていた。
 降りる駅までは各駅停車でわずか十五分ほど。普段から空席があってもロングシートの前に立っている僕は、適当に誰かの前に立つ。

 プラットホームに発車を告げるメロディが流れると、扉に身体を預けていた学生がよろけた。手元のスマホに夢中になっていて、扉が閉まることに気付いていなかったらしい。車内にいる乗客の大半がすでに目線を下げ、イヤフォンで周りの音を遮断して、最寄り駅に着くまでの個人空間を創り出していた。

 電車が動き出すと、僕は鞄から本を取り出して読み始めた。発売前からずっと楽しみにしていたミステリ小説で、朝の電車に乗っている時間と休み時間を使って、ようやく事件が急変するシーンまで辿り着いたところだった。

 しばらく小説に没頭していると、どこからか視線を感じた。
 僕と同じように立っている人が多いし、視線なんて沢山あって当たり前だけど、どこか落ち着かない。

 気になって顔をあげると、僕が立つ前の席に座っているセーラー服を着た女子がこちらをじぃっと見ていた。ストレートの黒髪と色白の肌。幼げな表情ながらも、真っ直ぐ見据えられた瞳に吸い込まれそうになる。

 おかしいな。この近辺でセーラー服が指定されている学校は覚えがない。むしろ僕が通っている私服の高校が年々増えてきていることもあって、街中で見かけたら珍しいと、断片的でも覚えていそうなのに。
 彼女は僕を食い入るように見てきた。気付かないフリをしながらの睨めっこは、どこからか圧力がかかっているのか、僕は目を逸らせなかった。

「おにいさん、そこの席空いてるかい?」

 後ろからトントン、と腕を叩かれて向くと、杖をついたおじいさんが立っていた。走行中の電車の揺れに耐えながら、人の波をかき分けてきたらしく、近くで吊り革に捕まっていた人が、迷惑そうに眉をひそめているのが見える。

「どこも空いていなくて、そこだけなんだ。座らないなら譲ってくれないかい?」

 そこ?

 おじいさんが指さした方を見ると、つい先程まで彼女がいた席は空席になっていた。慌てて周りを見渡すけど、彼女の姿はどこにも見当たらない。

「どうかしたのかい?」

 不思議そうな顔をするおじいさんに、さっきまでここに女の子がいなかったか尋ねると、途端に顔をしかめた。

「女の子? いいや、そこはずっと誰もいなかったよ。それよりも、最近の若いのは話す事すらできないのかい? スマホだかなんだか知らないが、そんなモノで会話しようなんて失礼だ。マスクしていても喋れるだろう? 目上の人間は敬うモンだ。もっと周りを見て行動しておくれ」

 皮肉を込めながら僕を押しのけると、おじいさんはその空席にどさっと座った。

 確かにスマホのメモ機能に打ち込んで聞いたのは失礼だったかもしれないけど、僕が普通の人と会話するためには必要な道具だ。若いからと、見た目だけで判断されては困る。

 しかし、それよりも今は彼女のことが気がかりだった。前のめりになるほど凝視していたのに、いつの間に席を立ったのだろう。
 それとも本当に最初から誰もいなかった。――なんて考えると、途端に寒気がした。