「一人でどうにもできなくなくなっちゃって、困ってたのよ」

 袖を振りほどこうとしても、どこにそんな握力があるんだろというくらいがっちりつかんではなしてくれなかった。

 彼女の視線が俺をまっすぐに射抜いている。

 わがまななくせに、正直で、弱みを見せるくせに意志が強い。

 おまけに、美人だ。

 非モテ男子の俺なんかが断れる相手ではない。

「分かったよ。下まで一緒に行けばいいんだろ」

 俺がそう観念すると、彼女はそっと袖をはなしてから、改めて手を差しだしてきた。

 これはどうしたらいいんだ?

 手を握るのは恥ずかしい。

 手袋してるけどな。

 よく考えたら、あのまま袖をつかんでくれていた方が良かったんじゃないだろうか。

 ためらっている俺の顔を見上げながら彼女が微笑む。

「私、十二組の下志津奈緒。よろしくね」

 俺たちの私立高校は超マンモス校で、一年生だけで七百人くらいいる。

 顔も知らないやつの方が多い。

「あ、斉藤佑也っす。俺は三組です」

「ふうん、佑也君か……」

 ユウヤユウヤと何度か俺の名前をつぶやきながら最後に、いい名前だねと言った。

 そんなこと言われたの初めてだ。

 ちょっと照れくさくなっていたら、彼女が思いがけないことを言い始めた。

「実は私、幽霊なんだ」

 はあ?

「嘘だと思うなら触ってみてよ」と、さらに手を突き出してきた。

 そこまで言われて握手をしないのも悪いと思ってその手に触ろうとすると、少し臆病そうに手を引っ込める。

 なんだよ、触れと言ったくせに。

「びっくりしないでね」

 月明かりに照らされて、ゲレンデから浮き上がるように彼女の姿がくっきりとする。

 大きな目で真っ直ぐに俺を見上げたまま彼女は動かなくなった。

 俺の口からは白い息が出ているのに、彼女の周囲の冷気はまるで凍りついてしまったかのようだった。

 あらためて俺はおそるおそる手を差し伸べた。

 もちろん幽霊だなんて信じてはいない。

 そもそも今俺の袖をつかんでいたじゃないか。

 幽霊は人の袖を引っ張ったりしないだろう。

 あれ、でも、暗がりに引っ張り込まれる怪談話とか、あったような気もするぞ。

 袖をつかんで取り憑く幽霊なのかもしれない。

 もしかしたら、万一、という気がしないでもなかった。