2,からまる誤解の糸

 それからというもの、明貴がどれほど夏海を見ているか、やたら目につくようになった。これでは有名な噂になって当然かもしれない。

 女子は陰で面白がって話すくらいだが、男子は直接からかったり、明貴をいじって笑ったりする。

「おまえ広瀬よりチビじゃん」
「早く大きくなれよ、あきちゃん」

 そんなふうに言われると、明貴は真っ赤になって「うるせえ」と大きな声で怒るのだが、その顔がまたなんとも可愛い。ひょっとすると男子も、こういう反応が見たいがために、わざとからかってるんじゃないかと思えるほどだ。



「澪ちゃん、よく鈴城くんのこと見てるよね」

 クラスの女子にそう言われたのは、夏の暑さが本格的になってきた7月の頃。昼休み、美月の席の近くで、何人かとしゃべっていた時のことだ。

 夏海はまた澪の席に座って、明貴に何か言いながら笑っていた。そういう時の彼は、本当に嬉しそうな表情をしていて、遠目でながめているだけで、ほのぼのと幸せな気分になってくる。

 夏海にとっても明貴は特別な存在なんだなと思うと、微笑ましくなるし、幼なじみっていいなと、澪はそんな気持ちで見ていた。

「うん、なんか可愛いなって思って」

 明貴が一途に夏海を見ている姿や、からかわれて怒る顔のことを言ったつもりだった。

「澪ちゃん、鈴城くんのこと好きなんだ?」

 小さくひそめた声で言われ、澪は戸惑った。

「えっ、違……」

「最初から片想い決定じゃん」
「違うってば!」
「照れるなよー」

「そういうことはさ、気づいても言わないであげようよ」

 美月が真剣な顔で発した一言に、みんな気の毒そうな顔で澪を見はじめた。

「応援したいけど……」

「だから、違うって! ほんとに違うんだから」

 否定すればするほど変な空気になっていく。

「高清水、オレ聞いてたんだけどさ」

 いきなり横から男子が乱入してきた。澪の前の席の子だ。

「席替えした日、鈴城にたぶん好きとかそのうち好きになるとか言ってたよな。あれって告ってたの?」

 もしかして名前のことを話していた時の……思い当たった澪は慌てた。

「全然違うから!」

 その男子のまわりもニヤニヤして澪を見ている。まさか言いふらされてたんじゃ……澪は焦ったが、想定外のことで頭が真っ白になってしまって、うまく言葉が出てこない。

「てきとうなこと言うのやめなよ」

 美月が責めると、男子も応戦するように立ち上がる。

「は? この耳で聞いたんですけど!?」
「だからって無神経すぎ」

 まわりも口を出しはじめ、騒ぎが大きくなっていく。澪がどうしたらいいかわからなくて泣きそうになった時、男子が明貴に向かって大きな声を上げた。

「なあ鈴城、高清水に告られたんだろ?」

 教室が一瞬ぴたっと静かになって、そのあとで驚きの声や笑いがわき起こった。冷やかしの言葉や、はやし立てる声が飛び交う。

 どよめきの中で、澪は凍りついたように立ちすくむばかりだった。どうしてこんなことになったのか、ちっともわからない。明貴の様子を見ることも、怖くてできなかった。

 美月が憤然とした顔を、騒ぎの元凶となった男子のほうに向けた。サッと右手を上げると、思い切りふり下ろした。

「最低!」

 バチーンという音が鳴り響く。頬を平手打ちされた男子は、一瞬びっくりしたようにひるんだが、みるみるうちに怒りの表情に変わって、美月に手を伸ばし、つかみかかろうとした。

「やめろ! まずいって!」

 さすがにまわりが止めに入ったが、男子はおさまらず、もみ合いになる。

 その時、教室全体を震わすような大声が響き渡った。

「告られてねーよ!」

 教室は水を打ったようにシーンと静まり返った。明貴が怒った顔で、机をバンッと大きく叩く。

「どっからそんなデタラメ出てくるんだよ!」


「……違うんなら、違うって早く言えよ」

 非難の目から逃れるように、男子が澪に文句を言った。

「あたしは、はじめから違うって言った! 何回も言ったし」

 (くや)し涙を流しはじめた澪のところに、女子が集まってきて、その中には夏海もいた。

「よくわかんないんだけどさ、謝ったほうがいいよ?」

 夏海は男子に冷たい目を向けた。

「女子みんな敵にまわしたら、たぶん地獄だと思うよ」

 そのひとことは、美月のビンタより恐怖心をあおったらしく、男子は小さい声で渋々「ごめん」と言った。

 そこでチャイムが鳴って、騒ぎはひとまずおさまったものの、澪は席に戻るのが怖かった。自分がちゃんと説明できなかったせいでこんなことになって、明貴にまで恥ずかしい思いをさせたのだ。

 ハンカチで涙をぬぐい、思いきって席に戻る。隣を見ると、明貴はかたい顔でまっすぐ前を向いていた。

「ごめんね」

 一言だけ謝ったが、返事はなかった。


 その日を境に、明貴は澪と口をきかなくなった。
 可愛らしい顔をこっちに向けてくれることもなくなって、おはようすら返してくれない。

 ショックだった。

 澪は謝罪の手紙を書いたけれど、誰かに見られたらまた変な噂になると思うと、怖くて渡せなかった。


 そのまま時間が過ぎ、次の席替えで明貴とは遠くなり、三年生になるとクラスも別になってしまった。


「夏海ちゃん、南高だって」
「鈴城くんも同じ高校めざして猛勉強してるんだって」

 たまに耳に入ってくる噂から、明貴がまだ夏海を想っていることを知った。

「すごく一途なんだ……」

 澪は彼の気持ちを想像すると、胸が苦しくなった。夏海はいつまで知らん顔を続けるつもりなんだろう。受け入れるにしても拒むにしろ、はっきり(こた)えてあげればいいのにと、彼女を恨めしく思うのだった。


 でも夏が終わるころ、夏海は特定の男子と、よく一緒にいるようになった。切れ長の細い目をした背の高い同級生で、もちろん明貴ではない。

「彼氏だって」

 美月が教えてくれた。

「夏海の方から告ったみたいだよ」
「そうなんだ……鈴城くん、ショックだろうね」

 澪は自分がふられたような気持ちになり、しょんぼりしてしまった。それを見て、美月はハッと口をおさえた。

「もしかして澪ちゃん、まだ鈴城くんのこと……」
「それ誤解だから」

 澪も少しは成長して、ちゃんと言葉で説明できるようになっていた。誤解だということを理解してもらうのも、今なら難しくない。

「……ってわけで、好きとかじゃ全然ないし」

 ざっくり説明されて、美月は目を丸くした。

「ごめん、ずっと勘違いしてた」
「はっきり言って、異性として意識したこともないよ」

 昇降口で、他の生徒も行き交う中での会話だったが、澪は堂々と口にした。
 美月と同じ誤解をしている子が、他にもいたら困る。そこから変な噂が流れたりしたら、また明貴に迷惑をかけてしまうかもしれない。誤解だと、言える時にはっきり言っておかなければと思ったのだ。

「夏海の彼氏、吹奏楽部なんだって」
「文化系が好みって意外だね」
「みんな言ってる」

 夏海は塾の夏期講習で彼と親しくなり、好きになったらしい。
 あれほど一途な想いを明貴に向けられながら、彼女はあっさり他の男子と恋に落ちてしまったわけだ。

「可哀相……」

 誰にも聞こえないように、澪はつぶやく。
 夏海と彼氏の姿を目にするたび、明貴の気持ちを思い、痛ましくて泣きたくなった。小さい頃からずっと想い続けてきた相手が、自分とはまったく逆のタイプの男子と両想いになるなんて、どれほどつらいことだろう。
 澪は関係ないのに、ひそかに心を痛めるのだった。