小さな窓の向こうから晩秋の陽が漏れ入る。風が冷たくなった。小国フェルゼンシュタインの領内にも、まもなく冬がやってくる。

 ユリアンは窓の外の景色ばかりを眺めていた。城の三階から見下ろす街並みは、普段通りの活気に満ちている。

 今日は南方の商人たちの姿をよく見かけた。褐色の肌の彼らは海を渡ってやってきたスパイスやシルクを荷車に積んでいるのだろう。かつてユリアンがそうしたように。

 スパイスは北の市でよく売れたなぁと懐かしんでいると、

「ユリアン様」

 凍てつく声で名をよばれた。慌てて意識を室内に戻せば、声の主――従者であるエルフリーデが机の向こうから冷たい視線をよこしている。

「わたくしの話を聞いていらっしゃいますか?」

 彼女の手には真っ赤な薔薇が握られていた。

「エ、エルフリーデに似合うね、その薔薇」

「軽口をいただきたいわけではございません」

「そんなつもりじゃないんだけど」

 彼女の怒りをやり過ごそうとしたのは確かだが、その真紅が彼女の美しさを引き立ているのは事実だった。

 エルフリーデは美しい。年齢は十六ほどで細っそりとした立ち姿だが、所作が洗練されているせいか幼くは見えない。切りそろえられた短い前髪の下に大きな瞳が惜しげなく露わにされ、冬の湖面のように静謐(せいひつ)な黒を湛えていた。

 このエルフリーデがもとは奴隷だったなど、誰に説明しても信じてもらえまい。

「ユリアン様、花言葉をお答えになってくださいませ」

 ずい、と赤の一輪を押し出され、彼は視線を泳がせた。窓の外ばかり見て上の空、エルフリーデの講義を全く聴いていなかったのだとは言えない。

「えぇっと……し、嫉妬、だっけ?」

 当てずっぽうに答えると、彼女がひゅっと口笛を鳴らした。身構えようとした時にはもう遅く、彼の頭上でぴしゃりと稲妻が轟いた。

「痛ってぇぇぇ!! し、痺れる痺れる……!」

「“嫉妬”は黄色の薔薇の花言葉です。赤は“あなたを愛している”です」

「間違えたからって雷を落とすことないだろっ!!」

 涙目の主に対しても、エルフリーデは表情を崩さない。

「炎の方がお好みでしたか?」

「やめろやめろ!!」

 ユリアンは大きく腕を振って抗議した。

「あのなぁお前のその魔法、凶器なんだからな! そうやって俺を脅すのやめろよ!」

「国王陛下からユリアン様の面倒をしっかり見るようにと仰せつかっておりますので手を抜くわけには」

「なおさらやめろ!」

 ではしっかり学んでくださいませ、と言いながらエルフリーデはもう一度赤薔薇を示した。おっかない従者だが、(いばら)を握るその手は当たり前に小さい。

 居住まいをただして、彼は机上の羊皮紙に刻まれた文字にさっと目を通した。ずらりと並んでいるのは花の名とそれぞれの花言葉だ。文字はエルフリーデが書いたのだろう、神経質なほど整った一画一画がそれを物語っている。

 彼は肩を落とした。なぜ花言葉など覚えねばならないのか。

「こんなこと退屈なんだけど……」

「しかたありません」

「お前も面白くはないだろ?」

 返事はなかった。彼はため息をつく。

「神話も歴史も風俗も慣習も、例の国のことなら一通り教えてもらった。もう十分だよ」

 エルフリーデははっきりと首を横にふって、それはできません、と断じる。

「ユリアン様、あなたは大国カースィムに婿入りするのですから。女王の夫の一人として恥ずかしくない教養を身につけてくださいませ」

 そんなこと分かっているよ、とユリアンはまた窓の外に視線を逃した。