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 そんなことがあったとはいえ、それから俺と奈緒の関係が進展したわけではなかった。

 彼女は次の日から学校を長期欠席したのだ。

 また入院したらしいけど、個人の事情だから担任からもそれ以上詳しい説明はなかったし、スマホを持っていない奈緒とは連絡を取ることもできなかった。

 六月は丸々欠席で、俺の後ろの席は空白のまま席替えがおこなわれた。

 朝の点呼も退屈だった。

「斉藤ぉー」

「はい」

「下志津は……、今日も欠席か」

 後ろからつつかれる心配はなかったけど、猫みたいに気まぐれに現れて今朝はやられるんじゃないかと、逆に期待してしまう毎日だった。

 七月に入ると、うちの高校は甲子園の予選大会など、部活関連の行事が盛りだくさんで、周りの連中は忙しそうだった。

 期末試験期間中ですら、うちの高校では練習が認められている。

 むしろ部活動優先といってもいいくらいだ。

 俺といえば、一人でバジルに餌をやりに行く日課以外、何も変わらない日々が続いている。

 それは期末試験が始まる三日前だった。

 体育館倉庫の裏にしゃがみこんでこそこそと餌を皿に移していた俺は背中から声をかけられた。

「何してるの?」

 落ち着いた女の声だった。

 やばい、見つかったか。

 とっさに土台の穴に皿を押し込む。

 幸いバジルは今いないからごまかしきるしかない。

 ゆっくりと立ち上がって振り向くと、そこにいたのは委員長の鞍ヶ瀬柚だった。

 ソフトボール部のユニフォーム姿で手には大きな茶封筒を持っている。

 とりあえず教師じゃなくてほっとしたけど、相手は委員長という秩序を重んじる立場だ。

 ピンチが去ったとはいえないようだった。

 後ろ手に餌を鞄に隠したところでバレるだろう。

 黙っている俺の後ろを、鞍ヶ瀬が微笑みながらのぞきこむ。

「猫?」

 図星ですよ。

「ああ、まあ……」

「大丈夫よ。誰にも言わないから」

 ふうと、大きくため息をつく。

「下志津さんと世話してるんでしょ」

「知ってたの?」

「そういうわけじゃないけど、いつも帰りにこっそり何かやってるなって思ってたから」

 どこで見てたんだよ。

 ていうか、今も俺のこと、つけてきたのか。

「あのね、私、ちゃんと斉藤君に用があったから追いかけて来たのよ」

 すっかり俺の考えていることはバレているらしい。

 奈緒といい、鞍ヶ瀬といい、女子はみんな勘が鋭いのか?

「斉藤君はね、すぐ顔に出るんだよ」

 そうなのか?

「隠し事できないタイプだよね」

 朗らかに笑われてしまう。

 また、返事に困ってしまった。