けれどもし。今日残業せざるを得なくなった現状を、誰かのせいにしてしまえるとしたら、それは羽柴先輩のせいだと断言させてもらう。
 まあ、それは今日ではなくても、羽柴先輩に助けを求められたらほぼほぼ無条件で手をあげてヘルプ要因に身を投じるのだけれども。
 冗談としては言えるが本気では言えないのは、あれこれ迷惑を掛けている自覚があることと、それ以外も学生の頃からの性分で羽柴先輩の諸々と他の何かを天秤に掛けた時は大抵羽柴先輩の方へ傾いてしまうのをどうにも止められないからだ。これは世間的に言う、惚れた弱みというやつなのだろうか。
 先輩は大学時代からの知り合いで、勉強や遊びでお世話になった。主に、勉強を。仕事ぶりからも分かる通り先輩は勉強ができる。人に教えることも、アルバイトで家庭教師になっていてもおかしくない程。学部は違ったが、サークルを探している時に出会ってするすると流されて同じサークルに入ってしまったのが運のつき、といえなくもない。そうでなければ噂を聞くくらいで知り合わなかっただろうと今は思う。
 憧れる気持ちがなかったと言えば嘘になる。憧れの気持ちがあった半面で、置かれた立場を解りきっているからこそ、話し掛けて貰えたり一緒に居たり出来ることだけが私に許された唯一の事の様に思えた。

“王子は町娘に恋しない”

 初めから解りきっていた事だ。そうして、お伽噺はお伽噺であるということも。白雪姫ははじめからお姫さまで、シンデレラも王子と出会う機会がある家柄にいた。お伽噺に描かれるお姫様という存在はいつか王子様に見初めてもらえることが決まっていたのだ。ただその時期までにいろいろあったというだけ。物語としては紆余曲折あったほうが感情も入り込みやすい。
 お伽噺と比べるなんてセンスがないかもしれないが、先輩は存在感があるし目を惹かれなくもない。話すと気さくで話題も豊富だから人付き合いもそれなりな上に仕事が出来る。
 そんな先輩に、そこまで悪くはない評価を受けた私だ。平々凡々、勉強も努力だけがものをいっている状態で必死にしがみついたし、人付き合いは当たり障りが無いようにみせてはいるが内心あれこれ考えすぎてから回っていることは自覚している。得手不得手があって当然と、先輩は苦笑いをしていたけれど、出来ている人間が何を言ったってなんの慰めにもならない。でも先輩のそれは嫌味には聞こえなかった。むしろ励ましてくれている様な気さえした。
 そんな私が、必死になって恋愛ごとひとつのために努力をしたって届きっこないのが、羽柴先輩だ。誰よりも、私自身が分かっていた。