「その瞬間がきたらスイッチをオフにするみたいにスパッと私の人生を終わらせてかまわないから、それまでは後悔しないようにやりたいことをやらせてくださいってお願いしたの。その日だって分かっていれば、それまでにやりたいことをやり尽くすことができるでしょ。みんなと同じ学校生活を楽しんで、いろんな行事にも参加して、素敵な思い出を作るの。それならパチンってスイッチオフになってもいいかなって」

 俺には奈緒の病気の苦しみは分からない。

 どれほど心臓が痛くなるのか。

 血の巡りが悪くなってどれほど息が苦しくなるのか。

 あのスキー場で、急に具合が悪くなったときのように、いつそういう状態に襲われるのか分からない不安。

 そういったものをすべて解消するために、月と取引をしたというのだろうか。

 命の長さと引き替えに、不安を感じないで死なせてほしい。

 それはあまりにも都合の良すぎる願いなんだろうか。

 俺には分からなかった。

 分かったふりをするのは不誠実だと思った。

 いったいどれほどの余命を犠牲にしたというのだろうか。

「で、それはいつなんだ?」

「それは内緒」

「なんで?」

「私とお月様だけの約束だから」

 そうか。

 奈緒が月にお願いした。

 それを俺は信じた。

 でも、それはもしかしたら、奈緒の勝手な思い込みなのかもしれない。

 月が願いをかなえてくれると勝手に思いこんでいるだけなのかもしれない。

 病気で弱っている心が何かにすがりたくて、まったく根拠のない希望があるかのように思っているだけなのかもしれない。

 でも、俺にはそんなことを指摘する勇気はなかった。

 すぐ目の前にある死の恐怖に怯えている若い人間にとって、その一縷の望みがどれほどの輝きなのかは、俺には分からない。

 青い満月の光よりも強いのだろうか。

 分からないものを分かるふりができるほど、俺は役者じゃない。

 そんな余裕はない。

 だからこそ、俺がとやかく言うことはないんだ。

 奈緒だって、もしかしたら、不安を消そうとして何かにすがろうとしているんだってことを自覚しているのかもしれない。

 その上で俺に打ち明けてくれたんだったら、その気持ちを崩さないように尊重したい。

 奈緒はいつも真っ直ぐで、だから、受け止めるのが大変なんだよ。

「信じた?」と、奈緒がつぶやいた。

 え?

「ユウヤは女の人にだまされないようにしなよ」

「なんだよ。嘘なのか」

「心臓の話は本当」

「月の話は?」

「お祈りしたのは本当」

「じゃあ、べつにだましてないじゃないか」

 俺がそう言うと、重たい空気を振り払うように奈緒がにっこりと笑みを浮かべた。

「全部嘘だといいのにね」

 ――そうだな。

 嘘だったらいいのにな。

 こんな話、全部嘘だったらいいのにな。

 病室の壁が四方に倒れて、ドッキリ大成功の札を持った人が乱入してきて、「やーい、だまされた!」って俺のことを散々からかってくれればいいのにな。