1,可愛い同級生
「あきちゃん」
そう呼ばれたから女の子なのかと思った。
「やめろ」
色白で目の大きなその子は、可愛らしい顔に似合わない野太い声を発して、眉間にシワを寄せた。
「名前で呼ぶなって。苗字にしろよ!」
「えー、今さら? どっからどう見てもあきちゃんじゃん」
その子の頭に手を伸ばして撫でたのは、女子バスケ部の広瀬夏海だった。
背が高いせいか、まわりと比べてずいぶん大人っぽく見える。サラサラのショートヘアが似合う顔立ちはきれいなのに、性格は男みたいだと言われていた。
「うるせえ、さわんな」
夏海の手をふり払ったその子は、同級生の男子の中ではかなり小さい方だ。
こんなふうに鈴城明貴の存在を知ったのは、同じクラスになった中学二年生の春。
「あの子いいなあ」
高清水澪は、思わず口に出してつぶやいてしまった。
自分と同じように小柄なのに、あんなに可愛い顔と名前を持っている。そのことが羨ましかったのだ。
「まじで?」
小学校から一緒だった友達の森美月が目を見張る。
「え、なんかおかしい?」
澪がキョトンとすると、美月は鈴城明貴のほうを見て、それからまた澪に顔を向けると声をひそめた。
「鈴城くんって、夏海ラブで有名だよ?」
「そうなの? でも、名前を呼ぶなとかさわるなって……」
「子ども扱いするなって意味だよ。鈴城くん、部活ん時も筋トレとかボール磨きしながら、女子コートの夏海のことばっか見てるし」
美月は夏海と同じ女子バスケ部で、鈴城明貴もあんなに小柄なのに男子バスケ部員らしい。
「幼なじみなんだって」
「へー」
「夏海は弟扱いしてる感じ。仲良いし可愛がってるけど、そういう意味じゃ相手にしてないっていうか……鈴城くん以外にも、夏海のこと好きな男子いっぱいいるんだもん。顔良し、性格良し、スタイル良しって無敵だよね」
美月はベタ褒めしつつ、しみじみとうなづいた。
夏海とは小学校が違うので、澪はあまりよく知らないし、同じクラスになったばかりで、話したことも少ししかない。でも以前から、ひときわ目立つ彼女の存在は知っていた。
背が高いだけじゃなく、体型も大人の女の人みたいで、ほかの同級生より光っているというか、どこか違って見える。先輩に告白されたとかOBとつきあってるとか、そういう噂もあながち嘘じゃなさそうな感じのする子だ。
すとんと平らな自分の胸を見下ろし、澪はしょぼんと肩を落とした。
「いいなあ、夏海ちゃん」
澪は自分の細く小さく頼りない体と、夏海のしっかり凹凸のある女らしい体を見比べ、小さくため息をつく。
美月が気の毒そうな顔で、澪の肩をぽんぽん叩いた。
この時点で大きく誤解されていることに、澪はまったく気づかなかった。
「高清水の下の名前、れいって読むの?」
提出するプリントに名前を書いていると、隣の席から鈴城明貴が声をかけてきた。最初の席替えをしたばかりで、二人が口をきくのは初めてだった。
「あ、うん」
名前を知られていたことに驚きつつ、緊張気味にうなずく。
「みおって読むのかと思ってた」
「よく間違われる」
「かっこいい名前だよな」
「えっ、そうかな?」
ドキッとした澪に、明貴は自分のプリントを見せる。
「オレも漢字だとふつうなんだけど、明貴を『あき』って読ますとかおかしいだろ? 」
澪はどう答えていいか戸惑い、あいまいに首をふった。
明貴は淡い朱色の唇を嫌そうにゆがませているが、それすら愛らしく見えてしまう顔立ちの良さに、澪はまた羨ましさを感じた。
「あたしも前は、名前やだなって思ってたよ」
「え、嘘だろ」
「ほんとだよ。男みたいとか、普通は『みお』って読むのにとか、みんなに言われて……」
明貴は身を乗り出した。
「同じ同じ! オレもさんざん女みたいとか言われてさ」
向けられた大きな瞳に、くっきりと澪がうつっている。自分の小さく地味な顔立ちを見たら、こんなつまんないものうつしてごめんと言いたくなった。
「あたしたちの名前、逆だったらよかったね」
あき、という名前の女の子なら沢山いる。澪みたいなふつうの子に似合う、ふつうの名前だ。
「それな! もしオレが高清水澪なんて名前だったら、どこ行ってもフルネーム名乗るわ」
「そこまで?」
澪は思わず笑ってしまった。
「高清水さ、前は名前やだったってことは、今は違うの?」
「うん。お母さんに、澪の一文字には親としての色々な思いをこめたんだよって言われて」
「いいな。うちの母親なんか、可愛いくて似合ってるからいいじゃないとか言ってさ……まじ、ふざけんなよって」
明貴は意外なほどよくしゃべった。声変わりだけは早かったということなのか、愛らしい童顔に低めの声なのがギャップで、ちょっと不思議な感じがする。
「じゃ、今は好きなの?」
「たぶん好き」
「ふーん……オレも好きになれる日が来るのかなあ」
鈴城明貴という名前だって、じゅうぶんかっこいい。もっと時間が経って大人になる頃には、きっと受け入れられるようになるんじゃないかと澪は思った。
「うん、そのうち好きになると思う」
澪が断言すると、はにかんだような顔で明貴は笑った。
鈴城明貴と隣の席になって三日目。
登校したら澪の席に夏海が座って、明貴としゃべっていた。
一緒に教室に入った美月は、二人を見ると気遣うような顔をして澪を見た。
「あたしが言ってあげるね」
「え? なにを?」
美月は澪の席にまっすぐ向かった。
「おはよ、夏海」
声をかけられた夏海はふり向き、澪を見ると席から立ち上がった。
「おはよう。ごめん、みおちゃんの席借りてた」
名前を間違われてがっかりした澪の耳に、明貴の声が届いた。
「みおじゃねーよ。れいって読むんだよ」
澪は少しびっくりしたが、明貴はなんてことない表情を夏海に向けている。
「え、そうなの? みおちゃんだと思ってたよ、ずっと」
「夏海ボケ過ぎ。あたしとかまわりの子、けっこうみんな澪ちゃんって呼んでるじゃん」
美月が突っ込むと、夏海は申し訳なさそうな表情で、澪に手を合わせた。
「ごめんね!」
「ううん、気にしないで」
澪が笑って首をふると、夏海はほっとしたように表情をゆるめてニコッと笑い、自分の席に戻って行った。
「鈴城くん、さっきはありがとね」
隣の席に顔を向けると、明貴は慌てたように、どこかから視線を戻して澪のほうを見た。うっすら頬が赤い。
「別に、お礼言われるようなことじゃないし」
明貴はぶっきらぼうに言って、机に顔を伏せてしまった。ねみー、という小さな声が聞こえる。
何を……誰を見ていたのか、確認しなくてもなんとなくわかった。
美月から、部活中いつも見ていると聞いていたが、実際こんなふうに気づくと、関係ないのに澪までドキドキしてしまう。
夏海の席を見てみると、近くの席の子と話していて、くるくる変わる表情が可愛い。やっぱり光り輝いて見える。みんなの中心にいるにふさわしい女の子だなと、素直に感じた。