「ソーセキって?」

 珍しい石かなんかか?

 彼女の視線に軽蔑の色が混じる。

「もしかして、夏目漱石も知らないの?」

 ああ、夏目漱石ね。

 もちろん名前くらい知っている。

 本は読んだことないけどな。

 あ、なんか一つだけ知ってるかも。

 自分の都合で友達に身代わりを押しつけたくせに、走るの疲れたとかなんとか愚痴ばかり言ってなかなか戻ってこないやつだろ。

「それ太宰だから」

 彼女はまるで俺の心を読んだかのように鼻で笑った。

「いや、あれだろ、国境の長いトンネルを抜けると猫がいたとか。名前がないんだよな」

 ふだんあまり女子としゃべったことのない俺だから、急に動揺してしまって、よけいなことを口走ってしまった。

「何それ、異世界物? 文豪なのにネット時代先取りじゃん」

 あきれたような顔で返されると、俺も何も言えなくなってしまう。

 すると、彼女がくすくす笑い出した。

「すべってるよ。スキー場だけに」

 知るかよ。

「だいたいそれ、『雪国』の冒頭混ざってるでしょ。川端康成」

 ふうと一呼吸おいて、あたりを見回しながらまた笑い出す。

「あれ、ていうか、もしかして、ここ雪国だから?」

 ち、ちげえし。

 彼女の笑いが止まらない。

「あー、ごめん気づかなかった、マジで、ゴメン。うまいこと言ったつもりだったんでしょ。そういえば、あのトンネルって、新潟との県境だからここからも近いんだよね」

 俺は何か反論しなければと言葉を探したけれど、焦れば焦るほど頭の中が真っ白になっていく。

 いや、べつにゲレンデみたいとかじゃないから。

 湯気が出そうなほど熱い顔を空へ向けると、また満月が目に入って動揺が加速する。

 ……もうだめだ。