4,願うのはきみの幸せ
「おはよう」
澪は毎朝、夏海を待って一緒に改札へ向かう。
「数学の課題やった?」
「半分もできてなーい」
夏海は眠そうな顔で、明るい色に染めた髪をいじりながら言う。
中学の頃よりほっそりした体を、スカート丈の短いワンピース型の制服に包んで、しっかりメイクしている。
「あたしも全然。明日までに提出なんてムリかも」
「てきとうでも全部終わらせたほうが、途中で出すよりかはマシかな?」
「たぶんね。放課後、一緒にやる?」
「うんって言いたいとこだけど、彼氏と約束あるんだよね」
そう言って夏海は、左手の薬指にはめたリングを澪に見せた。金色に濃いピンクの小さな石がはめこまれたそれは、彼女にとてもよく似合っていた。
「誕生日にもらったんだ」
夏海の今の彼氏は三人めで、バイト先で知り合ったらしい。
「愛されてるじゃん!」
澪は右手を振りかぶり、夏海の肩をたたく真似をして笑った。
高校生になって二年めの夏。
夏海は高校の雰囲気にすっかりなじんでいるが、澪はまだなんとなく慣れないでいる。
二人はそろって受験に失敗して、同じ私立高校の生徒となった。
澪は実力不足だったとあきらめがついたが、夏海は不合格という結果をなかなか受け入れられなかった。合格した彼氏ともケンカ別れして、ひどく落ちこんだ。
澪はそんな彼女の自宅に何度も訪ねて、根気よく励ました。
入学してからも気にかけて、一緒に通学するうち、二人はとても親しくなって今に至る。
「あきちゃんだ、珍しい」
改札を抜けると、夏海が向こう側のホームを指さした。
「バス通学組なのに、なんで駅いるんだろ」
澪がそっちを見ると、ひょろっと背の高い男子高校生が立っていた。
白いシャツにえんじ色のネクタイと濃いグレーのズボン。二人が落ちた南高の制服だ。
「えっ、鈴城くん!?」
澪はびっくりして声を上げた。姿を見るのは一年ぶりだが、身長も全体のイメージも前とはだいぶ違う。
「大きくなったでしょ?」
夏海はフフッと笑って階段に向かう。
「去年から急に背が伸びてさ、あっという間に追いこされちゃったよ」
「そうなんだ……」
澪はチラッと夏海の左手の指輪を見て、それから思い切って口を開いた。
「夏海、なんで鈴城くんを選ばなかったの?」
ホームにたどり着いたら、夏海はきっと明貴に声をかける。だからその前に答えを聞きたかった。
「えーと、ときめかないから?」
夏海は深く考える様子もなく、あっさり言った。
「家族感覚っていうか、仲良しではいたいけど、異性としてはタイプじゃないもん。背が高くなったって、あきちゃんはあきちゃんだし、これからも変わんないよ。だから早くあきらめて、幸せになって欲しいんだけどねー」
気が付いてないわけでは、やっぱりなかったのか。
明貴の想いに応えられない以上、知らんぷりを続けるのが、夏海なりの最善だったのだろう。そこには幼馴染を傷つけたくないという優しさも、少しはあったと思いたい。
「そっか」
澪はそれしか言えなかった。切ない気持ちをごまかし、口元に笑みを浮かべる。
「高校で離れられて、あきちゃんにとっては良かったかも」
ちょっと立ち止まり、夏海は小さな声で続けた。
「せっかくあんな大きい目してるのに、あたししかうつさないまま大人になったら……まずいでしょ、色々と」
思いがけず真剣な目を向けられ、澪はどう答えていいかわからなくなった。
「あきちゃんの将来の責任なんか取れないよ。自分の道は自分で決めてくれないとさ」
もう子供じゃないんだし、と付け足し、夏海は再び歩き出した。
「ナイショだよ? こんなこと、澪にしか言えないんだから」
「わかってる」
澪が声をひそめ、秘密を約束すると、夏海はニコッと笑みを浮かべ、いつもの態度に戻った。
受験に失敗した直後、へこんでいた澪をなぐさめに、美月が訪ねてきたことがある。
その時、明貴が澪と連絡を取りたがっていると聞いた。バスケ部の連絡網から美月の連絡先を調べ、電話してきたのだという。
「卒業したから会う方法なくて困ってるって、なんか必死でさ、ちょっと断れなかった。鈴城くんは南高……合格したみたい」
「そっか。頑張ったんだね」
「でも夏海はダメだったって……」
「え、ほんと?」
あの時、澪は心の底からびっくりした。
自分よりずっと成績が良くて、合格間違いなしと言われていた夏海が受験に失敗したなんて。
「あのさ」
美月は遠慮がちに話した。
「鈴城くんがなに考えてるか、あたしでも想像つくんだけど……大丈夫? やっぱり、連絡は無理って断ってあげようか?」
心配そうな美月に、澪は首をふり、笑ってみせた。
「美月が励ましてくれたから、あたしは大丈夫」
本当はまだまだ立ち直れそうになかったが、澪は明貴のことが気になって、伝えられた番号に電話してみた。
そして「夏海の力になってやって欲しい」と頼まれたのだ。
彼女は南高に落ちてから、ずっと家に閉じこもっているという。
あんなに精神不安定な夏海は見たことがない、励まそうと声をかけても、合格してしまった自分では逆効果で、なぐさめることもできないと明貴は泣きながら言った。
「高清水なら、同じ立場だから、夏海も心を開くと思うんだ」
なんて無神経なんだろう──真っ先にそう感じた。
でもそれ以上に、彼のけなげさを哀れんでしまった。状況も心境も気の毒過ぎて、しょうがないなと思ったのだ。
澪は自分の気持ちを押し殺し、夏海に声をかけることにした。
繰り返し語られる泣き言にも耳をかたむけ、時には一緒に涙を流し、明貴の代わりに献身的に支えた。
ようやく夏海が落ち着き、私立に入学するしかない自分を受け入れた時、なぜか澪自身も救われた気持ちになっていた。
同じ立場だから、と明貴に言われた通りだった。二人は受験に失敗して折れた心を抱え、途方に暮れていた。夏海に寄り添うことで、彼女も澪もひとりじゃないと思うことができ、心細さを感じなくて済んだのだ。
「夏海ちゃん、もう大丈夫だよ」
明貴に報告の電話をかけた時、澪は晴れ晴れとした気持ちだった。
「そっか……」
言葉に詰まり、また泣きそうになっている気配を感じた澪は、わざと明るい声で伝えた。
「入学式も一緒に行く約束したし、高校生になっても夏海ちゃんのそばにいて、また落ちこんだ時は励ましていくつもりだから、安心して」
「ありがとう。高清水がいてくれて良かった。無茶なこと頼んで悪かったけど、ほんとにありがとな」
明貴は何度もありがとうと繰り返し、最後に言った。
「高清水は大丈夫か?」
ついでのように。
ふと思い出したかのように。
夏海に対する心配と比べたら、豆粒ほどの大きさもあるかどうかわからない、そんな程度の気遣い。
まあ、そんなもんだろうなと、澪は虚しく笑って答えた。
「うん、大丈夫だよ」
それから澪と夏海はそろって私立高に入学した。
慣れるにつれ、どんどん派手に変わっていく夏海に戸惑いながらも、澪は明貴の代わりに、彼女の一番近くにいた。
「おはよ、あきちゃん」
屈託なく声をかける夏海に、スマホをいじっていた明貴が顔を上げた。くっきりした二重まぶたの大きな目が彼女に向けられる。
「おはよう」
うれしそうに微笑む彼の視界には、夏海しか入っていないみたいだ。
夏海に彼氏がいることと、明貴が夏海を好きなことは、まったく違う次元の話なのかもしれない。
「いつもバスなのに、どうしたの?」
「今月から電車にしたんだ」
今まで明貴がバス通学だったのは、南高の制服を着た自分が一緒だと夏海が落ちこむかもしれないと、気遣ったからだ。そのことは澪しか知らない。
先月、澪は明貴に「もう気にすることないから、夏海と一緒に電車通学しようよ」とメッセージを送っていた。
このままだと、彼はきっと卒業するまでバス通学だ。同じ高校に行きたいという希望は打ち砕かれ、通学する方向は同じなのに、わざと別の手段で通い続ける。そんな、むくわれない気遣いを続ける彼が可哀想だった。
澪が黙っていたら、夏海はもう平気だということが、明貴にはわからない。だから伝えたのだ。
「ねえ、澪」
ふり向いた夏海につられて、明貴が視線を動かす。やっと存在に気がついたかのように澪を見る。
「明日から、あきちゃんと三人で待ち合わせしようよ」
邪気のない笑顔の夏海と明貴。
「うん」
澪は口角を上げ、無理やり笑ってうなずいた。
明貴は、自分が澪に頼んだことの残酷さを知らない。
今この時も、彼の心には、夏海と一緒に通学できるうれしさしかなくて、そこに澪のことを思いやる余地はなさそうだ。
澪は心の奥の箱に、泣きそうな想いをしまい続けてきた。消えてなくなればいいと思っているのに、今もそれは箱の中で暴れている。
むくわれないのは、明貴より澪の方かもしれない。澪が彼のためにどれだけ自分の心を押し殺してきたか、夏海も美月も、たくさんいる同級生も、誰ひとりとして知らないのだ。
それでも、澪が願うのは、明貴の幸せだけだった。夏海がむり向くことは一生ないかもしれないが、明貴にとって彼女を想うことが幸せなのなら、澪はその想いを尊重してあげたいと思う。妨げることはしたくなかった。
明貴が夏海への想いを失わない限り、澪のこの想いも消えないのかもしれない。
今度は私がバス通学かな──澪は楽しそうに会話する二人にさりげなく背を向け、そっと目じりの涙をぬぐった。
(おわり)
「おはよう」
澪は毎朝、夏海を待って一緒に改札へ向かう。
「数学の課題やった?」
「半分もできてなーい」
夏海は眠そうな顔で、明るい色に染めた髪をいじりながら言う。
中学の頃よりほっそりした体を、スカート丈の短いワンピース型の制服に包んで、しっかりメイクしている。
「あたしも全然。明日までに提出なんてムリかも」
「てきとうでも全部終わらせたほうが、途中で出すよりかはマシかな?」
「たぶんね。放課後、一緒にやる?」
「うんって言いたいとこだけど、彼氏と約束あるんだよね」
そう言って夏海は、左手の薬指にはめたリングを澪に見せた。金色に濃いピンクの小さな石がはめこまれたそれは、彼女にとてもよく似合っていた。
「誕生日にもらったんだ」
夏海の今の彼氏は三人めで、バイト先で知り合ったらしい。
「愛されてるじゃん!」
澪は右手を振りかぶり、夏海の肩をたたく真似をして笑った。
高校生になって二年めの夏。
夏海は高校の雰囲気にすっかりなじんでいるが、澪はまだなんとなく慣れないでいる。
二人はそろって受験に失敗して、同じ私立高校の生徒となった。
澪は実力不足だったとあきらめがついたが、夏海は不合格という結果をなかなか受け入れられなかった。合格した彼氏ともケンカ別れして、ひどく落ちこんだ。
澪はそんな彼女の自宅に何度も訪ねて、根気よく励ました。
入学してからも気にかけて、一緒に通学するうち、二人はとても親しくなって今に至る。
「あきちゃんだ、珍しい」
改札を抜けると、夏海が向こう側のホームを指さした。
「バス通学組なのに、なんで駅いるんだろ」
澪がそっちを見ると、ひょろっと背の高い男子高校生が立っていた。
白いシャツにえんじ色のネクタイと濃いグレーのズボン。二人が落ちた南高の制服だ。
「えっ、鈴城くん!?」
澪はびっくりして声を上げた。姿を見るのは一年ぶりだが、身長も全体のイメージも前とはだいぶ違う。
「大きくなったでしょ?」
夏海はフフッと笑って階段に向かう。
「去年から急に背が伸びてさ、あっという間に追いこされちゃったよ」
「そうなんだ……」
澪はチラッと夏海の左手の指輪を見て、それから思い切って口を開いた。
「夏海、なんで鈴城くんを選ばなかったの?」
ホームにたどり着いたら、夏海はきっと明貴に声をかける。だからその前に答えを聞きたかった。
「えーと、ときめかないから?」
夏海は深く考える様子もなく、あっさり言った。
「家族感覚っていうか、仲良しではいたいけど、異性としてはタイプじゃないもん。背が高くなったって、あきちゃんはあきちゃんだし、これからも変わんないよ。だから早くあきらめて、幸せになって欲しいんだけどねー」
気が付いてないわけでは、やっぱりなかったのか。
明貴の想いに応えられない以上、知らんぷりを続けるのが、夏海なりの最善だったのだろう。そこには幼馴染を傷つけたくないという優しさも、少しはあったと思いたい。
「そっか」
澪はそれしか言えなかった。切ない気持ちをごまかし、口元に笑みを浮かべる。
「高校で離れられて、あきちゃんにとっては良かったかも」
ちょっと立ち止まり、夏海は小さな声で続けた。
「せっかくあんな大きい目してるのに、あたししかうつさないまま大人になったら……まずいでしょ、色々と」
思いがけず真剣な目を向けられ、澪はどう答えていいかわからなくなった。
「あきちゃんの将来の責任なんか取れないよ。自分の道は自分で決めてくれないとさ」
もう子供じゃないんだし、と付け足し、夏海は再び歩き出した。
「ナイショだよ? こんなこと、澪にしか言えないんだから」
「わかってる」
澪が声をひそめ、秘密を約束すると、夏海はニコッと笑みを浮かべ、いつもの態度に戻った。
受験に失敗した直後、へこんでいた澪をなぐさめに、美月が訪ねてきたことがある。
その時、明貴が澪と連絡を取りたがっていると聞いた。バスケ部の連絡網から美月の連絡先を調べ、電話してきたのだという。
「卒業したから会う方法なくて困ってるって、なんか必死でさ、ちょっと断れなかった。鈴城くんは南高……合格したみたい」
「そっか。頑張ったんだね」
「でも夏海はダメだったって……」
「え、ほんと?」
あの時、澪は心の底からびっくりした。
自分よりずっと成績が良くて、合格間違いなしと言われていた夏海が受験に失敗したなんて。
「あのさ」
美月は遠慮がちに話した。
「鈴城くんがなに考えてるか、あたしでも想像つくんだけど……大丈夫? やっぱり、連絡は無理って断ってあげようか?」
心配そうな美月に、澪は首をふり、笑ってみせた。
「美月が励ましてくれたから、あたしは大丈夫」
本当はまだまだ立ち直れそうになかったが、澪は明貴のことが気になって、伝えられた番号に電話してみた。
そして「夏海の力になってやって欲しい」と頼まれたのだ。
彼女は南高に落ちてから、ずっと家に閉じこもっているという。
あんなに精神不安定な夏海は見たことがない、励まそうと声をかけても、合格してしまった自分では逆効果で、なぐさめることもできないと明貴は泣きながら言った。
「高清水なら、同じ立場だから、夏海も心を開くと思うんだ」
なんて無神経なんだろう──真っ先にそう感じた。
でもそれ以上に、彼のけなげさを哀れんでしまった。状況も心境も気の毒過ぎて、しょうがないなと思ったのだ。
澪は自分の気持ちを押し殺し、夏海に声をかけることにした。
繰り返し語られる泣き言にも耳をかたむけ、時には一緒に涙を流し、明貴の代わりに献身的に支えた。
ようやく夏海が落ち着き、私立に入学するしかない自分を受け入れた時、なぜか澪自身も救われた気持ちになっていた。
同じ立場だから、と明貴に言われた通りだった。二人は受験に失敗して折れた心を抱え、途方に暮れていた。夏海に寄り添うことで、彼女も澪もひとりじゃないと思うことができ、心細さを感じなくて済んだのだ。
「夏海ちゃん、もう大丈夫だよ」
明貴に報告の電話をかけた時、澪は晴れ晴れとした気持ちだった。
「そっか……」
言葉に詰まり、また泣きそうになっている気配を感じた澪は、わざと明るい声で伝えた。
「入学式も一緒に行く約束したし、高校生になっても夏海ちゃんのそばにいて、また落ちこんだ時は励ましていくつもりだから、安心して」
「ありがとう。高清水がいてくれて良かった。無茶なこと頼んで悪かったけど、ほんとにありがとな」
明貴は何度もありがとうと繰り返し、最後に言った。
「高清水は大丈夫か?」
ついでのように。
ふと思い出したかのように。
夏海に対する心配と比べたら、豆粒ほどの大きさもあるかどうかわからない、そんな程度の気遣い。
まあ、そんなもんだろうなと、澪は虚しく笑って答えた。
「うん、大丈夫だよ」
それから澪と夏海はそろって私立高に入学した。
慣れるにつれ、どんどん派手に変わっていく夏海に戸惑いながらも、澪は明貴の代わりに、彼女の一番近くにいた。
「おはよ、あきちゃん」
屈託なく声をかける夏海に、スマホをいじっていた明貴が顔を上げた。くっきりした二重まぶたの大きな目が彼女に向けられる。
「おはよう」
うれしそうに微笑む彼の視界には、夏海しか入っていないみたいだ。
夏海に彼氏がいることと、明貴が夏海を好きなことは、まったく違う次元の話なのかもしれない。
「いつもバスなのに、どうしたの?」
「今月から電車にしたんだ」
今まで明貴がバス通学だったのは、南高の制服を着た自分が一緒だと夏海が落ちこむかもしれないと、気遣ったからだ。そのことは澪しか知らない。
先月、澪は明貴に「もう気にすることないから、夏海と一緒に電車通学しようよ」とメッセージを送っていた。
このままだと、彼はきっと卒業するまでバス通学だ。同じ高校に行きたいという希望は打ち砕かれ、通学する方向は同じなのに、わざと別の手段で通い続ける。そんな、むくわれない気遣いを続ける彼が可哀想だった。
澪が黙っていたら、夏海はもう平気だということが、明貴にはわからない。だから伝えたのだ。
「ねえ、澪」
ふり向いた夏海につられて、明貴が視線を動かす。やっと存在に気がついたかのように澪を見る。
「明日から、あきちゃんと三人で待ち合わせしようよ」
邪気のない笑顔の夏海と明貴。
「うん」
澪は口角を上げ、無理やり笑ってうなずいた。
明貴は、自分が澪に頼んだことの残酷さを知らない。
今この時も、彼の心には、夏海と一緒に通学できるうれしさしかなくて、そこに澪のことを思いやる余地はなさそうだ。
澪は心の奥の箱に、泣きそうな想いをしまい続けてきた。消えてなくなればいいと思っているのに、今もそれは箱の中で暴れている。
むくわれないのは、明貴より澪の方かもしれない。澪が彼のためにどれだけ自分の心を押し殺してきたか、夏海も美月も、たくさんいる同級生も、誰ひとりとして知らないのだ。
それでも、澪が願うのは、明貴の幸せだけだった。夏海がむり向くことは一生ないかもしれないが、明貴にとって彼女を想うことが幸せなのなら、澪はその想いを尊重してあげたいと思う。妨げることはしたくなかった。
明貴が夏海への想いを失わない限り、澪のこの想いも消えないのかもしれない。
今度は私がバス通学かな──澪は楽しそうに会話する二人にさりげなく背を向け、そっと目じりの涙をぬぐった。
(おわり)