「続けるよ」

「ふーん……。そうなんだ」

 中くらいのは中くらいだから、あたしとあまり身長は変わらない。

「え? あんたも入部する?」

「しねーよ。三年だし」

 次の授業は化学だ。

早く教室に戻らないと。

「もう卒業だろ。部活なんてなぁ」

 中くらいのは中くらいらしく、細いのと丸いのの後について、そのまま行ってしまった。

「……。引き留めた方がよかったのかな」

「さぁ、どうだろう」

 いつの間にかいっちーが隣にいて、あたしたちは目を合わせた。

確かにうちの学校では、もうとっくに三年生は引退していて、ただ下級生のいないうちらだけが、部の存続のために活動しているだけだった。

勧誘するなら、三年生ではない。

「部員、増やさないといけないんだけどね」

 あたしは部長だし。

「大丈夫だよ。なんとかなる」

 いっちーはそういうと、そのまま階段を上り始めた。

その横顔に、あたしの傷がチクリと痛む。

なんとかなるって、誰が何をなんとかするの? 

それが出来ないから困ってるんじゃない。

 化学の先生が黒板に書く反応式は、矢印一つで簡単に変化してしまうけど、あたしにそんなことは出来ない。

反応式って、何に反応して変化するんだろ。

放課後がきてもまだぼんやりと机に身を投げ出したまま、じっと動けずにいる。

「ねぇ、金太郎が勧誘のポスター出来たって言ってたけど」

 さーちゃんは机に突っ伏したままのあたしをのぞき込む。

「うん。適当に張っといて」

「はぁ~。ダメだこりゃ。いっちー、コイツなんとかしてよ」

 いっちーのくすんだような茶色の目は、あたしを見下ろした。

「ももは平気でしょ」

 いっちーの手には、その完成したポスターがある。

「いいよ、さーちゃん。私たちは私たちで、出来ることをしよう」

 キジが心配そうにあたしをのぞき込んだ。

それにニッと笑って見せる。

「もうすぐ工事も終わって、部活が解禁されるよ」

「うん」

「今日はもう何にもしないの?」

「うん」

 伏せた腕の中に、再び顔を埋める。

これ以上なんか言われたら、あたしはまた爆発してしまいそうだ。

そうやってあたしの周囲からみんながいなくなるのを待っているのに、誰も動く気配はない。

え、ポスター早く貼りにいかなくていいの?

「今日は先に帰るね。後は任せた」

 パッと立ち上がり、後ろを振り返りもせず教室を飛び出す。

任せたって、何を任せるつもりなんだろう。

自分で言っといて意味がわかんない。

 周囲と取り囲む高い壁がなくなって、スッカスカになった校内に未だ慣れない。

風の通りがよすぎるせいだ。

あたしにとっての校門はただ一つだったのに、今は3ヶ所に穴が空いている。

男子の聞き慣れない低い声には、違和感しかない。

この世界と外は区別されているはずだったのに、もうそんな違いなんてない。

「お姉ちゃん」

 すっかり大人しくなってしまった駅バァの、その目の前で小さな女の子に声をかけられた。

この子には見覚えがある。

「もう鬼退治は、しなくてもいいの?」

 学校周りを巡回していた時に、助けを求めてきた子だ。

「元気だった?」

「ねぇ、本当にもう鬼退治やめちゃったの?」

「や、やめてないよ。……。そ、そんなの、やめるワケないじゃん!」

 あたしは腰のこん棒に手を置く。

「これからも、バンバン鬼退治していくから!」

 それなのに、彼女の顔はゆっくりと重く暗く沈んでゆく。

「あの時はありがとう。今度からは、遅い時間に独りで歩いたり、知らない人に近寄ったりしないし、分かってることも、知ってることも、全部興味ないとか知らないフリして、イイコにしています」

 つぶやく声はとても小さくて、まるで誰かから指導され、そう言わされるために覚えてきたセリフみたい。

「余計な手間をかけさせちゃって、ゴメンなさい。もう自分勝手なことはしません」

 ペコリと頭を下げると、彼女はそっと歩き出す。

「ありゃ可愛らしい、ええ子じゃねぇ~」

 ふいに隣にいた駅バァが口を開いた。

もごもごと口を動かし、彼女を褒め続ける。

「きっといい親御さんに育てられたんだよ。ちゃんと躾が行き届いとる。人間ちゅーのはやっぱり、あぁじゃないといかん」

 駅バァの目は、遠く離れてしまった自分の姿を見ているようだった。

「じゃないとヒトは、幸せにはなれんからなぁ」

 歩いていった女の子は、あたしの知らない誰かと手をつなぎ、人混みの中に消えていった。腕の傷が痛みだす。

「あんたも誰か他のヒトの言うことは、ちゃんと聞いていきんさいよ。自分の考えなんて、ちぃ~っともアテにはならん。人間素直が一番なんやから」

 駅前の濁った空は、春の訪れを告げる。

生暖かい空気が駅前広場を吹き抜けてゆく。

そのニュースが飛び込んできたのは、それから数日が経ったあとだった。