いったいどうしてこんなことになったのか。

 バルコニーから天を仰ぐユリアンに、星が冷えた光を投げかけてくる。

 一度寝台に入ったものの、運命とやらを思っていたら寝つけなくなってしまった。皮の外套(がいとう)に身をくるんでバルコニーに出てみても、ため息ばかりがこぼれてしまう。吐く息は白い。忍び寄る冬に身が凍えた。

 こんなときエルフリーデのように簡単に炎が出せたらいいのに。口笛を吹き、指先に炎を灯し暖をとる。あれほどたやすく魔法を発動させることができるのは、彼女のような高位の魔法使いだけで、ユリアンにその力量はない。彼が魔法を使うなら身を清め触媒を用意して石板に呪文を刻み……とにかく手間と時間ばかりがかかってしまう。

 彼は改めて己の無力を痛感した。

 ――そうだ、俺自身にはなんの価値もないというのに。

 ユリアン=フェルゼンシュタイン――与えられた名だけは大層立派だ。

 王子という身分はいささか重たいものの、これまで彼はその重量に(わずら)わされずに生きてきた。

 兄が四人いて、みな健やかに成人している。おかげで彼は小国といえど一国の王子としてはめずらしく伸びやかに育てられた――要するに放っておかれたのだ。

 それを幸いに魔科学の研究に没頭し、魔法を使うための触媒を手にするためにあちこちを旅した。残念ながら彼に魔法の才はなかったが、今度は旅の方が面白くなってきた。ならばと自ら隊商を率いて交易に乗り出し、南のカースィムと北の遊牧民の帝国を行き来した。砂漠の熱も、冷たく乾いた草原の風も知っている。

 フェルゼンシュタインは好き勝手している五男に貴重な臣下を与えられるほど人材豊富な国でもないので、ユリアンは隊商で働く部下を自分の足で探し、自分の目で選んだ。

 優秀だったり正直だったりすれば特に身分や出自は問わなかった。必然、奴隷や没落した騎士、白い肌の者から黒い肌の者まで様々な男女に囲まることとなった。
 危険ではあるけれど、自由で飽きることのない生活だった。

 ところが、ほんの数ヶ月ほど前、思いもよらぬ転機が訪れた。

 春の花の盛りのこと。南の大国から女王の親書を携えた使者がやってきた。

「我がカースィムの女王陛下が、貴国の第五王子をご所望でございます」

 褐色の肌の使者が父王に恭しく頭を下げた時、彼はめずらしく父の傍に控えていた。他人事だと決めこんでまともに聞いていなかった話の中に引っ掛かりを覚え、一拍おいて瞠目した。

 ――第五王子って、俺のこと?

 その日からフェルゼンシュタイン家はもう彼を放っておいてはくれなかった。大国カースィムとの姻戚同盟のためなら、五人いる息子の一人――しかも放蕩息子だ――を差し出すことになんの躊躇(ちゅうちょ)があるだろう。

 女王には多くの夫がいるが、その中でユリアンが寵愛を得られれば、フェルゼンシュタインの覚えがめでたくなることは間違いない。

 エルフリーデが花言葉をユリアンに覚えさせるのもそのためだ。
 カースィムの宮殿では文より花を贈る方が雅とされる。花に秘めたメッセージと、束ねた彩の美しさで女王の心を射止めねばならない。

 くだらない、と彼は首を振った。

 ――愛してもいない女性の寵を競うなど。俺にはとてもできそうにない。

 考えながらぼんやりと天を見上げ、もう一度重たいため息をついた、その時。

 ぱっ。

 視界の端に、ちらりと赤い光が灯って消えた。中庭だ。

 ぱっ。

 次は白。その光に照らされて、人影が露わになる。長い黒髪、華奢な肩。見間違えるはずがない。

「エルフリーデだ……」

 思わずその名をつぶやいて、ユリアンは中庭へと急いだ。