次の授業も、久世はあいかわらずだった。
開始直後こそ、いつになく上機嫌な様子で、シャーペンを指でくるくると回したり(そして取り落としたり)していたが、すぐにその動きは鈍くなり、そう時間が経たないうちに頭が前後に揺れはじめた。
彼女に、眠気に抗う気なんてものは最初からないらしい。眠そうだなあ、と思った数分後には、揺れていた彼女の頭は机に突っ伏していた。
さっきもさんざん寝ていたくせにまだ眠いのか、といっそ感心してしまう。
まあ今更だけど。
高校生活が始まってから半年、久世がまともに授業を受けている姿なんて、ほぼ記憶になかった。たいていこんなふうに寝ているか、そもそも教室にいないかだ。
授業中に眠りこけるのと同じぐらいの頻度で、彼女はよく授業をさぼってもいた。
「あー、目障り」
プリントを回すために後ろを向いたところで、後ろの席の鹿島がぼそっと呟いた。
「なにが」と小声で聞き返せば、鹿島は目線で斜め前にいる久世のほうを示してみせ、
「ああいうやつがいるとやる気削がれるよなあ、ほんっと」
「いいじゃん、べつに。視界に入れなきゃ」
「嫌でも入ってくんだろ。斜め前にいるんだから。あー、早く席替えしたい」
虫の居所でも悪いのか、いつになくイライラした様子でぼやく鹿島に曖昧な相槌だけ打ってから、俺はまた前を向き直る。
そうするとたしかに、久世の丸まった背中が否応なしに目に入ってきて、鹿島の苛立ちにもちょっと同意した。
鹿島のように、久世に対して苛立っているクラスメイトは少なくない。
いちおう進学希望者の多いこの高校生の生徒たちは、皆そこそこ真面目だ。たいていのやつが授業ぐらいは真面目に受けているし、久世みたいにしょっちゅう授業をさぼったり、授業中堂々と眠りこけるやつなんて他にはいない。
まあ、クラスメイトがひとり授業を真面目に受けないところで実害があるわけではないし、普段は皆あきれている程度だけれど。
ときどき、久世のあまりのやる気のなさに、苛立っているやつもいる。さっきの鹿島みたいに。
かくいう俺も、たまにイライラした。テスト前、ピリついているときとか。
俺からしたら、授業中に寝ることも、ノートをとらないことも、ぜったいにあり得ないから。
「成田くん、お願いっ。ノート見せてくれないかな?」
授業が終わるなり、俺の机の前に立った宇佐美が、そう言ってぱんっと手を合わせてきた。
聞き慣れた台詞だった。週に三四回ぐらいの頻度で、俺はこのお願いをされる。宇佐美だけでなく、ときどき、たいして仲良くないクラスメイトからも。
「さっきの授業、ちょっと居眠りしちゃってさ、ノートとり損ねたところあって……」
「いいよ、どーぞ」
合わせた両手の指先を口元に当て、上目遣いにこちらを見てくる宇佐美に、俺は短く返してノートを差しだす。
途端、宇佐美はぱっと顔を輝かせた。「ありがと!」と明るい声で笑って、少し癖のあるセミロングの髪を耳にかける。
「助かる! 成田くんのノート、ほんときれいでわかりやすいから」
「だろ」
クラスメイトたちが俺に頼むのは、きっと信用があるからだ。ノートのきれいさやわかりやすさというより、俺ならぜったいに、間違いなくノートをとっているという。
たしかに俺は今まで一度も、ノートをとり損ねたことなんてなかった。
「昼休みまで借りててもいいかな?」
「いいよ、べつに今日一日中でも」
「ほんと? ありがとう!」
両手で大事そうにノートを受け取る宇佐美の向こう、まだ机に突っ伏したままの久世の姿が見えた。授業が終わったことにすら気づいていないような熟睡っぷりだ。周りのクラスメイトたちももう慣れた様子で、誰も起こそうとはしない。
「あー、あいかわらずよく寝てるね。久世さん」
俺の視線の先に気づいたらしい宇佐美が、久世のほうを振り返って苦笑する。
「すごいよね、ある意味。不安にならないのかな。授業についていけなくなっちゃうかも、とか」
「ならないんじゃないの」
宇佐美の口にした心配は久世とはあまりに縁遠い感じがして、俺も思わず笑っていた。さっき向けられた久世の言葉を思い出しながら、続ける。
「なんかもう、あきらめてるらしいし」
「え、なにを? 進学?」
「たぶん。知らないけど」
「えー、あきらめるの早くない? まだ高一だよ」
宇佐美は肩をすくめてから、「じゃあ、借りていくね」と笑って踵を返した。
宇佐美がいなくなると、久世の姿がまっすぐに視界に入ってきた。
――もうあきらめたから。
さっきの久世の声がいやに耳に残っていることに、今気づいた。
きっと、彼女が“あきらめた”のは英語のノートだけではない。宇佐美の言ったように、きっと進学も、彼女はすでにあきらめている。それぐらい、普段の彼女を見ていればよくわかった。
そして彼女があきらめたのは、至極当然だということも。
早くなんてない。半年もあれば充分だったはずだ。久世はたぶん知ったのだろう。高校生活が始まって、授業を受けていくうちに。自分が勉強ができないこと。どんなに頑張っても、周りの生徒たちについていけないこと。だから頑張ることをやめたのだ、きっと。届かないものに手を伸ばしつづけるのは、血反吐が出そうなほど苦しいから。
――俺だって、それぐらいならよく知っていた。
開始直後こそ、いつになく上機嫌な様子で、シャーペンを指でくるくると回したり(そして取り落としたり)していたが、すぐにその動きは鈍くなり、そう時間が経たないうちに頭が前後に揺れはじめた。
彼女に、眠気に抗う気なんてものは最初からないらしい。眠そうだなあ、と思った数分後には、揺れていた彼女の頭は机に突っ伏していた。
さっきもさんざん寝ていたくせにまだ眠いのか、といっそ感心してしまう。
まあ今更だけど。
高校生活が始まってから半年、久世がまともに授業を受けている姿なんて、ほぼ記憶になかった。たいていこんなふうに寝ているか、そもそも教室にいないかだ。
授業中に眠りこけるのと同じぐらいの頻度で、彼女はよく授業をさぼってもいた。
「あー、目障り」
プリントを回すために後ろを向いたところで、後ろの席の鹿島がぼそっと呟いた。
「なにが」と小声で聞き返せば、鹿島は目線で斜め前にいる久世のほうを示してみせ、
「ああいうやつがいるとやる気削がれるよなあ、ほんっと」
「いいじゃん、べつに。視界に入れなきゃ」
「嫌でも入ってくんだろ。斜め前にいるんだから。あー、早く席替えしたい」
虫の居所でも悪いのか、いつになくイライラした様子でぼやく鹿島に曖昧な相槌だけ打ってから、俺はまた前を向き直る。
そうするとたしかに、久世の丸まった背中が否応なしに目に入ってきて、鹿島の苛立ちにもちょっと同意した。
鹿島のように、久世に対して苛立っているクラスメイトは少なくない。
いちおう進学希望者の多いこの高校生の生徒たちは、皆そこそこ真面目だ。たいていのやつが授業ぐらいは真面目に受けているし、久世みたいにしょっちゅう授業をさぼったり、授業中堂々と眠りこけるやつなんて他にはいない。
まあ、クラスメイトがひとり授業を真面目に受けないところで実害があるわけではないし、普段は皆あきれている程度だけれど。
ときどき、久世のあまりのやる気のなさに、苛立っているやつもいる。さっきの鹿島みたいに。
かくいう俺も、たまにイライラした。テスト前、ピリついているときとか。
俺からしたら、授業中に寝ることも、ノートをとらないことも、ぜったいにあり得ないから。
「成田くん、お願いっ。ノート見せてくれないかな?」
授業が終わるなり、俺の机の前に立った宇佐美が、そう言ってぱんっと手を合わせてきた。
聞き慣れた台詞だった。週に三四回ぐらいの頻度で、俺はこのお願いをされる。宇佐美だけでなく、ときどき、たいして仲良くないクラスメイトからも。
「さっきの授業、ちょっと居眠りしちゃってさ、ノートとり損ねたところあって……」
「いいよ、どーぞ」
合わせた両手の指先を口元に当て、上目遣いにこちらを見てくる宇佐美に、俺は短く返してノートを差しだす。
途端、宇佐美はぱっと顔を輝かせた。「ありがと!」と明るい声で笑って、少し癖のあるセミロングの髪を耳にかける。
「助かる! 成田くんのノート、ほんときれいでわかりやすいから」
「だろ」
クラスメイトたちが俺に頼むのは、きっと信用があるからだ。ノートのきれいさやわかりやすさというより、俺ならぜったいに、間違いなくノートをとっているという。
たしかに俺は今まで一度も、ノートをとり損ねたことなんてなかった。
「昼休みまで借りててもいいかな?」
「いいよ、べつに今日一日中でも」
「ほんと? ありがとう!」
両手で大事そうにノートを受け取る宇佐美の向こう、まだ机に突っ伏したままの久世の姿が見えた。授業が終わったことにすら気づいていないような熟睡っぷりだ。周りのクラスメイトたちももう慣れた様子で、誰も起こそうとはしない。
「あー、あいかわらずよく寝てるね。久世さん」
俺の視線の先に気づいたらしい宇佐美が、久世のほうを振り返って苦笑する。
「すごいよね、ある意味。不安にならないのかな。授業についていけなくなっちゃうかも、とか」
「ならないんじゃないの」
宇佐美の口にした心配は久世とはあまりに縁遠い感じがして、俺も思わず笑っていた。さっき向けられた久世の言葉を思い出しながら、続ける。
「なんかもう、あきらめてるらしいし」
「え、なにを? 進学?」
「たぶん。知らないけど」
「えー、あきらめるの早くない? まだ高一だよ」
宇佐美は肩をすくめてから、「じゃあ、借りていくね」と笑って踵を返した。
宇佐美がいなくなると、久世の姿がまっすぐに視界に入ってきた。
――もうあきらめたから。
さっきの久世の声がいやに耳に残っていることに、今気づいた。
きっと、彼女が“あきらめた”のは英語のノートだけではない。宇佐美の言ったように、きっと進学も、彼女はすでにあきらめている。それぐらい、普段の彼女を見ていればよくわかった。
そして彼女があきらめたのは、至極当然だということも。
早くなんてない。半年もあれば充分だったはずだ。久世はたぶん知ったのだろう。高校生活が始まって、授業を受けていくうちに。自分が勉強ができないこと。どんなに頑張っても、周りの生徒たちについていけないこと。だから頑張ることをやめたのだ、きっと。届かないものに手を伸ばしつづけるのは、血反吐が出そうなほど苦しいから。
――俺だって、それぐらいならよく知っていた。